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女嫌いの理由



 ◇


 うっとりと頬を染めて切なく眉を寄せながら、ラヴィーネが桃を咀嚼している。

 艶やかな黒髪が果汁で汚れないように、耳にかきあげる仕草を、ジェイセンは食い入るように見つめる。

 片手で簡単に折れそうなほどに、ほっそりとした首が露わになる。


 細い手首や、ふっくらとした唇。伏し目がちになると長い睫が頬に影を作る。

 ラヴィーネとは、愛らしい女性だ。

 その愛らしさは毒を孕んでいる。誰が言いだしたのかはわからないが、蛇毒と呼ばれていることをジェイセンは知っている。


 これは彼女の容姿に対する嫉妬もあったのだろう。

 光の加減で金に見える瞳は美しく、黒髪は清楚で神秘的だというのに。

 ラヴィーネの人となりを知ってしまった今となっては、余計にその姿は愛らしく、ジェイセンの目に映った。


 母の浮気を見たのだから、傷ついて女嫌いになるのは当然──と、彼女は言った。

 伯爵家の令嬢だというのに、桃さえ食べたことがない生活をしていた。

 ジェイセンは十分生活資金を与えていたつもりでいたが、アメリに搾取されていた。

 半年もの間、辛い思いをさせてしまったというのに、彼女を冷たくあしらったジェイセンに、優しく微笑んでくれる。


 ラヴィーネは、ジェイセンが知るあらゆる女性とはなにもかもが違う。

 女が嫌いだというのに、社交の場では女たちがすり寄ってくる。媚びる声や仕草が、大嫌いだった。

 どうしても、母を思い出してしまうからだ。


 ジェイセンの母は、貞節な淑女と評判の女だった。

 歴代のアーバン家の公爵がずっとそうしてきたように、魔物討伐で家を留守にしがちな父に代わり、公爵家をよく守っていた。

 一人息子であるジェイセンにもとても優しく、幼い頃は母が大好きだったことをよく覚えている。

 ジェイセンは母の絵をよく描いた。子供の描く拙い絵を彼女は額に入れて飾り『私の宝物よ』と言って、微笑んでいた。

 

 父も母を大切にしていた。母はジェイセンを産んだあとに体調を崩してしまい、もう子が望めない体になったのだという。

 できるだけ多くの子を残すことが、貴族に嫁いだ女性の義務だ。

 子が望めなければ、第二夫人を娶るか愛妾をつくるのが一般的だが、父はそれをしなかった。

 それほど、母を大切にしていたのだ。


 無骨な父を、よく支える母。それは理想の夫婦の姿だった。

 ジェイセンは二人の間で、次期当主としての心得を学び鍛練し、育てられた。

 魔物の脅威はあるものの、この世界には嫌なことも怖いこともないのだと、幼い少年は信じていた。


 だが、あれは──八歳のころだったか。

 とても信じられないが、未来から来た自分だというセインと話をしたせいで、嫌な記憶を思い出してしまった。


 その日、ジェイセンは街にある私塾で勉強をする予定だった。

 基本的には家庭教師に勉強を指導されているのだが、二年前から母の方針で、世間を学んだほうがいいと、週に二回ほど街で評判の私塾に通うようになっていたのである。

 

 馬車で私塾に向かうと、講師は朝から熱を出して寝込んでいるという。

 ジェイセンはもうしわけなさそうに何度も謝る講師の妻に「お大事になさってください」と伝えて、再び馬車に乗り、帰路についた。


 急な休みなどははじめてだ。今日の予定はどうしようかと考えながら、公爵家に到着したジェイセンは、講師の熱を伝えようとすぐに母の元に向かった。

 優しい母のことだ。ジェイセンを指導してくれている講師が熱を出したと知れば、すぐにでも見舞いの品を送るだろうと考えていた。


 急な帰宅に、ジェイセンは少し浮かれていた。大抵の場合、ジェイセンの日々のスケジュールはきちんと管理されている。勉強や鍛練、昼食や寝る時間。

 決まった通りに動いているジェイセンにとって、突然の空き時間というのは本当に珍しかったのだ。


 母を、驚かせようと思った。

 きっと母は、笑ってくれるはずだ。


 だから──静かに公爵家の中を進んだ。

 いつもは多くの使用人たちが働いている公爵家は、どういうわけかしんと静まり返っていた。

 母の部屋に続く廊下には誰もいない。珍しいこともあるものだと、ジェイセンはふと不安を感じる。

 見知らぬ家の中に迷い込んでしまったような気がしたからだ。


 父は魔物討伐で不在にしている。ジェイセンも私塾に行ったために、もしかしたら母は人払いをして自室で眠っているのかもしれない。

 ジェイセンは母の部屋の扉を開こうとした。

 だが鍵がかかっていたので、父の書斎に行き、鍵束を持ってきた。

 当主は全ての部屋の鍵を開けることができる鍵束を持っている。ジェイセンもすでにその在処を教えられていた。


 鍵のかかった部屋の扉の前に立つと、なんだか入るなと言われているような気がした。

 だが、ジェイセンは母に会いたい一心で、音を立てないようにゆっくりと鍵を開けて、扉を開いた。


『……母上、何を』

『っ、ジェイセン、どうして……っ』


 悲鳴じみた声が、空気を震わせる。

 母は、ジェイセンもよく見知っている男に押しつぶされていた。

 男は父が不在の間に母や家を守るようにと、父に選ばれた護衛の一人だ。

 その男に、母の白い足が絡まっている。

 なにが行われているのか、一瞬わからなかった。ただそれは、口に出すのもはばかられるような、おそろしいことなのだと感じた。

 気づけばジェイセンは、その場から逃げ出して、廊下の隅に座り込んでがたがた震えていた。


『あなたは何も見なかったわ、ジェイセン』


 それからしばらくしてジェイセンの元に母がやってきた。

 彼女はいつも通りの優しい微笑みを浮かべて、まるで媚びるような甘い声でジェイセンに囁いた。


 あなたは、何も見なかった。

 何も知らない。

 いいわね、ジェイセン──。



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