魔物殺し
ジェイセンはラヴィーネを自分の後ろに隠した。
母に話しかけようとするラヴィーネを片手で制し、伯爵家の者たちを静かに睨む。
片手は腰の剣の束に手をかけている。
ジェイセンも気づいたのだろう。母の言葉の違和感に。
『うるさくて、しかたなかった』
時計塔の音が耐えられない騒音として響くのは、魔物に対してだけ。
祖母は領地に多くの魔物避けを建てていた。けれど──それは母の訴えで壊されてしまった。
父の目には、祖母の行動は狂気としてしか映っていたなかった。
それが魔物避けだと、父には説明しなかったのか、それとも説明したとしても信じてもらえなかったのか。
どちらにせよ──母は、母だと思っていたものは、もしかしたら人間ではないのかもしれない。
「どうされました、ジェイセン様。怖い顔をなさっているわ」
「なぜここにいる、アメリ」
「それはジェイセン様が、私を家に送り返したからです! 私はなにも悪いことをしていないのに、無実の罪で……! 私はそこにいる女……おそろしい蛇毒に嵌められたのです。ですから、アイビー様に助けを求めました」
「愚かな」
サイアスが皆を守るように前に出る。彼はジェイセンを威嚇するように、彼のすぐ正面に立った。
ラヴィーネは、サイアスがどういう人なのかよく知らない。
昔は遊んだ記憶があるが、それは性差が曖昧なときだけだった。
そのころからよくラヴィーネに苛められたとアイビーは泣き、サイアスには妹を大切にしたほうがいいと叱られたことを覚えている。
そのうち、彼はラヴィーネと話さなくなった。婚約者だった時代も、アイビーを常に優先し、ラヴィーネのことは嫌っていた。だが、ほんの少しだけ優しくしてもらったことがあっただろうか。
アイビーが不在の時、「本当に君はアイビーに辛くあたっているのか?」と、尋ねられたことがあった気がする。そんなことはしていないとラヴィーネは言ったが、結局、なにかが変わるようなことはなかった。
「アーバン公、あなたはその女に騙されている。甘言に惑わされて、長く尽くしてくれたアメリを家から追い出したのだろう。ラヴィーネとは、昔から嘘つきで人を操ろうとする嫌な女だ」
「──以前の私も、同じように考えていたのかと思うと、つくづく嫌になる。自分自身に虫唾が走る。彼女のどこが、人を操る女なのか。ラヴィーネは誰も操ることなどできていない。誰も彼もがラヴィーネを悪く言い、嫌っているだろう。本当に操ることができるのなら、誰にでも好かれて敬われているはずだ。そこにいる、エルーニャ家の天使のように」
「アイビーを悪く言うのか!? いくらアーバン公とはいえ、言っていいことと悪いことがある」
「……そういえば、王都の騒音が止んだな」
ジェイセンの言葉に、サイアスは「騒音?」と、首を傾げた。
アイビーは嬉しそうにぱちんと手を鳴らす。天使のような笑顔で、大きく頷いた。
「ええ、そうですね! ジェイセン様も気づかれましたか? とてもうるさかった音がようやく鳴りやみました。これで、王都も少しは暮らしやすくなりますね」
「アイビー……あなたにも、聞こえるの?」
「皆にも聞こえるのでしょう? ジェイセン様も今おっしゃっていましたよね。お母様も、王都にいると頭痛がひどくて。ヒルダおばあ様の建てたという時計塔……それが王都にもあるのです。おばあ様はあやしい呪術でもなさっていたのですね、きっと。だから、あんなものを……」
ジェイセンが剣を抜くのと、サイアスが剣を抜くのはほぼ同時だった。
しかし、ジェイセンのほうが早い。片手でサイアスの剣を抜いた手首を掴み捻りあげ、その首に剣の切っ先をぴたりと押しつける。
そこには、長く戦ってきた男の冷徹さと容赦のなさがあった。
彼の剣には迷いがない。だから早く、そして正確だ。
もし迷いがあればきっと──ジェイセンはとっくに命を失っていたのだろう。
それほどの戦いをしてきたのだと、その背中がラヴィーネに伝えてきた。
「アーバン公、なにを……っ」
「人に擬態し人を操る魔物がいる。知性を持つもの、と、アーバン家では呼んでいる。個体数は少ないが、過去には一つの村を掌握し住民同士を疑心暗鬼に陥らせて殺し合いをさせたものもいる。理由はわからない。知性があったとしても、魔物と人間は違う。考えかたも、生きかたも」
「何を言っている……! この手を離せ、剣を降ろせ!」
「操られているのか、それとも惑わされているだけなのかはわからないが──しばらく寝ていろ」
サイアスの捻りあげられた手から、剣が落ちる。
ジェイセンは彼の首にあてていた剣の束で、サイアスの後頚部を打った。
昏倒するサイアスから手を離す。サイアスは床に崩れるように倒れ込む。
「剣を抜くなど……ジェイセン、気でも触れたのか!」
「伯爵、あなたの母は、魔物避けの塔を建てていた。塔から放たれる不快な音が聞こえるは魔物だけだ。貴殿の妻と、そして娘は、魔物だ」
「馬鹿なことを言うな!」
「魔物を殺すのが、私の役目だ」
ジェイセンは、アイビーに向かい剣を振りおろす。
ラヴィーネは、両手で口を押さえた。悲鳴を飲み込む。
長年共に暮らした母と妹は、本当に魔物なのか。ジェイセンが彼女たちを斬ることが正しいのか、判断できない。ただ、やめてと言って止めることは、してはいけないのだと感じる。
そしてラヴィーネは、見た。
天井に蔓延る、異形の姿を。
それは、何本もの長い首を持つ蛇の姿をしている。
その蛇の胴体が、天井と一体になっている。
蛇の首が二本、母とアイビーの首に巻き付いている。彼女たちの肌が、どうしてかラヴィーネには鱗模様に見えて、そのおぞましさに喉の奥で悲鳴をあげた。




