テレーズたちの謝罪
◇
終ぞ味わうことのなかった満腹感に、ラヴィーネはセインをじっと見つめて微笑んだ。
幸せそうに目を細めるセインに、唇を濡らす桃の果汁を指で拭われる。
それを舐めとる赤い舌を目にしてしまい、ラヴィーネの顔は真っ赤に染まる。
ついでに、そんなやりとりを正面の椅子に座り、不貞腐れたように腕を組み睨んでいたジェイセンの顔も赤く染まる。
「俺の妻に、いかがわしいことをするな。殺されたいのか」
「口だけは達者だな、ガキ。ラヴィーネは嫌がっていない。なぜなら、私はお前だからだ。夫である私が触れているのだから、なんら問題はない」
「あ、あの、セイン様、ご馳走様でした。ジェイセン様、大変はしたない姿をお見せしてしまい、もうしわけありません。桃が、あまりにも美味しかったものですから」
満腹感のために酩酊したような気分でぼんやりしていたラヴィーネは、ふと我に返った。
急いで立ちあがり「庭園の花を手入れしてきます」と、そそくさとその場から立ち去る。
庭園に向かったラヴィーネは、これからどうしようかと思いながら、ハサミを持ち花瓶に飾る用のガーベラを切っていく。
庭仕事は、ラヴィーネが唯一安らぎを感じる時間だ。家の中は息が詰まるし、自由もない。
庭園は広く、一人になることができる。花は好きだ。水と土と光があれば、生き生きと咲いてくれる美しいものたちを見ていると、心が和む。
植物の中にいると、自分の抱えている悩みなど小さなものだと思えるからだ。
好きな色合いで作った花束を花瓶に飾って眺めているだけで、穏やかな気持ちになることができる。
以前はアメリがやってきては「奥様の仕事ではございません」と、咎めてきたものの、もう今はその心配もない。
でも──どうしたらいいのだろう。
ジェイセンが女性を嫌っていた理由は理解できた。詳しいところはわからないが、彼は心に深い傷を負ったのだろう。
ラヴィーネの誤解は、セインが解いてくれた。
彼はラヴィーネを救い、真綿で包むように優しく愛し続けてくれている。
ジェイセンと和解し、彼と愛し合えば──十年後には、ジェイセンはセインのようになるのだろうか。
でも、セインはまだここにいる。ジェイセンもいる。正直、とても困っている。
ジェイセンに嫌われて素気無く扱われていたとき以上に、今の状況はラヴィーネを困惑させていた。
愛された経験がないのだ。それにきっと、誰かを愛した経験もない。
だからどう反応していいのか、何を話していいのかわからない。
ただ、桃は美味しかったので、幸せではあるのだが。
せめてどちらか一人なら、どうにか対応できていたのだろうが、ラヴィーネが大切にしなくてはならない夫という存在が二人いるというのは、なんだか浮気をしているような気もしてしまう。
ジェイセンは母の浮気で傷ついたのだから、セインに甘い態度をとるのはいけないのだろう。
彼は強引で少し怖いけれど、それでも、ラヴィーネの待遇を改善してくれた感謝がある。
冷たくあしらうのは難しかった。
「奥様、もうしわけありませんでした……!」
ふと顔をあげると、テレーズが他の若い侍女たちを連れてラヴィーネの前に並んでいた。
長い間、考え込んでいたようだ。彼女たちが近づいてくることにも気づかなかった。
ガーベラを手にしていたラヴィーネは、慌てて立ちあがる。
「どうしたの、皆」
「奥様に話しかけていただいたり、心配していただいたのに、私たちずっと、アメリさんが怖くて」
「奥様にひどい態度をとっていました。無視したり、逃げたり……」
「噂とは違う優しい人だって、わかっていたのに。本当に、もうしわけないです」
彼女たちがアメリにいじめられていたことはわかっている。
ラヴィーネに優しくしたらもっとひどいことをされるだろう。
むしろ謝らなくてはいけないのは、ラヴィーネだ。
「私のほうこそ、ごめんなさい。公爵夫人でありながら、侍女のことも管理できなかった。皆さんが辛い立場にいるのに、アメリさんのせいで辞めていった子もいるのを知りながら、なにもできないままで。むしろ、アメリさんにいじめられてさえいたわ。自分が、恥ずかしい」
「そんな! 奥様……ラヴィーネ様はなにも悪くありません」
「私たち、これからきちんとお仕えします」
「なんでもおっしゃってくださいね。ガーベラ、花瓶にいけますか? お手伝いします!」
テレーズたちが、勢いよくそう口にする。
それから彼女たちは一瞬黙って、恥ずかしそうに頬を染めた。
「アメリさんを追い出してくださったセイン様とは、ジェイセン様のお兄様なのですね」
「ラヴィーネ様のことがとても大切みたいで」
「ジェイセン様にお兄様がいらっしゃるとは知りませんでした。長らく、隣国を旅していたそうです。大人の色気と余裕があって、ジェイセン様とは違う魅力が……セイン様は、ラヴィーネ様は家族だから大切にして当然だとおっしゃっていました」
どうやらセインは、表向きにはジェイセンの兄ということになったらしい。
未来から来たジェイセンと言っても、ややこしくなるだけだからだろう。
顔立ちは似ているし、兄と言ってしまったほうがわかりやすくはある。
そうなると──ラヴィーネは、ジェイセンの兄と浮気する女ということにならないだろうか。
膝にのせられて食事を食べさせてもらっていたラヴィーネを、侍女たちは遠目で見ていたかもしれない。
「セイン様とは昨日お会いしたばかりなのに、優しくしてくださるわ。私もどうしても、無碍にはできないの」
「もちろんです、ラヴィーネ様」
「私たちは、最近アーバン家に雇っていただいたばかりです」
「それというのも、アーバン家の侍女がすぐに辞めてしまうからなのですよ。アメリさんのような人を放置して、ラヴィーネ様に冷たくしていたジェイセン様よりも、セイン様のほうがずっといいです」
「そ、そう……?」
侍女たちが一斉に励ましてくれる。
ラヴィーネは戸惑いながらも、はじめて──味方ができたような気がして、鼻の奥がつんと痛んだ。




