襲撃と設計図
◇
時計塔が破壊されたという連絡を受け、セインの表情が深刻なものに変わった。
時計塔を守るためにデュオリードを派遣したが、アーバン公爵領にも他の場所にも禍出は現れる。
永遠に時計塔だけを守っているわけにはいかない。かといって、王都の兵たちに任せるのは荷が重い。彼らは魔物との戦いに慣れていない。王都に魔物が襲来したのは時計塔ができる前のこと。
現状、王都にいる兵士は魔物との戦いの経験が浅い。彼らは人による襲撃から王都を守るためにいるのだ。
対人での戦闘には慣れていても、人は獣と戦えない。
獣以上に凶悪で凶暴な魔物との戦いなど、余計にできないだろう。
問題は、時計塔の設計図が失われていることだと、ラヴィーネとジェイセン、セイン話し合っていた最中だった。
セインは消極的で、ラヴィーネを守ることができたのだから、あとは王に任せればいいという。
しかしジェイセンは、そういうわけにはいかないと彼に反発していた。
「時計塔が壊された? ガーゴイルは退けたというのに、こんなに早く、か」
「はい。デュオリード様はご無事です。民を避難させています。ですが、皆混乱しています。禍出もないのに、唐突に魔物が現れたのです」
「すぐに行こう」
デュオリードに伝令を任された兵の報告を聞き、ジェイセンは立ちあがる。
「待て」
それをセインが制した。珍しく、焦っている様子だ。酷い悪夢を見たような表情でじっとラヴィーネを見つめて、それから口元を押さえて視線を逸らす。
「私が行く。ジェイセンは、ラヴィを守れ。できれば、公爵家に戻れ。ここにいてはいけない」
「そういうわけにはいかない。デュオリードとお前に魔物を任せるなど」
「ラヴィを守るのがお前の役目だ。いいか、けして傍を離れるな」
「──どうした。なにか、あったのか。お前の記憶の中に、なにか」
「魔物を殺し、王都を守る。それが私の役目。そしてお前の役目はラヴィを守ることだ。いいか、ジェイセン。必ず守れ。それができないのなら、お前など不要だ。私を殺し、私がお前になる」
「……お前は、なにを」
扉に向かうセインの手を、ラヴィーネは握った。
彼らしくない。いつも余裕のある態度を崩さないのに、今は何故かとても焦っているように見える。
時計塔が崩されたのだから、それも当然だろう。
だが──。
「セイン様、お一人では……」
「心配ない、ラヴィ。未来では……王都に魔物が現れるようになってから、何体も討伐してきた。少なくとも、ジェイセンよりは経験がある。まずは、時計塔を襲った魔物を倒す。ただ、君が心配だ。時計塔が壊されることが運命だとしたら、君の怪我も同じく逆らえない運命ということになる。それを私は、認めたくない」
「私は大丈夫です、無謀なことはしません」
「なにが起こるかわからない。私の知る未来と今は、解離している。ガーゴイルが時計塔を壊さなかった代わりに、別の魔物が現れた。まるで、誰かがそれを計画しているかのように」
「……知性のあるものか?」
「わからない。結局、私にできたのは目の前の脅威に対処することだけだった」
ともかく行かなくてはと、セインはラヴィーネの手を握り返した。
「私のラヴィ、いい子で待っていてくれ。すぐに戻る。ジェイセンの傍にいるんだ」
「セイン様……」
「そう泣きそうな顔をしなくていい。大丈夫だ」
自分も行くと、ラヴィーネは言いたかった。
セインには何度も守ってもらった。ラヴィーネもなにか彼に返したい。
だが、ついていったとしても、なにもできない。戦えないことは、ラヴィーネ自身が一番よくわかっている。
セインはラヴィーネの手の甲に、恭しく口づける。
伝令の兵士と共に部屋から出ていくセインを思わず追いかけようとしたラヴィーネの手を、ジェイセンが掴んだ。
「ラヴィーネ、セインに従おう。セインはお前によくないことが起こることだけを、心配している」
「時計塔が壊され、王都には魔物があふれる、と……」
「あぁ。アーバン公爵領でも、街中に魔物があふれるようなことはない。もしそうなったら、人の多い王都の被害は甚大なものになるだろう。どうするべきか……」
セインがいなくなった執務室には、黒々とした不安が靄となって渦巻いているように感じられる。
「知性のある魔物の仕業と考えれば、本体を始末するのが早い。魔物は獣と変わらない。目の前にあるものを喰らうだけだ。だがごく稀に人間の言葉を話し、人間のふりをするものがいる」
「知性のある魔物が、時計塔を壊したのでしょうか」
「わからない。だが可能性は高い。時計塔が邪魔だと考え、その魔物を始末し、時計塔を復旧する。それが今考えられる最善な行動だが、時計塔の知識がもう残っていないのでは」
「……時計塔の、知識」
ラヴィーネは考える。砂粒の中から砂金を探すように、記憶をさらう。
幼少期から今まで。ラヴィーネは、ヒルダの孫だ。エルーニャ家になにか残っていなかっただろうか。
母は祖母のものを、ほとんど捨ててしまった。
けれど祖母が集めた蔵書だけは捨てられずに残っていた。本が貴重なものだからということもあったし、父も祖母の集めた本の収まる図書室を気に入っていたのだ。
幼少期はそこでよく、本を読んでいたらしい。勉強熱心で勤勉で大人しい少年だったと、使用人が言っているのを聞いたことがある。今ではすっかり奥方様の言いなり──という呆れた言葉も一緒に、時折耳にした。
ラヴィーネも一人きりになりたくて、よくそこで過ごしていた。
書架の本を片っ端から読んでいた。そこには、あらゆる知識が詰まっていた。
植物や動物、地理や農業。植物の改良。新しい品種の薔薇をつくる方法。より小麦の生産率をあげる方法。それから──。
「セイン様は、時計塔の設計図は失われてしまったとおっしゃっていました。私は……それを、王都の家で見た記憶があります」
「王都の伯爵家で?」
「はい。王都にある家の図書室は、領地の家よりも小さいのですが、奥に進んでいくと、わかりにくい場所に扉があるのです。その奥に……幼かった私には、理解できないものでした。ですが、そこには歯車となにかしらの機械の絵が」
記憶の底から浮かんでくるものがある。
ラヴィーネは王都の家で図書室の本を眺めている。背が高い書架の上には手が届かず、小さな体で書架の合間をぬってなにか目新しいものはないかと探索していた。
家の者は、図書室には近づかない。そこには祖母の記憶が色濃く残っているために、母は図書室を嫌っていた。アイビーは本になど興味がないようだった。
父も極力見ないふりをしていた。母の意識が図書室に向き、本を捨てろと言われるのが嫌だったのだろう。
図書室の奥に、扉がある。それは壁と同じ木材でできていて、一見ではわかりにくい。
開いた先の小部屋には、テーブルがひとつある。大量の紙が積みあげられており、丸められたそれを開いてみると、円形のなにかがたくさん描かれていた。
あれは──歯車だったのだろう。
時計塔の設計図を、祖母はきちんと保管していた。
セインの時代に失われてしまったのは、誰かがそれを捨てたか焼いたか、それとも魔物に家を破壊されてしまったからなのか。
ともかく、今ならまだ間に合うはずだ。
「エルーニャ家に行きましょう。両親がなにを言っても、設計図を手に入れます。きっと今の私なら、理解できるはずです」
「わかった」
ジェイセンは疑問を口にせずに、頷いてくれる。
そこに果てしない信頼を感じて、ラヴィーネは涙ぐんだ。




