時計塔の記憶
セインはどこかで食事でも──と言っていたが、ジェイセンの怪我が気になったために、ラヴィーネはセインを説得して公爵家に戻ることにした。
「この程度の怪我はよくある、問題ない」
「きちんと治療をしないと、命に係わるかもしれません」
強がるジェイセンも説得することになったのは、やはり同一人物というべきか。
頑ななところが、どうにも似ている。
公爵家に戻ると、医師を呼んだ。「ガーゴイルの爪による傷ではなくて幸いでした」と、医師は言う。
「どういうことですか?」
「ガーゴイルは魔素が濃い。魔素、もしくは瘴気と呼ばれるもの。土地を汚染する原因であり、魔石などの恩寵を同時に与えるものだ。遠くの相手と話ができる呼び鈴や、尽きぬ炎の魔石ランプ、冷気を放つ炉なども、アーバン領で流通している魔道具は全て汚染された土地からとれる鉱物でできている」
「そうなのですね。その土地を汚染する力が、ガーゴイルという魔物は濃かった……」
「いうなれば、それは呪いだ。アーバン家の血筋の者は、多少の瘴気が体に入っても、長年それが蓄積されて慣れたせいかたいした影響を受けない。しかしガーゴイルのような強い瘴気を持つ魔物に傷つけられると、その部分は使えなくなってしまう。ようするに、正常な機能を失う」
セインの説明を聞いて、ラヴィーネは治療を終えたジェイセンと、腕を組んでそれを見ているセインを睨んだ。
「ど、どうして、先にそれを言わないのですか! セイン様は食事をというし、ジェイセン様はたいしたことはないというし……腕が、動かなくなってしまうところだったのですよ……!」
「……心配を、してくれるのか」
「当然です……!」
「ラヴィ、どの程度の怪我なのかぐらい、見ればわかる。ジェイセンの腕を斬ったのは風の刃だ、ガーゴイルの瘴気は体に入っていない」
「それでも、怪我をしたら痛いですし、すごく危ないところだったのですよね。お二人とも……ご自身の体を大切にしてください」
セインは時計塔から落ちようとし、ジェイセンは己の怪我についてなにも言わない。
ラヴィーネは優しくジェイセンの傷に包帯の上から触れた。
「ジェイセン様は、王国の皆にとってなくてはならない人です。アーバン家の血筋が失われたら、多くの人が困ってしまいます」
「……そうだな」
「それに、私も。あなたが怪我をするのは、嫌です」
医師がさがり、応接間にはラヴィーネたち以外には誰もいなくなる。
テレーズや侍女たちはジェイセンを心配してしばらく傍にいたものの、それぞれ自分の仕事に戻っている。
静かになった部屋の長椅子に座るジェイセンの隣で、ラヴィーネは彼の包帯が巻いてある腕を撫でて、それから手を取った。握り返してくれる。大丈夫、きちんと動く。
「ラヴィーネ、俺はお前を傷つけた。だというのに、お前は俺に……愛を、与えてくれているように感じる」
「愛……なんて、大それたものではないですけれど、私はあなたの妻ですから、あなたを心配するのは当たり前です」
「俺は許されないことをしただろう」
「私は許していますし、はじめからあなたを責める気なんてありません。だから、あなたが私を傷つけた話は終わりにしませんか。私だって、あなたと話せなかったのですから。同じぐらい罪があります」
「──俺は、お前の夫として、お前を愛していいのか。お前は俺の血が途絶えると困るという。……お前がその血を、繋いでくれるのか」
握った手を、強く引かれる。ジェイセンの腕の中に倒れ込みそうになったラヴィーネの腰をセインが抱いて、彼から引きはがした。
「傷が開くぞ、ジェイセン。大人しくしていろ、駄犬が」
「お前を時計塔から落としておけばよかった」
「残念だったな。……私の役目はもう終わったかと思ったが、まだ時間が与えられている。ラヴィをもう少し愛でることができそうだ」
「セイン、いい加減に──なにがあったのかを話せ。時計塔はガーゴイルに襲撃され、壊されたのか?」
ラヴィーネを抱きあげたセインは部屋を出ていこうとして、足を止める。
彼はなにかを隠したがっている。だから全てを話そうとしない。
ガーゴイルのこと、時計塔のこと、祖母のこと。
その全てはきっと、ラヴィーネに関係しているのだというのは聞かなくてもわかる。
だからこそ、話そうとしないのだろう。
「セイン様、私も知りたいです。あなたは私を助けるために、来てくださったのですよね。二度、私を助けられなかったと言いました。私は時計塔でも、怪我を……?」
セインはしばらく黙っていた。扉の前から、部屋の中に戻る。
ジェイセンの正面にあるソファに、ラヴィーネを抱いたまま座った。
ラヴィーネの髪に顔を埋め、目を伏せる。
「──ガーゴイルの襲撃が起こるのは、今日ではなかった。それが起こったのは、私の記憶ではラヴィが大階段から落ちて怪我をしてから、半年後のことだ。ラヴィは時計塔に一人でのぼった。そこに、ガーゴイルが襲来した」
「私は、一人で?」
「なにをしていた、セイン。なぜ、ラヴィーネを一人にした。一人で行かせた!」
「──お前ならば、わかるだろう、ジェイセン」
「……っ」
セインの指摘に、ジェイセンは息を呑んだ。
それは己が未来から来なかったジェイセンの話だ。ジェイセンはきっと、ラヴィーネを蛇毒だと思い続けていたのだろう。ラヴィーネもまた、ジェイセンと話をしようとしなかったはずだ。
そう思い、ラヴィーネは怪我をした自分に思いを馳せる。
時計塔の鐘を鳴らすと、願いが叶う。叶えたい願いがあったのだろう。
怪我をした足を引きずっても、のぼらずにはいられなかったほどに、叶えたい願いが──。
「ラヴィは怪我をしたが、命は無事だった。私は……守ることができなかった。それどころか、離れた場所にいて、怪我の報告をあとから聞いた。ガーゴイルによって時計塔が壊された。それから多くの魔物が、王都に湧くようになった。時計塔の修復はできなかった。その技術は、失われてしまっていた」
淡々とセインが告げる内容から、時計塔が壊れたあとの王都の悲惨さが伝わってくる。
セインは──悲惨な未来への道筋を断ち切ったのだろうか、ラヴィーネを守る、という形で。
「ふざけるな……偉そうにしていたくせに、お前はラヴィーネを傷つけたのか、取り返しができないほどに、深く……!」
「あぁ。だから私はお前が嫌いだ、ジェイセン」
「あ、あの、喧嘩は、もう……! 未来の私は怪我をしました。ですが、セイン様は怪我をした私を見捨てずに、誤解がとけたあと大切にしてくださったのでしょう? だとしたら未来の私も幸だったはずです。ですから、ジェイセン様は怒らないでください。セイン様も、悲しまないでくださいね」
今ここにいない、セインのラヴィーネの気持ちを、ラヴィーネは代弁する。
自分のことだ、自分が一番よくわかる。
今のセインが彼女の傍にずっといてくれたのだとしたら、彼女はとても幸せだっただろう。
怪我など、気にする必要もないぐらいに。
「……でも、幸せだったはずなのに、どうしてセイン様は私の元に来てくださったのでしょう。私の怪我について、それほど気に病んでくださった……?」
「時計塔が壊された五年後。大規模な魔物の襲撃が起こった。……多くの者が不幸になった。時計塔さえ壊れなければ、あのようなことにはならなかっただろう。私が防ぐべきは時計塔の破壊だったが、私が守りたかったのはラヴィだ。だから、私はここに。話せるのはこれだけだ」
セインはそこまで話すと、深く息を吐き出した。
だとしたら──運命が変わったのだろうか。
ジェイセンは眉間に皺を寄せ、なにかを思い悩むように目を伏せる。ラヴィーネはセインの髪を撫でた。彼の苦しみが声音から伝わってくる。
そこにはどこまでも深い、触れたら吸い込まれてしまうような悔恨があった。




