おやすみなさい、また明日
食事を終えた後、セインは立ちあがりラヴィーネを抱きあげた。
「部屋に戻ろうか、ラヴィ。眠る前に、本を読もう。何がいいかな。君の好きな、星の神話の話にしようか」
「星の神話……?」
「あぁ。書庫に並んでいる。君はそれをとても気に入っていた。部屋に運ぼう」
その話を、ラヴィーネはまだ読んだことがない。それはセインの知るラヴィーネの話だ。
読んでみたいと思い、ラヴィーネは頷く。
ジェイセンは──と、彼に視線を送ると、彼も椅子から立ちあがる。
その体が、ぐらりと揺れた。激しい眩暈を感じたように、床に片膝をつく。
ラヴィーネは慌ててセインの胸を軽く押して、彼の腕の中から降ろしてもらう。
ジェイセンに駆け寄って体を支え、大丈夫かとその顔を覗き込んだ。
「ジェイセン様……!」
「──大丈夫だ。なんでもない」
青ざめた顔で、ジェイセンは言う。目の下にはくっきりと隈が浮かんでいる。
彼は、つい昨日まで魔物討伐をしていたのだ。王都まで一晩、馬を駆けさせてきた。
ジェイセンはそれを口にしないが、きっとそうなのだろう。
「気づかいが、足りませんでした。早くお休みになったほうがいいです。とても、お疲れでしょうから」
「この程度で疲れたりはしない」
「でも、眠っていないのでしょう?」
「慣れている。問題ない」
体を酷使することに、慣れるもなにもないだろう。
慣れているつもりでも、体は悲鳴をあげているはずだ。いつか、倒れてしまう。
ラヴィーネが、自分でも気づかない間に衰弱して、城の階段から転げ落ちそうになったのと同じように。
「ジェイセン様のお部屋に向かいましょう。ベッドで休んでください。きちんと、眠らないと……」
「問題ないと言っているだろう」
「私のせいで無理をしてあなたが倒れてしまったら、私は自分が許せません」
ジェイセンが倒れたら、困る者が大勢いる。彼は公爵家の一人息子だ。前公爵と妻の間に、ジェイセン以外の子はできなかった。アーバン夫人は浮気をしていたが、妊娠はしなかった。
子を産むことは、彼女にはもうできなかったのかもしれない。
ジェイセンの父は妾を作ろうとはしなかった。妻を憎み、それでも自身は別の女性に目を向けることはなかったのだ。きっと妻を愛していたのだろうと、ラヴィーネは思う。
病気になった彼女の治療をしなかった。それほどまでに、彼女を愛し、同じぐらいに憎んでいた。
ともかく、アーバン家には今、正当な後継者がジェイセンしかいない。
ラヴィーネのせいで彼になにかあったら、一生自分を許すことはできないだろう。
「ただの、寝不足だ。たいしたことはない」
「お部屋まで、お連れします。あなたには休息が必要です」
「必要ない」
「ジェイセン様……」
部屋に戻ることを拒否して、ジェイセンは立ちあがる。疲労の色が濃い彼を咎めるように、ラヴィーネは名前を呼んだ。
どうして頑ななのだろう。ただ、部屋で休んで欲しいだけなのに。
「おい、クソガキ。さっさと休め。寝不足と疲労で倒れたら目も当てられん。お前は、坑道の魔物を討伐していたはずだ。探索に長く時間がかかった。他人を信用しないお前は、いつも前線に出る。自分のせいで部下を失うのが嫌だからだ。ろくに休息もせずに働いて……今は倒れそうになっている。ラヴィに余計な心配をかけるな」
「黙れ。余計なことを言うな」
「自分自身のことは自分が一番よくわかっている」
「……俺が部屋に戻れば」
ジェイセンはそこで言葉を区切る。ぐしゃりと前髪を握り、きつく眉根を寄せた。
「──お前たちは、二人きりになるだろう」
絞り出すような声で彼は言う。そんなことを気に病んでくれているのかと、ラヴィーネは目をしばたかせた。
彼の腕にそっと触れる。ジェイセンはラヴィーネの手に、自分の手を重ねた。
「セイン様とは別々の部屋で過ごします」
「それはできないな。ラヴィが嫌がろうと、私は君の傍にいる」
ジェイセンに心配をかけないように提案したが、それはすぐに却下されてしまった。
ラヴィーネはそれならばと、別の方法を模索する。
ジェイセンは嫌がるかもしれないとふと思ったが、それでもこのまま彼を放っておくよりはずっといい。
「ジェイセン様も、私の部屋にいらっしゃいますか?」
「……それは、共に寝る、ということか」
「はい」
「お前は、嫌だろう」
「いいえ。夫婦ですから、嫌なことはなにも」
ラヴィーネの手の甲を包んでいるジェイセンの手を、ラヴィーネは握った。
彼は頬を染めて視線を逸らす。背後からセインがラヴィーネを抱きしめて「よかったな、ジェイセン」と冷めた声で言う。ちらりとセインを仰ぎ見る。彼は、怒りとも憎しみとも、羨望ともつかない視線をジェイセンに向けている。
「邪魔でしかないがな」
「ここにいるラヴィーネは、お前のものではない」
「ラヴィに優しくしてもらったからといって、お前の罪が許されたとは思うな。調子に乗るなよ、ガキが」
何かあればすぐに言い合いになる。まるで相性の悪い大型犬が道端で出くわしてしまい、吠え合っているようだ。
「セイン様、落ち着いて。ジェイセン様も、その、お願いですから、いい子にしてください……!」
ラヴィーネはとうとう二人を叱った。ただ休んで欲しいだけなのだから、喧嘩になる必要はない。
同類嫌悪とはいうが、同じ人間だと余計にそうなってしまうのだろうか。
言ってしまってから、慌てて口をおさえる。いい子にして、はないだろう。
セインがあまりにもクソガキというものだから、ついジェイセンを子ども扱いしてしまった。
年上の男性だというのに。
「……いい子に、するとは……どうすればいい」
ジェイセンは怒るかと思ったが、心なしかしゅんとして、ラヴィーネに伺うように尋ねてくる。
「──私のいうことをきいてください。こちらにどうぞ」
一瞬、言葉を失う。大型犬は、ラヴィーネの前ではやけに素直だ。
ラヴィーネはジェイセンの手を引いて、部屋に連れていくことにした。
背後から抱きしめてくるセインを、ずるずると引きずるようにしながら。とてつもなく歩きにくいが、仕方ない。
ベッドに案内すると、大人しく彼は横になる。
ラヴィーネは彼の隣に座る。眠るにはやや早い時間だ。でも、ラヴィーネも少し疲れている。
セインがラヴィーネの体に腕を回した。ジェイセンはラヴィーネから距離を置こうとする。
「ジェイセン様」
甘えることを知らない男に、ラヴィーネは手を伸ばした。
腕の中に抱くと、ジェイセンはラヴィーネの腰に手を回して丸くなり、大きな体を小さくする。
体格のいい男たちに挟まれると、広いベッドが手狭に感じた。
「お休み、ラヴィ。私は明日も、君の傍に」
「ラヴィーネ……お休み」
「お休みなさい、お二人とも。どうかよく、眠れますように」
悪夢が彼を苦しめないようにと、ラヴィーネは祈る。
ガーベラの花が、テーブルに二つ置かれた花瓶に飾られている。
目を閉じると、彼の母が花で満たした部屋の中で立ち竦む、幼いジェイセンの姿が思い浮かんだ。




