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第八章 無一物の破砕、あるいは物質的証拠の虚数化

 文化人類学における贈与論によれば、人間は物質の授受を通じて他者と自己を融解させる。裏を返せば、物質を残すことこそが、その空間に実在したという最大の呪詛になり得るのだ。調香師の鼻を現実の臭気でジャミングし、我が本拠地への帰還ルートを死守した私に、さらなる不条理なデバッグが襲いかかる。次の敵は、物理的な抹消のスペシャリスト。産業廃棄物処理業を営む、鉄と油の匂いに塗れたタフな女性だった。彼女は、私の徹底した正体の掴めなさに、ある種の動物的な苛立ちを募らせていた。スマートフォンのログも残さず、衣服の繊維すら偽装する私という存在。彼女は、私の輪郭を物理的に確定させるため、最も原始的で暴力的な手段を選んだ。



「これ、あなたの物よね?」



 彼女のガレージ。重機が唸りを上げる空間のなかで、彼女は私の一切の私物ライター、ハンカチ、そしてあらかじめ彼女の部屋に配置しておいたいくつかの持ち物を、巨大な業務用のシュレッダーの投入口の前に並べた。「全部、この場で粉々にしてやるわ。あなたの爪の垢も、髪の毛がついた遺留品も、文字通りこの世から完全消滅させてあげる。私に嘘をつき続けるなら、あなたの存在そのものをシュレッダーにかけて、ただの塵にしてあげるわ」鉄の刃が噛み合い、凄まじい駆動音が五感を支配する。彼女の瞳にあるのは、私を精神的に追い詰め、理性を剥ぎ取ろうとする、プロの処理業者としての絶対的な確信だった。物質を失う恐怖に、人間は必ずノイズを吐き出す。彼女はそう踏んだのだ。だが、私は防音イヤーマフを外すような仕草で、優雅に両手を広げてみせた。



「どうぞ、シュレッダーはあちらだ。必要なら、油圧コンプレッサーで限界まで圧縮しても構わない」



 私のポーカーフェイスは、一分子の揺らぎもない。なぜなら、彼女がそこに並べた私の私物はすべて、事前に私がいくつかの偽名を使い、別々のエリアの一〇〇円均一ショップで調達した、いつでも代替可能なダミーに過ぎないからだ。私の本質に繋がるデータは、最初から何一つそこにはない。指紋すらも、入念なコーティングによって抹消されている。彼女がどれほど凄まじい質量で物質を破壊しようとも、それは虚空を切り裂いているのと同義だった。



「私の真の痕跡は、最初からこの空間に一ミリも存在しない」



 唖然とする彼女を残し、私は駆動音の響くガレージを音もなく立ち去った。プロフェッショナルな女たちが、どれほどの専門知識と質量をもって私のアルゴリズムをハッキングしようとも、私の脳内コンピューターは常にその数手先を読み、全ての変数を零へと還元し続ける。圧倒的な物質的虚数化による、隠蔽無双。だが、すべてを無に帰したはずの私のバックパックは、帰路の夜風のなかで、まるで世界全体の質量を詰め込んだかのように、重く、冷たく、私の背中にのしかかっていた。


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