時計塔のガーゴイル
朝の時計塔は、まだ混雑していない。
昼過ぎになると順番待ちをするぐらいに込み始めると、セインが番兵に購入したチケットを渡して、中にラヴィーネをいざないながら説明してくれる。
ジェイセンは「俺の金だが」と言ったあと、「いや、さすがに今の言葉は情けない、忘れてくれ」と否定した。
朝の時間帯が空いているのは、一般公開が昼からだからだ。
午前中は高額な入場料を支払う必要があるものの、購入者のみの入れ替わり制になっている。
長い螺旋階段を時々休憩しながらあがっていく。僅かに息が切れるとセインが振り向き「大丈夫か」と心配し、ジェイセンはラヴィーネが足を踏み外さないように、時々背後から背を支えてくれる。
展望台に近くなるにつれ、中央に大人の身長と同じぐらいの歯車がいくつも連なっている光景が現れる。
時計を動かすための歯車がゆっくりと動いているのを眺め、その歯車の一つに刻まれている名を目にする。
「これは……」
「ヒルダ・エルーニャ。君の祖母の名だ」
「私のおばあさま……」
ラヴィーネの見目は、祖母に似たという。祖母は母と折り合いが悪かった。
物心ついたときにはもう亡くなっていたからラヴィーネは祖母を知らないが、母の口ぶりではずいぶんな烈女だったようだ。
祖母が何故母を嫌っていたのかはわからない。単純に馬が合わなかったのか、それとも別の理由があるのか。
母の出自が気に入らない──ということもあったのかもしれない。
彼女は没落した子爵家の令嬢である。母の生家は魔物に襲われてほとんどのものが食われた。生き残った母は頼る者がなく、教会に拾われてシスターとして働いた。
たまたま狩りの途中に大雨に降られた父が教会に立ち寄り、母を見初めた──と聞いている。
素敵な恋の話だとラヴィーネは感じた。そんな二人の邪魔をした祖母はひどい人間で、祖母に似ているラヴィーネを母が嫌うのも頷ける。
『お前は義母に似ている、きっとあの女のように育つに違いないわ。だからお前は妹をいじめるのよ、本当に嫌な子ね』
幾度母に言われたかわからない言葉を思い出す。そんな祖母の名を、こんな場所で見るなんて。
セインは知っていて、ラヴィーネをここに連れてきたのだろうか。
「ヒルダ殿は、たいそう頭のよい方だったそうだ。時計塔ができたのが五十年前、その設計に力を貸して資金も提供した一人がヒルダ殿。歯車に名が残っているのは、設計者の証だな」
「エルーニャ家では、祖母の話は禁忌でした。母の怒りの中にしか、その名は出ることはありませんでしたから。立派な方だったのですね」
「──何故、お前はそんなことまで知っているのだ、セイン」
「時計塔はただの時計塔ではない。ヒルダ殿と共にここを設計したものたちは、魔物避けの結界を王都に施した。彼らは研究を重ねて、魔物が嫌がる音があることに気づいた。人には聞こえないが、時計塔の歯車が回るたびにその音が響き、王都に魔物を寄せないようにしている」
ジェイセンは驚いたように目を見開いて、それから「知らなかった」と言う。
ラヴィーネも、祖母とはそれほど優秀な人だったのかと驚いた。
「まったく魔物が寄らない、というものではない。しかし王都に襲来する魔物の数は激減している。一定の効果は出ているのだろうな」
「何故祖母は、そんな研究を……」
「ヒルダ殿のご両親は魔物に殺されている。彼女もまた、孤児だったのだ」
「ですが、それなのに母を嫌っていたのですか?」
「同類嫌悪という言葉がある。同じような境遇の女が息子の妻になることが、気に入らなかったのかもしれない」
歯車の横を通り過ぎ、展望台に出る。
眼下に家々の屋根が連なっている。王都全域を見おろすことができる高い展望台の中央に、小さな鐘楼がある。鐘を鳴らすと願いが叶うといわれているのも頷けるぐらいに、天に近い場所だ。
「ジェイセン、私がなぜこのようなことを知っているのかと、お前は言ったな。魔物が襲来し、時計塔が壊される。それは私の二番目に最悪な記憶だ。一番目は──ラヴィを守れなかったこと。そして二度目も、守ることができなかった」
「どういうことだ」
セインはラヴィーネの手をとり鐘楼の鐘からのびる紐を握らせる。
「君は今、何を願う?」
「私は……」
何を──願えばいいだろう。
セインもジェイセンも、優しくしてくれる。美味しい食事に、安全な家がある。もう誰もラヴィーネを傷つけない。
「……私は、セイン様やジェイセン様のおかげで、幸せです。はじめて……人として生きることができたような気がします。ですから、私の願いは……お二人が、幸せになること」
ラヴィーネは、鐘を鳴らす。
その手にジェイセンとセインの手が重なった。
幸せがなにかは、わからない。けれど辛いことが起こらないように。未来に戻ったセインが、彼のラヴィーネと幸せに暮らしていけるように。
皮膚を震わせるような金属音が、重く響く。ふとその中に混じる、何かが風を切る音が聞こえた。
先に反応したのは、ジェイセンだった。彼は剣を抜き、音の主に向かい振り向く。
セインはラヴィーネを片腕で庇った。
振り向いた先には──空から襲来する、人の体に蝙蝠の翼が生えた黒い怪物がいる。
「もう来たのか、ガーゴイル……!」
セインが呟く。凶悪な爪と牙を持つ化け物は、剣を向けるジェイセンに向かい大きく翼を広げて襲い掛かった。




