葡萄食べさせあい合戦
桃やオレンジ、無花果やパイナップル、葡萄やマスカットなど、この世の天国かというほどの果物の盛り合わせが皿の上につみあがっていく。
その間にセインは手早く料理を続けている。テレーズたちはセインの背中に憧れの視線を送っている。
料理人たちの感嘆するほどに、セインは料理上手だ。
両手を果汁でびしょびしょにしているジェイセンが、いつかセインのようになるのかと思うと、十年という歳月の長さを感じた。
手が濡れてしまうのは仕方ない。どうしても、果物を剥くと手は汚れてしまうものだ。
ラヴィーネもジェイセンと同じように、甘い匂いのする果汁を両手から滴らせている。
「ある程度はできたな。あとは盛り付けて並べるだけだ。ラヴィ、素晴らしい。完璧に果物を剥いてくれたのだな。君は器用で、料理も上手い。その上愛らしい。非の打ち所がない女性だ」
「……っ、ありがとうございます」
ジェイセンが剥いた不恰好な果物を見ないようにしながら、調理の手を止めたセインがラヴィーネを褒める。
過剰な気もするが、セインは心からの褒め言葉を伝えてくれているのだとわかる。
彼がラヴィーネにむけてくれる感情は、常に真剣だ。未来の自分自身が、少し羨ましくなるほどに。
だから、否定しないで礼を言った。そんなことなんてない、自分なんて、無価値──などと口にできなくなってしまうほどに、セインはラヴィーネを真綿で包むように大切にしてくれる。
泥まみれの土底の小さな金の粒を、美しい金飾に変えてくれるように。
微笑み礼をいうラヴィーネの手を、セインは取ろうとした。
慌てて手を引っ込める。今は触られるわけにはいかない。なんせ、べたべたしている。
ジェイセンが何か言いたげな顔で、ラヴィーネを見ている。ラヴィーネを褒めるセインの言葉を耳にするたび、表情が暗くなっていく。頭上から見えない巨石が落ちてきて、どんどん彼の肩に積み重なっていくように見える。
それぐらい、重苦しい苦渋と後悔と罪悪感に塗れたようなどんよりとした空気が、ジェイセンから漂ってくる。
ジェイセン様も頑張りましたよね──と、励まそうとした。その前に、セインはラヴィーネの剥いた果物を指差す。
「料理をして、少々喉が渇いた。葡萄を、一粒口に入れてくれないか? ラヴィの手で」
「手で……!?」
「あぁ。どのみち手が果物で汚れているのだから、構わないだろう」
「で、ですが、それはお行儀が」
「葡萄であれば問題あるまい」
「待て。何故ラヴィーネがそんなことをしなくてはならんのだ。果物が食いたいなら、俺が食わせてやろう。窒息するぐらい口に詰め込んでやる、安心しろ」
激しく落ち込んでいる様子のジェイセンが、果物の入った器を握りしめる。
今すぐセインに向けて果物をぶちまけそうな勢いだ。ラヴィーネはジェイセンに食べ物を大切に、という気持ちを込めた瞳を向けた。せっかく綺麗に並んだ果物が気がかりすぎて、泣きそうな顔になってしまう。
それは貴重な食べ物なので、できることなら大事にしてほしい。
せめて、ラヴィーネの腹に入るまでは、大切に。
床に落ちたとしても、食べることはやぶさかではないものの、できれば皿の上の果物を味わいたい。
「……そんな目で、見るな」
「今、ラヴィが可愛いと思っただろう」
「思って、な……くはない」
「可愛いラヴィを指を咥えて見ているがいい。私は今、ラヴィと話している。黙っていろ、ジェイセン。無粋な」
セインが口を開ける。ラヴィーネは葡萄を一粒手にした。大ぶりの味で、種がない。皮ごと食べることのできる、庶民では手に入らない高級品だ。
セインの口に運ぶ。背の高い彼は、ラヴィーネに顔を寄せてくれる。
薄い唇の奥に、綺麗に並んだ白い歯と、赤い舌が見える。妙に、色香を感じる。胸が詰まるような感覚に、知らず息が止まっていた。
口の中に葡萄を入れると、腕を優しく取られる。彼の舌がラヴィーネの指先を軽く舐めた。
驚きに目を見開くラヴィーネの表情を食い入るように見つめながら、彼の唇は指先を咥えて、ちゅっ、と小さなチップ音を立てて離れていく。
「ぁ、ひ、ぁ……っ」
動揺のあまり変な声が出てしまう。一拍置いて何をされたのか完全に理解して、ラヴィーネはびしょ濡れの手で顔を隠した。果汁のせいで、髪も顔もべとべとになってしまう。
「美味しい。もっと、欲しい。ラヴィ、手を」
「セイン……死ね、今すぐ死ね。あぁ、クソ、お前が俺とは思いたくない……!」
「嫌になる程、同じだろう。お前も同じことをしたいと思ったはずだ」
「二度と余計なことが言えないようにしてやる」
「お二人とも、怪我をするようなことは、しないでくださいね……!」
羞恥に顔を隠しながら、ラヴィーネは叫んだ。せっかく美味しい料理も果物も用意できたのに、調理場で暴れられたら台無しになってしまうかもしれない。
それはとても心配だ。もちろん、二人に怪我をして欲しくはない。できれば喧嘩もしないで欲しい。
「ラヴィが嫌がることはしない」
「ラヴィーネが嫌がることは、しないと誓おう」
ほぼ同時に、セインとジェイセンが答えてくれる。
ラヴィーネは顔を隠していた手を退ける。セインは優しい表情で、ジェイセンは困ったようにラヴィーネを見つめている。
ラヴィーネは少し考えて、ジェイセンの側に近づいていく。
「ジェイセン様、私のことを、お嫌いではないのですか……?」
「俺が嫌っていたのは、女と、お前の噂だ。お前自身のことを知ろうとはしなかった。お前がどういう人間かを知った今、嫌うなどあり得ない。むしろ、俺はお前に嫌われるようなことしかしてこなかった」
「いいえ。そんなことはありません。ジェイセン様は私をアーバン家に置いてくださいました。私にとっては、それだけで……十分だったのです」
「……俺は、愚かだった」
「そんなことはありません。ジェイセン様は日々、領民や民のために戦ってくださっています。命の危険があるのに、文句も言わずに。愚かなんて」
「……っ」
ジェイセンは息を呑む。とても大人びて見えていた彼だが、そういえばラヴィーネとそう年齢が変わらないことを思い出した。ずっと、戦ってきたのだろう。一人ではとても抱えきれないほどの責任に押し潰されそうになる日も、あったのかもしれない。
「……あ、あの、ジェイセン様も、お料理、お疲れ様でした」
不器用で力の強い男が、潰さないように果物を剥いたのだ。
とても神経を使っただろう。疲れ果てているはずだ。
ラヴィーネは濡れた手を清潔な布巾でふいた。それから葡萄を一粒手にして、ジェイセンの口元に持っていく。
セインがして欲しいと言うことは、ジェイセンもして欲しいこと。なんとなく、理解してきた。
「いい、のか」
「どうぞ」
ジェイセンは口を開ける。彼の顔は、耳まで真っ赤になっている。
なんだか可愛らしいと思いながら、ラヴィーネは彼の口に葡萄を入れた。
ジェイセンの瞳が、何かを伺うようにラヴィーネを見つめる。セインに指を舐められたことを思い出してしまう。
さっと手を離して、距離を取る。
とても大胆なことをしてしまった。今度はラヴィーネが赤くなる番だ。
「ラヴィーネ様、湯浴みとお着替えをしましょう、手も髪も汚れてしまいましたから」
場をとりなすように、テレーズが声をかけてくれる。
ラヴィーネはありがたくそれに従った。慣れないことばかりで、そろそろ心が限界を迎えていた。
恥ずかしさと戸惑いで、できることなら今すぐクローゼットに隠れたいとさえ、思った。




