アメリと麗しの天使
◇
アメリの実家は、小さな子爵家だ。アーバン公爵家とは古くからのつながりがある。
もう血は薄まってしまったが、何代も前の子爵家の娘がアーバン公爵に見初められて愛妾として大切にされた。彼女の産んだ息子は公爵家を継げず、跡目争いを避けるために子爵家に戻された。
そこから、アーバン公爵家は子爵家に色々と目をかけてくれるようになり、子爵家に生まれた娘はアーバン家で行儀見習いをすることになった。
アメリがアーバン家の侍女になったのは六年前。つまりアメリはジェイセンの傍に、ラヴィーネよりも五年も長くいたのだ。
働き始めたのは十六歳で、十八歳になったら家に戻されてどこかに嫁ぐ予定だった。
しかしアメリは戻らなかった。子爵家の両親には手紙を書いた。ジェイセン様は私を愛してくれている、時期が来たら妻に迎えられるから待っていて欲しいと。
ジェイセンが特別に気にかけてくれているような気がした。アメリがいれた紅茶を飲んで美味しいと言ってくれたし、おはようと言えば挨拶を返してくれた。
ジェイセンは女を傍に近づけないが、自分だけは別だと、アメリはずっと思っていた。
それ以外の交流はなかったが、アメリはジェイセンが好きだった。
そもそも顔がよかったし、彼の立場も十分過ぎるほど。
ジェイセンの部屋からシャツや上着を自分の部屋に持って行ったのは、彼が不在のときの心の穴を埋めるため。抱いて眠っていたのは、アメリだけの秘密だった。
そのうち本物のジェイセンが、抱きしめて眠ってくれる。
そう信じていたのに──彼は家のためにエルーニャ家の娘を娶ることになった。
しかも相手は太陽姫と呼ばれているアイビーではなく、蛇毒のラヴィーネだ。
噂によればラヴィーネが我儘を言い、アイビーからジェイセンの妻の座を奪ったのだという。
なんて女だと思い、アメリは彼女を追い出すことにした。
所詮はお飾りの妻。ジェイセンも追い出して欲しいと望んでいるに違いない。
だから使える金を制限し、食事も抜いた。掃除もおざなりに、他の侍女たちにもラヴィーネを放置するように命じた。ロアンにはラヴィーネの悪口をふきこんだ。
うまくいっていたのだ。ずっと──あの男が現れるまでは。
セインという名の男は、ジェイセンの兄なのだという。婚外子で、長く国を放浪していたが、ラヴィーネの不遇を耳にして戻ってきたとか、なんとか。
ジェイセンに似ているが、もっと年上でどことなく陰湿な雰囲気がある。
よいのは顔だけだ。セインは彼を追い出そうとした兵士たちの腕を軽々と折り、アーバン家を支配した。粗野で、品がない。ジェイセンとは違う。
ジェイセンはセインを追い出し、ラヴィーネを見限って、アメリの味方をしてくれると思っていたのに。
結局──追い出されたのはアメリだった。
子爵家に戻されたら両親から叱責されて、慰謝料のためにどこかに嫁がされるだろう。
悪いことはしていないのに、全てはジェイセンのためにやったことだったというのに、怒られるのは嫌だ。家族から失望の目を向けられるのは怖い。
今までアーバン家の全てを掌握し、好きなように侍女を配置し使用人に命令して、不自由なく暮らしてきた。アメリの幸福な生活が壊れたのは、全てラヴィーネのせいだ。
そうだ──と、アメリは連れ戻された子爵家の前に立ち、いいことを思いつく。
アーバン家の使者が両親にアメリの罪と慰謝料について説明している。
両親はアメリに「なんてことをしてくれたんだ!」「馬鹿な子……!」と怒鳴る。
アメリは自室に連れて行かれる。反省しろ、部屋から出るなと言われたが──その日の夕方には、家を出た。
このまま泣き寝入りなんてしたくない。
持ち出した宝石を売り払い作った金で馬車を乗り継ぎ、王都に向かう。そしてアメリは、エルーニャ家の扉を叩いた。
近々王城で大舞踏会が開催されるため、アイビーはおそらく王都に滞在している。
多くの貴族がそうであるように、王城で催し物がある前は、自領から王都に来ている場合がほとんどなので、アイビーもそうだろうと予想した。
アメリは姿を隠すためのマントを羽織り、薄汚れた姿をしている。
普通ならば不審な女が尋ねてきても話を聞かずに追い出すだけだ。
けれどアイビーはそうはしないだろう。皆から慕われている、心優しき麗しの天使。
同じ姉妹でも、ラヴィーネとは真逆だと皆が言っているのだから。
「誰だお前は、立ち去れ!」
扉を開いた使用人が騒ぐので、アメリは中に聞こえるように大きな声をあげた。
「お願いです、アイビー様にラヴィーネ様のことでお話が……! 私はアメリ、アーバン家の侍女です!」
「嘘をつけ!」
「──いいわ、通してちょうだい。あなた、そんなに汚れて可哀想に。まるで盗賊にでも襲われたみたいだわ。なにがあったの?」
噂通り、アイビーは慈悲深い女性だった。
使用人をたしなめ、アメリを部屋に入れてくれる。客人のように紅茶を出し、心配そうな視線を送る。
「実は……アーバン家から逃げてまいりました。アーバン家はいまや、ラヴィーネ様に支配されています。ラヴィーネ様はか弱い女のふりをしてジェイセン様に取り入って……影では女は邪魔だと。侍女をいじめ、追い出して……このままではジェイセン様が不幸になってしまいます」
「そう……」
「本来ならば、アイビー様がジェイセン様の花嫁であるはずだったのに。ラヴィーネ様のせいで全てがおかしくなってしまいました」
「この間、お姉様は一人で夜会に来たのよ?」
「それは……その、ジェイセン様は忙しい御身分ですから。ラヴィーネ様はよほど、ジェイセン様の妻であることを自慢したかったのでしょう。一人での参加など、恥知らずなことはやめてほしいとお願いしたのですが、聞いてもらえず」
アイビーはなにかを考えるように、大きな瞳を伏せた。
どくどくと心臓が脈打つ。嘘だとばれたらどうしようかと、背中に冷や汗が流れる。
「それで──お姉様は、幸せそうなのかしら」
「え、ええ、はい、とても……」
「ジェイセン様というのは女が嫌いだと聞いていたけれど」
「そう、そうなのです。それなのに……ラヴィーネ様はよほど男を手玉にとるのが上手いのでしょう」
「お姉様が……そうね。男性をたぶらかすのが上手なの。サイアス様も騙されて……お可哀想に。でも、ジェイセン様も可哀想だわ。あなたも可哀想ね。どうにかしなくてはいけないわね」
大丈夫、任せてちょうだい──と、アイビーは花が咲いたような笑みを浮かべた。




