もう一人の自分との対話
◇
ラヴィーネが庭園に向かうのをすぐに追いかけようとするセインの手首を、ジェイセンは掴んだ。
「離してくれるか? 私は忙しい。ラヴィを愛でなくては」
「黙れ」
「年長者に対する礼儀がなっていない」
「お前に礼儀など必要ない。お前は俺なのだろう。つまりお前も俺と同じクズだ」
「……理解したじゃないか。あぁ、その通りだ」
己自身との対話は奇妙だ。すぐに信用できるようなことではない。
だが、もう信じるしかないのだろう。腹を括り、受け入れるしかない。
そうでなければ、この男はジェイセンと話そうとしないはずだ。
その気持ちは、よくわかる。ジェイセンは自分が嫌いだ。ラヴィーネを疑い傷つけ続けていた。そのせいで、もっと嫌いになっている。
セインは──ジェイセンである。自分自身の顔など、見たくもないと思っているだろう。
その気持ちは、よくわかる。
「仕方ない、時間をやろう。何を話したい?」
セインは椅子に座りなおす。ジェイセンはその前に立ち、テーブルに手を突いた。
不愉快そうに眉を寄せて冷めた瞳を向けられる。自分はこんな顔を──ラヴィーネに向けていた。
どれほど傷ついただろう。どんなに、怖かっただろう。
心臓が、痛む。いくら母のことがあったとはいえ、妻に迎えた女性にとっていい態度ではなかった。
「まず、確認したい。お前は十年後の俺だ。どういうわけか、未来から来た」
「何度も同じ話をするな」
「わかっている。念のために、もう一度事実を把握しておきたかっただけだ。それでお前は、いつ帰る?」
「さぁ。帰るかもしれないし、帰らないかもしれないな。当面は、ここにいるつもりだ。お前のぶんまでラヴィを大切にする必要がある。それに、この時代のラヴィを愛でることができるなど、またとない機会だ」
この時代のラヴィーネはお前のものではない──と、怒鳴りつけたかった。
だが、そんなことを言える権利はジェイセンにはない。ジェイセンはラヴィーネになにもしてない。
傷つけてきただけだ。その魂を抉るほどに、深く、残酷に。
「お前がラヴィーネの元に現れたのには、理由があるのだろう。ラヴィーネは一人で夜会に出たと言っていたな。そして、お前は……ラヴィーネを捨て置いた」
「──後悔しても、し足りない。私はお前と同じ。ラヴィの噂を信じていた。それが、彼女の悪辣な妹が広めたものだとも知らずにな。アイビーは悪魔のような女だ」
セインはそこで押し黙り、深い息を吐いた。
アイビーは悪魔のような女だと、ジェイセンは心の中で反芻する。世間では、アイビーは天使のような慈愛に満ちた美しい女性であり、ラヴィーネは毒だといわれている。
しかし、実際には逆だったのだろう。
「……本来ならラヴィは、昨夜、城の大階段から転げ落ちて大怪我をするはずだった。後遺症が残り、片足が不自由になるほどの、怪我を」
セインの声は低い。淡々と事実を告げているが、痛々しいほどの苦しみがその声音に滲んでいる。
それはセインがはじめてあらわにした、深い悔恨だ。その言葉は疑う余地もないほどに、真実だけを伝えている。
「私は、ラヴィを救うために来た。だから彼女は怪我をしなかった。間に合って、よかった」
「……っ、そう、か」
ジェイセンは息を呑んだ。ラヴィーネが夜会に出たのは、アーバン公爵家のことを考えてくれたからだろう。
社交の場にジェイセンはあまり顔を出さない。ジェイセンの代わりに、公爵家の立場を考えてくれたのだ。権力や立場をひけらかすためなどではけしてない。彼女は、そんなことを考えたりしない。
それがどれほど辛くても、一人での参加が、どれほど恥でも。
ジェイセンになにも言わずに、努力をしようとしてくれていた。
城の大階段から転げ落ちるほどに、彼女は衰弱していて、そして──夜会で傷つけられた。
ラヴィーネの顔を見た貴族たちや、アイビーやサイアスが、彼女に何を言ったかは想像に難くない。
ジェイセンでさえ、彼女の悪い噂を信じていたぐらいなのだから。
その元凶や、噂に扇動された者たちは、侮蔑の視線をラヴィーネに向けただろう。
それだけではない。それ以上に、何か彼女が動揺して大階段から落ちるようなことが起こったのだ。
そしてセインは、間に合わなかった。彼の時代を生きているラヴィーネは、足が不自由になるほどの怪我をした。
起こってしまったことは、元には戻らない。セインは、どれほど己を憎んだだろう。
後悔という言葉では表せないほどの苦しみを味わったはずだ。
ラヴィーネは──どんなに、痛かっただろう。
「ラヴィーネを、救ってくれて感謝する」
「お前のためではない」
「それでも、救ってくれた。奇跡が起きたのだな。怪我をしなくてよかった、本当に」
ジェイセンは居住まいを正した。セインに頭をさげる。
セインはラヴィーネを救うために、この時代に来たのだろう。その奇跡に感謝しなくてはいけない。
そうならなければジェイセンの前に、大怪我をしたラヴィーネが横たわっていたはずだ。
苦しいばかりの人生を過ごしてきた彼女が、さらに苦しむことになるところだったのだ。
「どうやって、未来から来た?」
「質問が多いな。知る必要があるのか? 教えるつもりもないが」
セインはまだ何か隠している。嫌な予感がした。
ジェイセンは己のことをよく理解している。ラヴィーネが怪我をしたと聞いて、すぐに駆け付けたとは思えない。もっとなにか、酷いことが起こったのだ、きっと。
これ以上セインは話したくないようだった。
「お前にラヴィーネを渡すつもりはない。だが、しばらくここにいるのだろう。お前は俺の兄ということにしておく。感謝はしているが、ラヴィーネに必要以上に触れるな」
「お前のことなど、ラヴィはどうとも思っていない。ラヴィが懐いているのは、私だ」
「──今から、取り戻す。傷つけてしまったぶんを、なにをしてでも」
「せいぜい努力することだな」
話は終わりだといわんばかりに、セインは立ちあがる。
ジェイセンは引き止めなかった。
使用人たちに事情を説明し、ロアンと話す必要がある。
ロアンと話して、それから──自分にいったい何ができるのかと、ジェイセンは考え続けていた。




