花言葉と植物辞典
◇
テレーズたちと一緒に部屋に飾る花を切ってそろそろ戻ろうかと話していると、急に彼女たちが色めきだった。
皆、どうしてか頬を染めてラヴィーネから離れていく。
どうしたのかと彼女たちの視線の先に顔を向けると、セインがこちらに歩いてくるところだった。
ラヴィーネの後ろに控えているテーレズたちが「セイン様だわ」「素敵」と囁き合っている。
セインはラヴィーネが眠っている間に、警備兵たちの骨を折りこの家を掌握したらしい。
彼女たちは、怖くはないのだろうか。
むしろセインの存在は、彼女たちにとって救世主のようなものだったのかもしれない。
それほどアメリが恐ろしかったのだろう。
「あ、あの、皆……?」
「私たちのことは気になさらず」
「使用人とは、壁のようなもの」
「主人を見守る壁です」
テレーズたちは口々に言った。壁にしてはずいぶん華やかだ。
セインはラヴィーネの前で足を止める。ラヴィーネが両手で抱えているガーベラの花束を、ラヴィーネの手ごとそっと包んだ。
花に顔を近づける。伏し目がちになると、まつ毛の長さがよくわかる。
「ガーベラだな。桃色のガーベラの花言葉は、愛。十一本は、あなたは私の最愛。ラヴィ、私のために摘んでくれたのか?」
「え……っ、いえ、そうではなく」
「ありがとう。私も君を愛している」
「ま、まってください、セイン様……っ」
包み込んだ手をひき、セインはラヴィーネに体を寄せてくる。ラヴィーネは慌てて、彼の耳に唇を寄せた。
「あなたはジェイセン様のお兄様、ということになっているのですよね? こういう態度を皆の前でとるのは、よくありません。私は、ジェイセン様の妻ですから……」
「純真で無垢な私のラヴィ。あんな男に義理立てする必要はない」
「ジェイセン様もあなたも、お母様の不貞に心を痛めたのでしょう? 私が同じ思いを、ジェイセン様にさせるわけにはいきません」
正確には浮気ではないのだろうけれど。だが、状況だけ見れば不貞になってしまう。
もちろんセインに感謝しているが、かといってジェイセンを裏切りたいわけではないのだ。
ジェイセンがラヴィーネに冷たくしていたのには、理由があった。
この半年は確かに少し辛かった。それでも伯爵家に居続けるよりはよかった。その上ジェイセンは、ラヴィーネの元に来てくれた。それだけで十分だと感じる。
「……君はなんて、心優しいのだろう。あんな男に……こんな私に、思いやりと慈しみをくれる。だが、気にしなくていい。あれも私が自分自身だと理解している」
「ですが、人の目があります」
「使用人など壁と同じ。気にするようなものではない」
「そんなことはありません。雇用関係にあるとしても、私も彼女たちも同じ人です」
「君は同じだな。私のラヴィーネと、同じ。……君はいつでも新鮮な驚きを、私にくれる」
セインはラヴィーネの背に触れる。屋敷に戻ろうと促してくれる。
距離は近いが、彼なりに節度ある態度を取るよう気をつけてくれているらしい。
テレーズたちは「私たちのことはお気になさらず」「どうかそのまま続けてください」と気をつかってくれたが、そんなことができるはずがない。
桃に目が眩んで恥ずかしい態度をとってしまったものの、セインに絆されてはいけない。
それはジェイセンにもうしわけない。彼と対話をしようとする勇気が持てなかった自分にも問題があったのだ。
できることなら、もう少し話したい。
しかし屋敷の中に、ジェイセンは不在だった。どこに行ったのかと尋ねても、皆、知らないという。
「あんな男のことなど放っておくといい。ラヴィ、ガーベラをいけよう。それから、図書室に行こうか。君は立ち入ることを遠慮していたようだが、本が好きだったはずだ。植物の図鑑がある。図鑑を眺めるのが好きだろう。ガーベラの花言葉は、君が私に教えてくれたものだ」
「そうだったのですね。私が、セイン様に……」
「あぁ。ベッドで一緒に読もう。そのまま午睡をしてもいいな。朝が遅かったから、アフタヌーンティーはやや重たいだろう。君が眠っている間に、夕食を用意しておこう」
そんな、至れり尽くせりをしてもらうわけにはいかないと思うが、その誘いは非常に魅力的だ。
確かにセインのいうとおり、ラヴィーネは図鑑を好んでいる。図鑑に限らず本はなんでも好きだ。
孤独を紛らわす手段として、本を読むほどよいことはなかった。
伯爵家には、今は亡き祖母が集めたという蔵書が多く残っていた。
母はそれを捨てろと騒いだようだが、父は流石にそこまでのことはできなかったらしい。
一人で図鑑を広げていると、束の間、嫌なことを忘れられる。祖母は勤勉な人だったらしく、その興味はさまざまな種類のものに及んでいた。植物も、鉱物も、動物や国の地理、言語。ともかく多くの知識が、図書室に眠っていた。
ラヴィーネが多くのことを、本から学んでいる。アイビーほど熱心に教育されなかったが、その分多くの時間を図書室で過ごしていたのだ。
ガーベラを生けて、セインと共に図書室に行く。分厚い植物図鑑を手に、寝室に戻る。
行儀が悪いが、ドレスのままベッドに寝転がり、頁を開く。
隣にセインが座り、時折ラヴィーネが読んでいるページの文字を指で辿る。
セインも、彼の妻であるラヴィーネとこんな時間を過ごしたのだろうか。
「花について、私は君に教わった。教わるまでは、ガーベラとひまわりの区別さえついていなかった」
「形が違いますよ。大きさも」
「そうだな。だが、知らなかった。花言葉にも興味さえなかった。君が教えてくれた。大切なことは、全て」
懐かしそうに、セインが言う。
寂しそうだと、感じる。もしかしたらセインは、元の時代に帰りたいのだろうか。
そこにはきっと、彼の大切なラヴィーネが待っているはずだ。




