魔物つき
セインは王都にいてはいけないと言っていたが、すべてを見捨てて逃げるなどできるわけがない。
ジェイセンに馬に乗せてもらい、ラヴィーネはエルーニャ伯爵家に向かう。
祖母は魔物により家族を失っている。だからこそ、その研究に明け暮れて、時計塔に魔物避けを仕込んだのだろう。
それは大規模な実験のつもりだったのかもしれない。
王の許可なくそんなことをするなど、罪深いことだが──研究者として、彼女はまっすぐに突き進んでしまったのだ、きっと。
だが、腑に落ちないことがある。
魔物避けの技術が開発できたのだとしたら、まずはエルーニャ伯爵領で試すのではないだろうか。
エルーニャ伯爵領は、魔物が出現することが少ない。
だが、それでも全くない、というわけではない。
祖母も、母も、魔物の襲撃によって家族を失っている。
まず自分の住んでいる場所の人々を守りたいと思うものではないだろうか。
「ジェイセン様、祖母は何故、王都にだけ時計塔を作ったのでしょうか。彼女が亡くなったのは、私が生まれる前ですから、十八年以上前。時計塔が作られたのは三十年前です。祖母にはその効果がもうわかっていたはず。それなのに、時計塔は王都にしかないのです」
「確かに。ヒルダ殿には秘密裏に王都の時計塔に魔物避けを仕込んだ罪悪感があっただろう。だとしても、効果が実証されれば王に報告し、各地にそれを建てるべきだった。特にアーバン公爵領は、喉から手が出るぐらいにその技術が欲しい」
街に一つずつ時計塔を置けば、街の守護はもっと容易いものになる。
アーバン公爵領は長年、多くの魔物の被害に悩まされている。ヒルダの技術で魔物を寄せつけなくさせることができるのなら、喜んでその技術を受け入れていた。
それなのに──ヒルダは誰にも技術を伝えずに、亡くなってしまった。
「だが……わからないが、それはもしかしたら、あったのかもしれない」
「あった……?」
「あぁ。エルーニャ伯爵領は豊かだ。王国全土を考えれば、魔物の被害も少なく土地の汚染もない。ヒルダ殿は伯爵領に魔物避けを施していたのかもしれない。だが……わからないな。時計塔が多く建っていたという話は聞かない。三十年前、俺はまだ生まれていない。だから、知らないだけかもしれない」
そして──ジェイセンは、周りに目を向けることは難しかったと言う。
それは彼の母のことがあったからだ。ただ日々を黙々と義務のために費やした。
「視野が狭くなっていたのだろう。魔物を殺すことで、なにかを考えることを避けていた。愚かだった」
「そんなことは……私も、エルーニャ家で長く暮らしていたのに、なにも知りませんでした。向き合わなくてはいけません。セイン様のためにも」
彼が現れなければ、ラヴィーネは不幸の坂を転がり落ちていたのだろう。
そして王国も、破滅の道へと向かっていたはずだ。
きっと彼はそれを防ぐために、過去に来てくれた。彼がラヴィーネを守ってくれたように、ラヴィーネも──誰かを、なにかを守るための力が欲しい。
両親やアイビーに会うことは、正直、怖い。
だがもう、怖がっている場合ではない。強くならなくては。
エルーニャ家に戻るのは久々だった。見慣れた門をくぐり、扉を叩く。
顔を出した使用人が驚いた顔をして、ラヴィーネの来訪を告げた。すぐに両親がやってくる。
彼らはジェイセンの姿に一瞬怯え、そしてラヴィーネを見て困惑したように顔を見合わせた。
「突然の来訪、失礼する」
「お父様、お母様、ご無沙汰しております」
「なんの用かしら、アーバン公。それに、ラヴィーネ」
「先触れの手紙もなしに来られるとは、非常識にもほどがある」
彼らは一瞬鼻白んでいたが、すぐにいつもの調子を取り戻した。
ジェイセンと直接言葉を交わすのははじめてだろう。アイビーへの結婚の申し込みも、ラヴィーネを結婚相手にすることも、ただ書面でやりとりをしただけだった。
その後はラヴィーネをジェイセンの元に送り、挙式にも参列することがなかったのだから。
ジェイセンにとっては、不誠実な者たちだ。けれど彼はそのことに触れず、礼儀正しい所作で挨拶をした。
「もうしわけない。火急の用があったものですから。伯爵、小麦の買いつけの優先権について、感謝しています。おかげで我が領地の民は、飢えずにすみそうです」
「あ、あぁ、それはよかった。こちらこそ、娘を結婚相手に選んでいただき感謝しています。ラヴィーネは、アーバン公が受け入れてくださらなければ、どこにも行き場がなかったでしょうから」
「その節は大変な失礼をいたしました。ラヴィーネには婚約者がいたにも関わらず、どうしてもアーバン公爵夫人になりたいと我儘を。昔から自分勝手な子でした。アイビーのことも虐めて……アーバン公にもきっと迷惑をかけていることでしょう」
あけすけな敵意を晒していた両親は、ジェイセンの態度を見て彼は味方だと感じたのかもしれない。
姿勢を正して、相応の対応をしはじめる。
ラヴィーネに対する物言いは変わらない。聞き飽きたぐらいに何度も聞いているものだ。
「いいえ、ラヴィーネは私にとって、素晴らしい女性です。彼女を妻に迎えてよかった。私は長らく彼女にとって悪い夫でした。これからは、彼女のために生きたいと望んでいます」
「な、なにを……」
「ご冗談を」
「生憎私は冗談を好みません。お二人がなにをもってラヴィーネをそのように思われるのかは不思議でなりませんが、今はその話はいい。ラヴィーネは、私の妻です。私が彼女を理解していれば、それでいい」
まるでセインのような口ぶりで、ジェイセンは言う。
母はどういうわけか、憎々しげにジェイセンを睨んだ。
父は額に手をあてる。そして「どうしてラヴィーネを、悪い娘と思ったのか……?」と、小さな声で呟いた。
「伯爵、見せていただきたいものがあります」
「なんでしょうか」
「お父様、書庫に、どうしても見たい本があります。見せていただいてもいいですか?」
「書庫に……いったい何の本だ。あれは、母が集めたものだが、なんの価値もない場所だ。母は頭のおかしな女だった。お前は知らないだろうが、庭に時計塔を建てたり、領地に不気味な塔をいくつも建てた。気味が悪いから、全て壊してしまったが」
「本当に、気味が悪かったわ。それにすごくうるさくて。私のことをあの人は嫌っていた。ラヴィーネも、あの人そっくり。だから書庫が気になるのね。まるでヒルダの生まれ変わりのようで、薄気味悪い」
母の物言いに、ラヴィーネは一歩後退った。
ジェイセンの腕を掴み、彼に視線を向ける。
彼は眉間に深い皺を寄せている。時計塔と、不気味な塔。それはどう考えても、魔物避けだ。
そしてその音をうるさいと感じるのは──。
「あら──お姉様、いらっしゃい。ジェイセン様、はじめまして。ようこそお越しくださいました」
階段から、アイビーがサイアスとアメリを引きつれて降りてくる。
アイビーはこれ以上ないぐらいに上機嫌に見える。
どうしてアメリがこの場所にいるのかはわからないが、サイアスとアメリの瞳はラヴィーネに対する憎しみに燃えていた。




