そんなことより桃が食べたい
デザートというものに、ラヴィーネは憧れている。
伯爵家では茶会をする母とアイビーを遠くから眺めていた。
ラヴィーネは呼ばれなかったので、ケーキスタンドに並ぶ小さなタルトや果物を、食べたことがない。
セインの言っていたとおり、アイビーと母はラヴィーネに意地悪をしていた。
毎日の食事は、皆が食べ終えたあとの冷えた残り物だけ。デザートは残っておらず、どんな味がするのだろうと想像するばかりだった。
社交界のパーティーでは、豪華な軽食や菓子が用意されていたが、口にできない。
それはただの飾りである。実際に口にする女性はいない。腰を極限までコルセットで締めあげているので、そもそも食べることができないのだ。
そういった場で何かを口にいれるのは、恥さらしだと思われている。
もちろんラヴィーネは、食べなかった。
コルセットが苦しかったというよりは、皆に嫌われているのに、一人きりでそういった場にいるのが辛く食欲などわくはずがなかった。
「可愛い、私のラヴィ。なんて可愛いんだ、可愛い、可愛い」
「セイン様、桃が」
「ラヴィーネ、そんなに桃が好きだったのか」
「いえ、食べたことはないのです。存在は知っています。桃と、クリーム。なんて、贅沢な……」
ラヴィーネは、セインに撫でまわされながら、ジェイセンの質問に答えた。
ジェイセンは「うぐ」と、彼らしくない奇妙な声をあげて心臓を押さえた。
様子がおかしい。ずいぶん疲れているように見える。
彼はアーバン公爵領にいたはずなので、この時間に王都に到着したということは、本当に寝ないで馬を走らせてきたのかもしれない。
おそらくきっと寝不足故の、様子のおかしさだ。
「桃さえ、食べたことがないのか……どういう生活を送ってきたのだ、ラヴィーネ……」
「だから、言っただろう。反省も後悔も、そこの廊下の隅にでもうずくまってしていろ。ほら、おいで、ラヴィ。私が食べさせてあげよう」
「はい……!」
自分で食べられるだとか、ジェイセンに見られているなどは、もうどうでもよくなってしまった。
桃のコンポートの艶々と、もったりとした生クリームの前では、些少のことだ。
ジェイセンに追い出される前に、今そこにある桃を、食べたい。
よい返事をするラヴィーネを抱きあげると、セインは椅子に座る。
食べさせる直前でジェイセンが来てしまったために、置き去りになっていたスプーンの上の桃を、ラヴィーネの口にそっと差し入れる。
「んぅ……っ」
桃。なんて美味しいのだろう。瑞々しく優しい甘さが、シロップに漬けられたことで際立っている。
ラヴィーネは頬を上気させて、瞳を潤ませた。
「美味しい?」
「ん、ん……!」
口をおさえて、こくこくと頷く。ひと噛みごとに、果肉から果汁があふれてくる。
まろやかな生クリームと僅かに酸味のある桃が絡みあい、舌の上でとろける。
なんて──美味しいのだろう。
「もっと、食べたい?」
「セイン様、もっと、お願いします……」
口を開いて餌付けを待つ。恥じらいは捨てた。もう、なにもかもがどうでもいい。
ただただ、もっと味わいたい。
この世の中に、こんなに美味しいものがあったなんて。
アイビーのこともアメリのことも、ラヴィーネの頭から抜け落ちていく。
きらきら光る天使たちが、ラヴィーネの頭の周りをまわっている。
ちなみに、その天使たちは桃から翼と手足がはえている。
「いい子だ、ラヴィ」
「……ん」
二口目を口に入れられた途端に、ダン! と、大きな音が響いた。
楽園から引き戻されたラヴィーネは、テーブルに両手をついたジェイセンが、恐ろしい形相でこちらを睨みつけていることに気づいた。
「騒々しいな、マナーがなっていないのではないか?」
「黙れ。ラヴィーネに、なんということを……」
「何か問題が?」
「いかがわしいことをするな」
「桃を食べさせているだけだ。いかがわしいと感じるのは、お前の心が穢れているからだ。お前は女嫌いを公言しているくせに、ラヴィのことは可愛いと思っているだろう。愚かな……」
ラヴィーネに桃を食べさせ続けながら、セインが再びジェイセンと争っている。
一瞬正気に戻ったラヴィーネだが、それもすぐに霧散してしまった。
むぐむぐ桃を食べながら、遠くに響く音楽のように二人の言い争いを聞き流す。
同じ人間なのに、どうして喧嘩をするのだろうと思いながら。
「か……っ、可愛い、などと……」
「思っていないのならば、去るといい」
「…………思っている」
「女嫌いが聞いて呆れる」
「俺が何故、女が嫌いなのかはお前が一番よく知っているだろう! 母の浮気を見たからだと」
「それで全ての女を嫌い、ラヴィの評判をよく調べもせずに信じて彼女を見下し、長年不遇の立場に置いた。一体、お前は何歳だ。十代の子供ではあるまいし」
なんだか、聞き流してはいけないジェイセンの秘密を知ってしまった気がする。
だがラヴィーネは、何も言わなかった。
口の中に桃を押し込まれていたので、話すことができなかったのだ。
ジェイセンの母は浮気をしていた。
それを見てしまい、彼は女嫌いになった──。
それでは余計に、ラヴィーネを嫌うはずだ。
婚約者を捨てて権力を選んだ女であれば、きっとまた裏切るだろう。
不貞を働くかもしれない女との間に、子を作ろうとは思えないはずだ。
よく調べもせずとセインは言うが、調べたところで、なにもわからなかっただろう。
アイビーも、サイアスも、伯爵家の者たちも、ラヴィーネが悪いと口をそろえて言うはずだ。
ラヴィーネの真実は、ラヴィーネ自身の証言を信じてもらうしかない。
それ以外に、証明できるものなどなに一つないのだから。
「……それは、そうかもしれない」
「……あ、あの、ジェイセン様。それでは、女性を嫌うのも仕方がない、と思います。お母様の不貞を目にするなんて、心に深い傷ができるはずですから」
「っ、ラヴィーネ……すまない。今日から、お前に毎日桃を食べさせよう」
「え、あ、ありがとうございます」
あまりにも素直にジェイセンが謝るので、ラヴィーネは困惑しながらも微笑んだ。
できれば、苺や林檎も食べたいな、と思いながら。あと、ブルーベリーも、できることなら。




