ジェイセンの役割
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アーバン公爵領北にあるウェルニス山脈の坑道は、良質な鉄を産出する。
その坑道に魔物が湧いたという知らせを受けて、ジェイセンは半月ほど前に公爵家を出発して討伐にでかけていた。
ウルブハウルズ騎士団を連れ、坑道からやや離れた、森の中にある開けた場所に陣を敷いたのが一週間ほど前である。その前は近くの町に泊まり先に坑道の調査をしていた。
入り組んだ場所に無策で突っ込むと死人が出る。坑道での魔物討伐には慎重さが必要だ。
ウェルニス坑道の中は迷路のような作りになっており、深く長い。そのあちらこちらに魔物が湧いている。
瘴気が濃くなると魔物が湧くといわれている。アーバン公爵領には魔物が湧きやすい。元々瘴気が濃い土地から魔物があふれるのを防ぐために、この土地を任されたのが初代アーバン公爵といわれている。
真偽は不明だ。多くの人々は公爵領を呪われた土地などという。その代わりといってはなんだが、瘴気が濃い恩恵はある。
たとえば魔の力を帯びた魔石の産出。そして、討伐した魔物の一部を使用した魔道具などがそれだ。
数日かけて、湧き出ている小型の魔物を狩った。それは蟻の姿をしている。
といっても、普通の蟻ではない。その一体一体が、坑道を塞いでしまうほどに巨大だ。
「気をつけろ、くるぞ」
短く言って、ジェイセンは剣を鞘から取り出した。
瘴気の濃度を調べるランタン型をした瘴気計を持つ部下が先導し、ジェイセンとウルブハウルズ騎士団の団長であるデュオリード、そして兵たちが後に続く。
蟻の姿をした魔物たちは、瘴気溜まりの主から生み出たものに過ぎない。
魔物が多く湧く現象──禍出の根元には主がいる。それは大型の魔物である。
主を討伐することで、禍出は一時おさまる。
それは一時的なものでしかなく、時間が経てばまた別の場所で起こるために、魔物討伐とは鼬ごっこでしかないのだが、それでも放置はできない。湧いた魔物は人を襲うからだ。
ジェイセンは、アーバン公爵家に生まれた者の義務として、魔物討伐を行い続けている。
「ようやく、主と対面できますね、ジェイセン様。こんなに時間をとられるとは思いませんでした」
「蟻は、厄介だ。毒のある酸を吐くからな。気を抜くな、デュオリード」
「心得ています。……もう公爵家を半月も留守にしています。奥様のことは心配ではないのですか」
ウルブハウルズ騎士団は、出自を問わずに広く力のある者を集めて結成されている騎士団である。
庶民出身のデュオリードは、頬に傷のある三十過ぎの大柄な男だ。元々は放浪者で、傭兵をして働いていた。
彼は愛妻家で、長く時間のかかる討伐に出た際には「早く帰りたい」と、ぼやくときがある。
だから、ラヴィーネのことを気にしている。
ジェイセンはそんな彼を冷たい瞳で睨んだ。
「伯爵家の産出する麦や、食料の優先的な買いつけをするために娶った。それだけだ」
デュオリードはなにか言いたげにしていたが、ジェイセンは視線でそれを黙らせた。
ラヴィーネという己の妻になった女について、ジェイセンはなんの感情も抱いていない。
噂では、蛇毒などと呼ばれている。彼女の妹のものを全て奪い、使用人を足蹴にする傲慢な女なのだという。
ジェイセンが娶ると伝えたのは妹のアイビーである。当然だ、ラヴィーネは長女で、アイビーは次女だからだ。それにラヴィーネには婚約者がいることも、事前に調べさせていた。
だが、伯爵家からきた返事には『ラヴィーネがどうしても閣下と結婚したいといってきかない、ラヴィーネとの結婚でよければぜひお受けしたい』と書かれていた。
どちらでもよかったのだ。どのみち、ジェイセンは妻を愛する気などない。
アイビーであれば、子を作る気もあったが、ラヴィーネとはそんな気にもならない。
婚約者を捨てて権力を選んだ女だ。信用など、できるはずもない。きっといつか、彼女はジェイセンを裏切るだろう。
だからその血は残さず養子をとる。もしくは適当な女に子を産んでもらい、子だけを引き取るかなどとはじめから考えていた。
妻だが、それはただその立場にラヴィーネがいるというだけだ。
伯爵家から食料の買いつけはできている。このところの禍出の同時多発的な土地汚染で、元々乏しかった公爵領の食糧事情はさらに厳しいものになっていた。
それが解決できたのだ。元々ラヴィーネには興味がなかったが、ジェイセンの中から彼女に対する興味はさらに失われていた。
「閣下、団長、来ます!」
先導係が掲げる瘴気計の、ランタンの中の炎が青く大きく膨れあがる。
狭い坑道には目視できるほどの、濃い紫色をした瘴気が充満している。
ジェイセンは剣を構えて坑道の奥に進む。開けた場所になっている、坑道の行き止まりだ。
そこには、多くの卵を抱えている腹を膨らませた蟻の姿がある。
「女王蟻か」
デュオリードが呟く。その不気味な見た目に、兵たちから嫌悪の声があがる。
女王蟻は黒色の鎧のような体を威嚇するように持ちあげて、ギチギチと歯を鳴らした。
その口から放たれる毒の混じった酸を避けながら、ジェイセンは女王蟻に向かっていく。
卵から兵隊のように蟻たちが生まれはじめる。デュオリードは兵たちと共に兵隊蟻たちに向かう。
「そちらは、任せた」
兵たちが兵隊蟻たちの相手をする中、ジェイセンは女王蟻に真っすぐに進んでいく。
主さえ倒せば、瘴気は薄らぐ。残った魔物たちも、瘴気が消えれば姿を消す。
女王蟻の足が槍のように、頭上からジェイセンに向かい振りおろされる。
その一撃は硬い地盤を抉り、坑道を震わせる。
こんな場所で暴れられたら、崩落が起こる。それはある意味で、魔物の襲撃よりも恐ろしいものだ。
ジェイセンは剣を両手で構えて、振りおろされる蟻の硬い足を、一太刀で切り裂いた。
地面を蹴り踏み込んで、大きく跳ねあがる。女王蟻の首めがけて、剣を振りおろした。
──主が倒され、瘴気が薄らいでいく。
蟻たちがびくびくと震えながら倒れる中、ジェイセンはさほど被害がでなくてよかったと考えながら、深く息を吐いた。
討伐が無事に終わった日の夜、ジェイセンは久々に街の宿で風呂に浸かり魔物の体液などの汚れを落としていた。
デュオリードに討伐祝いの酒宴に誘われたが断り、宿の部屋で報告書を記入しようと、椅子に座りペンを手にした。
その時、ジェイセンがいつも持ち歩いている魔道具の一つ『呼び鈴』が鳴った。
それは離れた場所にいる相手と会話ができるものだ。
魔物討伐では領地から度々離れなくてはいけないために、公爵家と王都のタウンハウス、それからいくつかの別邸にも置いてある。
一見すると普通の呼び鈴にしか見えないのだが、それを鳴らすとジェイセンの元に連絡をすることができる。
呼び鈴が鳴ったのは、久々だった。
公爵家で何か問題が起こったのかもしれない。これを鳴らすのは、家令のロアンぐらいだ。
「どうした」
呼び鈴を手にして、一度振る。すると、リンリンとなっていた音が収まり、その先にいる相手と言葉を交わすことができる。
ジェイセンは、ロアンに向かい話しかける。
もしかしてラヴィーネが、なにか問題を起こしたのだろうか。
『や、夜分遅くに、もうしわけありません、ジェイセン様……』
呼び鈴から聞こえてきたのは、まともに言葉さえ交わしたことのなかった妻の、弱弱しい声だった。




