第1章 第10話 荒野の魔物
異世界で迎える三日目の朝、神城皇牙は草の敷物が敷かれた寝台の上で、大きく伸びをした。
「……おお、腰が痛くねえ。やっぱり寝具って大事だな」
まだ布団と呼べるほど立派なものではないが、石の上で直接眠った最初の夜に比べれば、寝心地は格段に改善されていた。昨夜は温かい風呂にも入れたおかげで、身体の疲れもほとんど残っていない。
窓の外には、朝日に照らされた黒い城壁が広がっている。城門から続く道路の先には、昨日マルクと一緒に作った小さな農地も見えた。何もなかった荒野に、自分たちの生活の跡が増えていく光景は、何度眺めても気分がよかった。
「くくく……今日も無料ガチャを引いて、さらに人材を増やすか!」
皇牙は早速《英霊召喚ガチャEX》を開いた。
【無料召喚:3/3回】
【国家人口:7人】
【SR以上排出率:5%】
「よし、ちゃんと復活してるな!」
昨日は料理人のリーナ、商人のエドガー、採集人のロイが加わった。三人とも今の生活にはありがたい人材だが、やはり歴史上の偉人を引きたいという気持ちは強い。
今日こそ二人目の偉人を引き当てたい。そう考えて召喚ボタンへ指を伸ばしたところで、寝室の扉が叩かれた。
「殿、巴にございます。少々よろしいでしょうか」
「おう、入ってくれ」
扉が開き、赤い鎧を身につけた巴が姿を現した。しかし、いつもの穏やかな表情とは違い、その目には警戒の色が浮かんでいる。
「おはよう、巴。何かあったのか?」
「城門の外で、見慣れぬ獣の足跡を発見いたしました。昨夜の間に、何かが近づいていた可能性がございます」
「……獣? もしかして魔物か?」
「その可能性もございます。ただ、まだ正体までは分かっておりませぬ」
皇牙は窓の外へ視線を向けた。昨日の夕方、巴は荒野の遠くで何かが動いたようだと話していた。あのときは姿を確認できなかったが、どうやら気のせいではなかったらしい。
「分かった。俺も確認するよ」
皇牙が開いていた画面を閉じると、巴は少し意外そうな顔をした。
「無料召喚をなさるところだったのでは?」
「後で引けばいいだろ。ガチャは逃げねえけど、魔物は何するか分からねえしな」
そう答えて立ち上がると、巴は小さく頷いた。
二人が中庭へ下りると、城門の近くにロイとガルドがいた。マルクも畑へ向かう準備をしていたらしく、巴の報告を聞いて足を止めている。
「皇牙さん、足跡は城門の外にあります。昨日見かけなかったものなので、ちょっと気になって」
ロイの案内で城門の外を確認すると、舗装した道路の脇に、大きな爪痕のある足跡が残されていた。成人男性の手のひらほどの大きさで、三本の太い爪が地面を深くえぐっている。
「……でかくね? 普通の犬じゃねえだろ、これ」
「私もそう考えております」
巴はしゃがみ込み、足跡の向きを確認した。跡は道路を横切り、農地のある低地へ続いているようだった。
皇牙が《万能鑑定EX》を使ってみたものの、表示されたのは大型の四足歩行生物の足跡という情報だけで、種類までは特定できなかった。
「実物を見ねえと分からねえのか。まあ、万能だからって何でも答えが出るわけじゃないんだな」
「殿。足跡は畑の方角へ続いております。念のため、今朝の農作業と採集は見合わせた方がよろしいかと」
「そうだな。マルク、悪いけど畑の様子を見るのは後にしてくれ」
「承知いたしました。植えたばかりですので、少し遅れる程度なら問題ございません」
マルクが頷き、ロイも今日の採集を延期することにした。
皇牙は全員を城内へ戻すと、リーナとエドガーにも事情を伝えた。城門を閉め、門の警報設備を確認してから、巴とともに城壁の上へ登る。
そこからは、道路の先にある農地と、その周囲に広がる岩場まで見渡すことができた。
「……あそこか?」
皇牙が指さした先で、低い草が不自然に揺れた。続いて、黒灰色の大きな影が岩陰から現れる。
「うおっ!? 何だ、あれ!」
その姿は大型の狼によく似ていたが、普通の獣とは明らかに違っていた。全身を覆う硬そうな毛の間から短い棘が突き出し、太い四本の脚には鋭い爪が生えている。開いた口の奥には、見るからに危険な牙が並んでいた。
皇牙は慌てて《万能鑑定EX》を発動した。
【名称:灰牙狼】
【分類:魔物】
【特徴:荒野や岩場に生息する肉食性の魔物。鋭い牙と爪を持ち、獲物の匂いを追って行動する】
「……マジで魔物じゃねえか!」
皇牙は思わず声を上げた。
ゲームの中では何度もモンスターを倒してきたが、本物を見るのは初めてだ。地面を踏みしめる脚の太さも、周囲をうかがう鋭い目つきも、画面越しの映像とは迫力が違う。
だが、興奮したのも束の間だった。
灰牙狼は道路へ近づくと、鼻先を地面に寄せて匂いを嗅ぎ始めた。そのまま農地のある低地へ向かって歩いていく。
「……おいおい、そっちは昨日作ったばっかりの畑だぞ」
「人の匂いや、土を掘り返した跡に興味を示しているのかもしれませぬ」
巴の言葉に、皇牙は表情を引き締めた。
畑が荒らされれば、せっかく植えた種芋が駄目になるかもしれない。何より、今後もマルクたちが農作業をする場所へ魔物が入り込むのは困る。
「……よし。俺が魔法で追い払うか」
皇牙が手を上げかけると、巴が静かに声をかけた。
「殿。ここは私にお任せいただけませぬか」
「巴が?」
「はい。魔物が一匹であるならば、私が対処いたします。周囲の様子を確かめる必要もございますので」
皇牙は少し考えた。
自分が魔法を使えば、あの魔物を倒すのは難しくないだろう。しかし、巴は武勇A+の武将だ。昨日まで護衛や警戒を任せていたものの、実際に戦うところはまだ見たことがない。
何より、巴自身が戦えると判断している。
「分かった。じゃあ任せる。ただし、無理だと思ったらすぐ下がれよ。俺が魔法で援護するから」
「承知いたしました」
巴は力強く頷いた。
その後、二人は迎撃する場所を確認した。灰牙狼は農地から少し離れた岩場をうろついており、城門からは百メートル以上の距離がある。
皇牙は城壁上の見張り場所に残り、巴が岩場の手前まで進んで魔物を引きつけることになった。戦闘が始まっても皇牙は城壁から動かず、必要になればそこから魔法で援護する。
「殿、決して私を追って外へ出られませぬよう」
「分かってるって。巴を信じて待ってるよ」
皇牙が答えると、巴はわずかに微笑んだ。
城門の脇にある小さな出入口から外へ出た巴は、周囲の様子を確かめながら道路を進んでいった。農地へ続く道の途中で進路を変え、灰牙狼のいる岩場へ近づく。
皇牙は城壁からその姿を見守った。
巴が灰牙狼から二十メートルほどの位置に到達したところで、魔物が顔を上げた。鼻先をひくつかせ、低い唸り声を漏らしている。
巴は薙刀を構え、相手の動きを見つめたまま足を止めた。
「……こちらへ参れ」
その声に応えるように、灰牙狼が地面を蹴った。
巨大な身体が一気に距離を詰める。皇牙は思わず息を呑んだが、巴は慌てることなく、相手が飛びかかる直前に半歩だけ横へ動いた。
鋭い牙が空を切る。
巴はその横をすり抜けるように薙刀を振り、灰牙狼の前脚へ浅い傷を負わせた。
「……おおっ!」
皇牙は思わず声を上げた。
灰牙狼の動きも十分に速い。それなのに、巴はまるで相手がどこへ飛びかかってくるのか分かっていたかのように、無駄なく攻撃をかわしている。
灰牙狼は着地すると素早く向きを変え、再び巴へ飛びかかった。
今度は牙だけでなく、前脚の爪も振り下ろしてくる。だが、巴は薙刀の柄でその攻撃を受け流し、相手の勢いを利用して身体を横へそらした。
灰牙狼の爪が地面をえぐる。
巴はすぐに追撃せず、足場を確かめながら距離を取った。彼女の背後には大きな岩があり、その周辺は細かな石が散らばっている。普通なら戦いにくい場所だが、巴はむしろそこへ相手を誘い込むように位置を変えていた。
「……なるほど。わざとあそこへ誘導してるのか」
皇牙は感心しながら呟いた。
灰牙狼は巴を追いかけ、勢いよく踏み込んだ。しかし、前脚が小石を弾いた瞬間、身体がわずかに傾く。
その隙を、巴は見逃さなかった。
「はあっ!」
鋭い気合いとともに薙刀が振るわれ、灰牙狼の肩口へ深い傷を負わせた。
魔物が苦しげに吠える。
だが、まだ倒れない。灰牙狼は後退すると、今度は低く身を沈め、巴の足元を狙うように飛び込んできた。
皇牙は思わず身を乗り出しかけた。
「……巴!」
しかし、巴は落ち着いていた。
彼女は相手の頭が下がった瞬間に薙刀の石突きを地面へ突き、身体を支えながら横へ跳ぶ。灰牙狼が通り過ぎた直後、その背後へ回り込むように踏み込んだ。
そして、体勢を立て直そうとした魔物へ、薙刀の刃を一閃させた。
灰牙狼の巨体が大きく揺れ、そのまま地面へ倒れ込む。
魔物は何度か脚を動かしたものの、やがて完全に動かなくなった。
「……すげえ!」
皇牙は思わず拳を握った。
巴の戦いには、派手な魔法も特殊な演出もなかった。しかし、相手の動きを読み、足場を利用し、わずかな隙を確実に捉える技術は、素人目にも見事なものだった。
歴史上に名を残した女武者の強さを、初めて目の当たりにした気がした。
巴は薙刀を構えたまま周囲を警戒し、ほかに魔物がいないことを確認してから武器を下ろした。
その後、城壁へ向かって片手を上げる。
「殿! 討ち取りました!」
「おう! めちゃくちゃ格好よかったぞ!」
皇牙が大きく手を振り返すと、遠くにいる巴が少しだけ微笑んだ。
巴が周囲を確認しながら城門へ戻ったのを待ち、皇牙は城外へ出た。
「いやあ、マジですげえな! あの魔物、結構速かっただろ?」
「はい。ですが、動きは比較的単純でございました。正面から力を競うより、勢いを利用した方が確実かと」
「……なるほど。やっぱり戦い方って大事なんだな」
皇牙は感心しながら頷いた。
巴の武勇A+という評価は、単純な腕力だけを示しているわけではないのだろう。戦場で培った判断力や技術があってこその強さなのだと、改めて実感した。
二人は岩場へ向かい、倒れた灰牙狼を確認した。
近くで見ると、その身体は想像以上に大きい。毛皮は分厚く、肩に生えた棘や鋭い牙も、何かの素材として使えそうだった。
皇牙は試しに《万能鑑定EX》を使ってみた。
【灰牙狼の死骸】
【毛皮:防寒具などへの加工が可能】
【牙・爪:工芸素材として利用可能】
【肉:食用には追加の確認が必要】
「……おっ。これ、結構使えるんじゃね?」
「そうなのでございますか?」
「ああ。毛皮は防寒具にできるみたいだし、牙や爪も何かに加工できるらしい」
皇牙は満足そうに頷いた。
今の城には布も道具も不足している。加工に必要な設備はこれから用意しなければならないが、使える素材が手に入ったのはありがたい。
「じゃあ、ひとまず収納しておくか」
皇牙は灰牙狼の死骸を《空間収納EX》へ収めた。
その後、巴とともに城へ戻り、待っていた仲間たちへ事情を説明した。
「……魔物がいたのか!」
ガルドが驚いたように声を上げる。
「ああ。でも、巴が倒してくれたぞ。いやあ、すげえ戦いだった!」
皇牙が興奮気味に説明すると、ロイは目を輝かせ、マルクは安堵したように息を吐いた。リーナとエドガーも、二人が無事に戻ってきたことを喜んでいる。
しかし、皇牙には一つ気になることがあった。
「……なあ、巴。ああいう魔物って、また来ると思うか?」
「可能性はございます。この周辺にどれほど生息しているか、まだ分かっておりませぬので」
「だよなあ」
皇牙は腕を組み、少し考え込んだ。
今日の魔物は一匹だけだった。だが、農地の周囲を歩き回っていたことを考えると、今後も似たようなことが起きるかもしれない。
城壁があれば城内は守れる。しかし、マルクたちが作業する畑や、ロイが採集へ向かう場所までは守れない。
「……よし。今後は城の外で作業するとき、必ず巴か俺に相談してくれ。危険な場所へ勝手に行くのは禁止な」
皇牙が仲間たちを見渡すと、全員が頷いた。
「あと、畑の周りにも簡単な柵を作っておくか。魔物を完全に防げるとは思わねえけど、何もないよりはいいだろ」
「それはありがたいことでございます。ただ、柵があるからと油断するわけにはまいりませぬ」
「分かってるって。警備できる人材も、これから増やしていきたいな」
皇牙はそう答えながら、巴へ視線を向けた。
「それまでは頼りにしてるけど、一人で全部背負う必要はねえからな。何かあったら、遠慮なく俺を呼んでくれ」
巴は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、すぐに柔らかな笑みを見せた。
「……ありがとうございます、殿」
皇牙も笑い返した。
初めての魔物との遭遇は、ゲーム好きの自分にとって興奮する出来事だった。しかし、あの牙や爪が仲間たちへ向けられる可能性を考えると、面白がっているだけではいられない。
自分には強力な魔法があるのだから、必要なときには使えばいい。普段の警戒は巴に任せるとしても、彼女一人へ危険を押しつけるつもりはなかった。
そんなことを考えていると、ガルドが呆れたように笑った。
「しかし、朝から大騒ぎだったな。今日の仕事、まだほとんど始まってねえぞ」
「……あっ!」
皇牙は思わず声を上げた。
「そういや、無料ガチャを引くところだったんだ!」
「……お前さん、今まで忘れてたのかよ」
「仕方ねえだろ! 初めて魔物が出たんだから!」
皇牙が言い返すと、ガルドは声を上げて笑った。巴も小さく微笑み、ようやく中庭に普段の明るさが戻ってくる。
無料召喚は、まだ三回とも残っている。
皇牙は改めて城の外へ視線を向けた。朝日に照らされた農地は何事もなかったように静まり返り、その向こうには広大な荒野が続いている。
こんな場所で悠々自適に暮らすには、まだまだ人手が必要だ。料理人も職人も欲しいし、できれば巴と一緒に警備を任せられる人材も欲しい。
「……くくく。やっぱり、もっと仲間を増やさねえとな」
皇牙は楽しそうに笑いながら、再び《英霊召喚ガチャEX》を開いた。
お読みいただきありがとうございます。
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そして本日はここまで明日も10話投稿します。
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