女嫌いの理由
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うっとりと頬を染めて切なく眉を寄せながら、ラヴィーネが桃を咀嚼している。
艶やかな黒髪が果汁で汚れないように、耳にかきあげる仕草を、ジェイセンは食い入るように見つめる。
片手で簡単に折れそうなほどに、ほっそりとした首が露わになる。
細い手首や、ふっくらとした唇。伏し目がちになると長い睫が頬に影を作る。
ラヴィーネとは、愛らしい女性だ。
その愛らしさは毒を孕んでいる。誰が言いだしたのかはわからないが、蛇毒と呼ばれていることをジェイセンは知っている。
これは彼女の容姿に対する嫉妬もあったのだろう。
光の加減で金に見える瞳は美しく、黒髪は清楚で神秘的だというのに。
ラヴィーネの人となりを知ってしまった今となっては、余計にその姿は愛らしく、ジェイセンの目に映った。
母の浮気を見たのだから、傷ついて女嫌いになるのは当然──と、彼女は言った。
伯爵家の令嬢だというのに、桃さえ食べたことがない生活をしていた。
ジェイセンは十分生活資金を与えていたつもりでいたが、アメリに搾取されていた。
半年もの間、辛い思いをさせてしまったというのに、彼女を冷たくあしらったジェイセンに、優しく微笑んでくれる。
ラヴィーネは、ジェイセンが知るあらゆる女性とはなにもかもが違う。
女が嫌いだというのに、社交の場では女たちがすり寄ってくる。媚びる声や仕草が、大嫌いだった。
どうしても、母を思い出してしまうからだ。
ジェイセンの母は、貞節な淑女と評判の女だった。
歴代のアーバン家の公爵がずっとそうしてきたように、魔物討伐で家を留守にしがちな父に代わり、公爵家をよく守っていた。
一人息子であるジェイセンにもとても優しく、幼い頃は母が大好きだったことをよく覚えている。
ジェイセンは母の絵をよく描いた。子供の描く拙い絵を彼女は額に入れて飾り『私の宝物よ』と言って、微笑んでいた。
父も母を大切にしていた。母はジェイセンを産んだあとに体調を崩してしまい、もう子が望めない体になったのだという。
できるだけ多くの子を残すことが、貴族に嫁いだ女性の義務だ。
子が望めなければ、第二夫人を娶るか愛妾をつくるのが一般的だが、父はそれをしなかった。
それほど、母を大切にしていたのだ。
無骨な父を、よく支える母。それは理想の夫婦の姿だった。
ジェイセンは二人の間で、次期当主としての心得を学び鍛練し、育てられた。
魔物の脅威はあるものの、この世界には嫌なことも怖いこともないのだと、幼い少年は信じていた。
だが、あれは──八歳のころだったか。
とても信じられないが、未来から来た自分だというセインと話をしたせいで、嫌な記憶を思い出してしまった。
その日、ジェイセンは街にある私塾で勉強をする予定だった。
基本的には家庭教師に勉強を指導されているのだが、二年前から母の方針で、世間を学んだほうがいいと、週に二回ほど街で評判の私塾に通うようになっていたのである。
馬車で私塾に向かうと、講師は朝から熱を出して寝込んでいるという。
ジェイセンはもうしわけなさそうに何度も謝る講師の妻に「お大事になさってください」と伝えて、再び馬車に乗り、帰路についた。
急な休みなどははじめてだ。今日の予定はどうしようかと考えながら、公爵家に到着したジェイセンは、講師の熱を伝えようとすぐに母の元に向かった。
優しい母のことだ。ジェイセンを指導してくれている講師が熱を出したと知れば、すぐにでも見舞いの品を送るだろうと考えていた。
急な帰宅に、ジェイセンは少し浮かれていた。大抵の場合、ジェイセンの日々のスケジュールはきちんと管理されている。勉強や鍛練、昼食や寝る時間。
決まった通りに動いているジェイセンにとって、突然の空き時間というのは本当に珍しかったのだ。
母を、驚かせようと思った。
きっと母は、笑ってくれるはずだ。
だから──静かに公爵家の中を進んだ。
いつもは多くの使用人たちが働いている公爵家は、どういうわけかしんと静まり返っていた。
母の部屋に続く廊下には誰もいない。珍しいこともあるものだと、ジェイセンはふと不安を感じる。
見知らぬ家の中に迷い込んでしまったような気がしたからだ。
父は魔物討伐で不在にしている。ジェイセンも私塾に行ったために、もしかしたら母は人払いをして自室で眠っているのかもしれない。
ジェイセンは母の部屋の扉を開こうとした。
だが鍵がかかっていたので、父の書斎に行き、鍵束を持ってきた。
当主は全ての部屋の鍵を開けることができる鍵束を持っている。ジェイセンもすでにその在処を教えられていた。
鍵のかかった部屋の扉の前に立つと、なんだか入るなと言われているような気がした。
だが、ジェイセンは母に会いたい一心で、音を立てないようにゆっくりと鍵を開けて、扉を開いた。
『……母上、何を』
『っ、ジェイセン、どうして……っ』
悲鳴じみた声が、空気を震わせる。
母は、ジェイセンもよく見知っている男に押しつぶされていた。
男は父が不在の間に母や家を守るようにと、父に選ばれた護衛の一人だ。
その男に、母の白い足が絡まっている。
なにが行われているのか、一瞬わからなかった。ただそれは、口に出すのもはばかられるような、おそろしいことなのだと感じた。
気づけばジェイセンは、その場から逃げ出して、廊下の隅に座り込んでがたがた震えていた。
『あなたは何も見なかったわ、ジェイセン』
それからしばらくしてジェイセンの元に母がやってきた。
彼女はいつも通りの優しい微笑みを浮かべて、まるで媚びるような甘い声でジェイセンに囁いた。
あなたは、何も見なかった。
何も知らない。
いいわね、ジェイセン──。




