ジェイセンの襲来
一人寂しく食事をしていたラヴィーネの環境は、セインが現れて全く違うものになった。
着替えや湯あみなどは自分でできるものの、公爵夫人たるもの食事の支度など自らしてはいけない──と侍女のアメリに言われていた。彼女は公爵家に行儀見習いとしてきた子爵家の令嬢である。
ラヴィーネよりも二歳ほど年上の美人で、やや怖い印象がある。
彼女はラヴィーネの傍付きだが、ほとんど傍にいない。夜会で公爵家の名に泥を塗らないようになどと苦言を呈してきたのも彼女だ。
食事は、彼女が呼びに来てはじめて食べることができるという決まりになっている。
だが、度々彼女はラヴィーネの食事を忘れた。どうしてなのかと尋ねると、彼女は「奥様は少々太り気味ですから、お痩せになったほうがよろしいかと」などと、涼しい顔で言う。
ラヴィーネはむしろ痩せているほうではあるが、そういわれると──なにも言うことができない。
そんなアメリも今日は食堂の壁際に控えている。直立不動で立ち、きびきびと給仕する彼女たちの表情は硬い。ラヴィーネが寝ている間に、アーバン家は恐怖政治に支配されているようだった。
「ラヴィ、こちらに座って。私が食べさせてあげよう」
「い、いえ、結構です……」
「つれない君も愛らしいが、今日の私はラヴィを甘やかしたい気分なんだ。遠慮はいらない、来なさい、ラヴィ」
恐怖政治の支配者は、ラヴィーネだけに向ける甘ったるい声で言う。
甘さの中にあるおそろしさに戦々恐々としながら、ラヴィーネは先に椅子に座って、自分の膝を軽く叩くセインに恐る恐る近づいていく。
侍女たちの視線が痛い。これでは、公然と浮気をしている女だ。
いや、ジェイセンとセインは同一人物なのだから、浮気ではないのか──と、やや混乱しながら傍に寄ると、セインが優しくラヴィーネの手を引いて、自分の膝に座らせた。
逃げようと思えば逃げることができるのに、ラヴィーネは動くことができない。
あと、とりあえず、お腹も空いていた。
テーブルの上には湯気をたてるコンソメスープや、とろとろのオムレツがある。桃のコンポートには生クリームが添えられていて、クロワッサンは焼きたてだ。
今までのラヴィーネの食事といえば、ゆで卵一個……など、その程度のものだった。
なんともいえない香しい匂いのする食事は、拒絶できない魅力がある。
「ほら、ラヴィ、口を開いて。あーん」
「はう……」
セインのいうことを聞いていれば、この美味しそうな料理を食べることができる。
様々な事情よりも食欲が勝ってしまった。
素直に口を開くと、とろりとしたオムレツが舌の上に乗せられる。
「んん……」
「美味しい?」
頬が蕩けそうな感覚を味わいながら、ラヴィーネはこくこくと頷いた。
こんなにおいしいものを食べたのは、いつぶりだろう。瞳を潤ませて、運ばれてくるスプーンを前に口を開く。
セインが満足げに、熱を帯びた瞳を向けてくる。「いい子だ」と褒めてもらうと、幼子に戻ってしまったような気がした。
もちろん、こんなことを両親にしてもらった記憶はないのだが。
「セイン様、ありがとうございます。こんなにおいしいものを食べたのは、はじめてかもしれません」
「あぁ、そうだな。伯爵家での君は、冷めた残りものしか食べさせてもらえなかった。ここでは、ゆで卵や野菜の切れ端、パンの耳……誰かの采配で、与えられるものはそれだけだった」
やはり、セインはラヴィーネのことを全て知っている。
「沢山食べるといい。君にはいつまでも健康でいてもらわなくては」
彼が桃をラヴィーネの口に入れようとした時、激しい音を立てて食堂の扉が開いた。
セインは溜息をついて、ラヴィーネを椅子に座らせて立ちあがる。
そして、腰の剣を抜いた。
侍女たちから悲鳴があがる。ラヴィーネも何事かと身を竦ませた。
開かれた扉の前に、とてつもなく人相が悪い男が立っている。いつもきっちりと整えられた髪は珍しく乱れ、目の下にはくっきりとしたクマがある。
どことなく埃っぽく、まるで長距離を馬で寝ずに駆けてきたような疲労が殺気となって、全身から立ち昇っていた。
「ジェイセン様……!?」
どうして彼がここにいるのか。領地で魔物討伐をしていたはずだ。
確かにラヴィーネは彼に報告したが、まさか来るとは思わないだろう。だって、嫌われているのだ。
媚びるなとさえ言われた。
悪女の戯言だと思われたのだろう。もしくは、様子のおかしい女がおかしなことを言っている、と。
それなのに、ジェイセンが扉の前にいる。彼は血走った目で、セインを睨みつけた。
無言で剣を抜き、目視できないほどの速さでセインに斬りかかる。
セインは──王国最強と謳われているジェイセンの剣を、軽々と弾き飛ばした。
ジェイセンの手から剣が離れて、床に金属音を立てながら滑り落ちてぶつかった。
「貴様……っ」
「若い私の太刀筋も、悪くはない。だが、経験があるぶん私のほうが上だ。私に勝てると思うなよ、ジェイセン」
剣を失っても掴みかかってこようとするジェイセンの胸倉を鷲掴みにして、セインは彼の体をぐいっと持ちあげる。
そのまま床に投げ捨てたが、ジェイセンは倒れ込む前に体制を立て直して、剣を拾おうとする。
その手を、セインは踏みつけた。
「……っぐ」
「諦めろ。血の気が多すぎやしないか、クソガキ」
「誰が……っ、貴様は、誰だ、ラヴィーネになにをした!?」
「今更、夫面か」
さらに追い打ちをかけるようにジェイセンを蹴り飛ばそうとするセインの腕に、ラヴィーネはしがみつく。
「だ、だめ、やめてください……っ」
「君は、この最低な男を庇うのか? 本当に……愛しい。怖がらせてしまったな。大丈夫だ、君が止めるのなら、もうなにもしない」
セインは殺気を消して、ラヴィーネに優しく微笑む。
それから今すぐにでもセインを殺しそうなほど激しい怒りをその瞳に燃やしているジェイセンに、「落ち着いて、話し合おうか」と、諭すように言った。




