アイビーは姉が嫌い
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物心ついたとき、思い知ったことがある。
どんなに努力しても勝てないものがあるということを。
アイビーの祖母ヒルダは、賢い女性だった。幼い頃、魔物によって滅んだ街の生き残りで、使用人として転々と働きエルーニャ家の下働きとなり、祖父に見初められた。
元々、魔物研究をしていた学者の家の娘だったらしい。
伯爵夫人になってからは小麦の改良をしたり、小麦を魔物の被害から守るための研究をしたり、土地の浄化の研究をしたりと、忙しなく働いた。
祖父にはよくわからないことばかりだったようだ。ともかく彼女は日夜文献とにらみ合い、共同研究者たちとともに研究室にこもり、王都に時計塔まで建てた。
これは祖母が建てたわけではなく設計をしただけなので、祖母の名は表に出ていない。
彼女がそれを望まなかったらしい。人々に知られたら、あやしい呪い師の類と思われるかもしれないと祖母は言っていたらしい。
どういう意味かを祖父さえ知らなかった。
彼女は秘密主義者で、研究に没頭して父を産んだのもかなり年嵩になってからだった。
伯爵家にとっては悪妻というぐらいに家庭を顧みない人だったらしい。
それでもその優秀さを、祖父は愛していたようだ。
『ほんとうに嫌な人だった。私を獣つきと呼んだのよ』
と、母はよく彼女のことを話しては怒っていた。
父によれば、祖母がどうして母を疎んでいたのかよくわからなかったらしい。
母は十四歳のとき、魔物に家を襲われて家族を失った。
親戚もおらず行き場をなくし、教会で働くようになった。
そこにやってきた父が母を見初めたのだ。
祖母と母は同じような境遇だというのに、祖母は母を嫌った。父が結婚したいというと、獣つきを家に入れるわけにはいかないと言って母を追い出そうとした。
姉を身籠ると、庭にうるさい音が響く時計の塔を建てて、母に嫌がらせをしたらしい。
父が時計の塔はすぐに壊し、祖母を部屋に閉じ込めた。祖父が病気で亡くなったこともあり、気落ちしていた祖母は、そからは大人しくなってしばらくして亡くなったのだという。
母は祖母を恨んでいた。姉は祖母に見た目が似ていたために、母はあまり好きではないようだった。
それでも──その優秀さや美貌を認めてはいたのだ。
『ラヴィーネは将来、素晴らしい人を婿に迎えるかもしれない。こんなに頭がいいのだから、きっとよい縁談に恵まれる』
そんなふうに、母も父も姉に期待していた。
このままでは私は誰にも愛してもらえないかもしれない──そう、アイビーは思った。
幼心でそこまで考えていたかのかは、いまとなってはよくわからない。
ただ、褒められる姉を見ているとすごく不愉快だった。
だから──嘘を、ついたのだ。
姉と遊んでいる最中、アイビーは大声で泣くことを覚えた。
『お姉様が、アイビーの人形をとったの!』
『アイビーのリボン、可愛いからずるいって、お姉様が無理やりとったの』
『お姉様がアイビーを叩いたの、変な顔って言って、虐めるのよ!』
全て嘘だ。姉はいつも優しく面倒を見てくれていた。
綺麗で賢いから自分のほうが上だと思っているのだとアイビーは思っていた。
泣きじゃくると、面白いぐらいに母も父もアイビーを信じた。
そのうち嘘はエスカレートしていき、いつしか姉は妹をいじめる最低な女になっていった。
アイビーが不幸で、姉が嫌なやつであるほどに、アイビーの株があがっていく。
皆を言いなりにできるのが楽しくて、姉が不幸になればなるほど、自分がちやほやされるほどに嬉しくて、アイビーは嘘をつき続けた。
涙をこぼして嘘をつくと、誰もがそれを信じてくれる。
生きるのはなんて簡単なのだろうと思いはじめたころ、姉の婚約が決まった。
サイアスは姉とアイビーの幼馴染で、豊かな領地を持つ侯爵家の次男。
親同士の話し合いで姉との婚約が決まった。サイアスは姉の悪い噂をあまり信じていなかった。
言葉を交わすと、ラヴィーネは大人しく賢い女性だ、どうしてよくない噂が流れるのだろう──などと言っていたから、アイビーは彼を誘惑して自分のものにすることにした。
たとえこのまま姉とサイアスが結婚して、アイビーはそれよりもさらに良縁に恵まれるのだとしても、姉の幸せだけはどうしても許せなかったのだ。
だって、アイビーは明らかに姉よりも劣っている。
長い時間をかけて化粧をして顔をつくり、努力して体型も維持している。
髪も爪も肌も全て手入れをさせて──姉をみすぼらしくさせてようやく、アイビーのほうが美しいといわれるほどに、姉とはなんの努力もしなくても綺麗な女だ。
許せなかった。母はよい血を全て姉に渡し、その残りでアイビーをつくったとしか思えない。
ジェイセン・アーバンという女嫌いの魔物殺しの元に嫁ぎ、不幸になればいい。
そう思っていたし、実際にそうなった。
姉はお飾りの妻としてジェイセンに見向きもされず、寂しい生活を送っていることをアイビーは知っていた。
先日の夜会に一人で現れたときは、腹を抱えて笑いたかった。
なんて情けない姿なのか、と。
だからアイビーは、アメリの話が嘘だと知っている。
ただ──どういうわけか、姉は今、幸せであるらしい。
幸せになってはいけない女なのに。
アイビーはさして興味もない男と結婚する羽目になったというのに、皆から一目を置かれているジェイセンに愛されている、女嫌いの男に大切にされているというのは──許しがたい。
「でも、どうしたらいいのかしら」
『大舞踏会に、魔物を呼べばいいのよ。それをラヴィーネのせいにするの。ジェイセンに武功をたてさせようとして魔物を呼んだことにしたらどう? 死罪になるわ』
幼いころから聞こえる声が、頭に響いた。
いつもアイビーの傍には、天使がいる。
姿は見えないけれど、声が聞こえるのだ。
その助言の通りにしていると、全て上手くいく。
だからきっと、今回も上手くいくに違いない。
アイビーの手には、真っ赤な目玉のような形をした魔物呼びの鈴がいつの間にか握られている。いつこれを手に入れたのか、自分でもよく覚えていない。
王都にいると時計塔の歯車の音が頭に響いてうるさいから、魔物を呼んで壊してもらおうとした。
でも、上手くいかなかった。アイビーは見ていなかったが、魔物は誰かに退治されてしまったらしい。
父と母が、王都に魔物が出るなんてと話していたので、失敗してしまったことは知っている。
「今度はきっとうまくいくわ」
『でも、先に時計塔を壊さないと。だってあれがあると、魔物をたくさん呼べないでしょう?』
アイビーは頷いた。それから窓の外を見つめて微笑む。姉がいかに最低な女かを皆に知らしめて、王城に魔物を連れ込んだ罪で死罪にしてもらおう。そうすればきっとアイビーは、もっと幸せになれるはずだ。




