家令ロアン・ランバートの後悔
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呼び鈴が鳴り、帰還を伝えるジェイセンからの知らせかと思いロアン急いで呼び鈴を手にすると一度振った。
敬愛する主が無事帰還することを心待ちにしていたロアンは、聞こえてきた声音に元々真っすぐに伸ばしている背筋をさらに伸ばす。
『ロアン。お前は、ラヴィーネについて調べていただろう』
ジェイセンは元々感情の起伏がない話しかたをする男だが、苛立ちや憤りが深くなればなるほどにその傾向が増す。
これは、今は亡き彼の父が、アーバン公爵たるもの感情を出してはならないと、彼に教育したからだ。
アーバン公爵領は魔物が湧きやすい地である。かつては土地からあふれた魔物が大群となり街や村を襲い、王都にまで損害を与えた。
その時先陣に立ち軍を指揮して王都から魔物の脅威を退けたのが、武勇と勇猛さで知られていた当時の王弟である。
彼はその土地を王から預かり、アーバン公爵となった。
以来、歴代のアーバン公爵は魔物狩りの役目を果たし続けている。
感情を出してはいけない──これは、魔物の中には愛する者の幻覚を見せたり、少女や少年の姿に擬態したりするものがいるからだ。
そういった個体は、人の感情を敏感に感じ取り、つけ入ろうとする。
そのため、ジェイセンは厳しい教育を受けていた。
それは、彼が母を失ってからより顕著になった。
「はい。ラヴィーネという女が、ジェイセン様の不利益になってはいけないと思い、調べましたが」
『お前は、噂通りの悪女だったと言ったな』
「彼女の家の者は、口をそろえてそう言います。使用人たちに金を掴ませて真実を述べろと言っても、同様です」
『我が家に来てからはどうだった』
「アメリの報告では、侍女をいびり辞めさせ、我儘ばかりいう、と。ラヴィーネ様が私の元に来たことは、一度か、二度ありましたが、どちらも侍女への愚痴、食事への文句ばかりでした。まったく、面倒なことです」
『よくわかった。ロアン、お前は愚かだ。俺と同じ』
一瞬、ロアンは何を言われているのかわからずに、頭が真っ白になった。
ランバート家は、アーバン公爵の従者の家系だ。忙しい公爵に変わり、実務を任されている。
ロアンもジェイセンの従者になるべく育てられた。
幼いころからジェイセンの傍にいて、彼に起こったできごとをずっと見てきた。
ジェイセンを支えなくては──それが己の天命だと、信じていた。
彼のために働き続けてきたつもりだ。だが彼は、ロアンを愚かだと言う。
信じられない。ラヴィーネが、ジェイセンになにかしたのだろうか。
ラヴィーネは今、アーバン公爵夫人として夜会に出るために王都に滞在している。
ジェイセンは公爵領で魔物討伐をしている。二人の間に何かあっとは思えない。
ロアンは優秀と言われている頭脳でそこまで考えて、きつく眉を寄せた。
「あの女が、ジェイセン様になにか」
『俺の妻を、あの女と呼んでいいほどの身分だったのか、お前は?』
「は……いや、しかし」
『伯爵家の者たちの言葉を信じ、アメリの言葉を信じたお前も、お前を疑わずにいた俺も愚かだった。ラヴィーネに興味さえ抱かなかったせいで、彼女はまともな食事さえできず、悪意に晒され続けていた。いいか、ロアン』
「そんな、私はきちんと調べました!」
『黙れ。ではお前は、食事中のラヴィーネを見たことがあるのか?』
「見るわけがないでしょう。仮にもジェイセン様の奥方です、食事風景を盗み見るなど。それに、ラヴィーネ様に用などはありませんし、私は忙しい身です」
『……俺はお前を責められる立場にはない。だが、罪は罪だ。嘘を広め食事も満足に与えず、ラヴィーネに辛くあたっていたアメリは家に戻し、子爵家には賠償を請求する。お前にも罰は必要だ。ロアン、お前は庭園に桃の木を百本植えろ』
「え」
『百本だ。今日から、お前ひとりの手で、百本』
「そんな時間が、あるわけが」
『なんとかしろ』
なんとか、できるわけがないだろう。
植樹などしたことがない。そもそもロアンは頭脳労働は得意でも、肉体労働は苦手だ。
ジェイセンのような恵まれた体型はしていない。本よりも重いものは持たない主義なのだ。
とはいえ、ジェイセンは本気だ。彼の平坦な声から、激しい怒りが伝わってくる。
こんなにジェイセンが怒っているのは──彼の母が亡くなった時、以来だった。
呼び鈴から声がしなくなり、ロアンは天井を仰ぎ見る。
ラヴィーネは確かに、ロアンに二度ほど訴えてきた。
『ロアン様、お忙しいところもうしわけありません。毎日の食事についてなのですが……』
『何か問題が?』
『はい。食事の内容は、いいのです。贅沢は、言えませんから。ですが、二日も三日も抜かれると、辛いのです。ですので、自分でなにか、購入する許可を』
『何を言っているのですか、奥様。言いがかりはやめていただきたい。アメリに奥様のことは任せています。必要ならば彼女に言うべきでしょう』
一度目の訴えには、耳を貸さなかった。
この女は何を言っているのかと思ったのである。
『ロアン様、もうしわけないのですが、話を聞いていただきたいのです。新しい侍女が、度々辞めていますでしょう?』
『そうですが、なにか』
『そのことで、ご相談が。侍女たちは、その……』
『奥様はお暇なのですね。侍女との関係に悩む暇があるのですから。私は忙しいのですよ』
ラヴィーネが辞めさせているのだろうとロアンは呆れ、それ以上の会話を拒否した。
しかし今思い返してみれば、ラヴィーネはロアンに真実を伝えていたのではないか。
ロアンが、ラヴィーネを噂に違わぬ悪女という色眼鏡で見ていただけで。
ラヴィーネは侍女の件について、言葉を濁していた。
会話を拒絶してしまったが、あれは、アメリについて伝えたかったのではないか。
告げ口をしているような罪悪感と葛藤があり、はっきり言えなかっただけで、ロアンが話を聞いていれば──アメリについて、ロアンはきちんと把握することができたのかもしれない。
「桃を、百本……」
全てジェイセンのためにと思っていた。
ロアンにとってジェイセンは、信頼に足る主であり、また、大切な弟のような存在である。
彼の母がどれほどジェイセンの心を傷つけたか、その裏切りをロアンは知っている。
そしてその、末路も。
だからこそ、支えなくてはいけない。ラヴィーネのような悪女に、家を乱されるわけにはいかない。
そう考えて、アーバン家を守っているつもりでいた。
「植える、か」
ラヴィーネに、ひどいことをしてしまったのかもしれない。
いや、したのだ。
二日も三日も食事が抜かれると言っていた。
それなのに侍女が辞めていく件について、彼女は心を痛めていた。
そんな女性に、ロアンはひどい態度をとってきたのだ。
上着を脱ぎ、袖を捲る。早く今日の仕事を片付けて、桃の木を買いに行かなくてはと、ロアンはぶつぶつと呟いた。




