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昔話 奴隷少年と先代勇者

『どこから話そうか……そうだな、あれは……』

モノは滔々と語り始めた。

『俺がまだ勇者になる前――奴隷だった頃の話からだな』

「え!? モノも奴隷だったの!?」

『ああ。そういえば言ったことなかったな。百五十年以上前の話だ。信じられないかもしれないが、その頃はここも砂漠なんかじゃなかった』

「そうなの?」

『緑の草原が広がっていてな。俺はハイト王国の戦争孤児だったんだ』

モノは懐かしそうに目を細める。

「ハイト王国?」

『……そうだったな。ハイト王国は滅びたんだった。ミイナが知らなくても無理はないか』

わずかに間を置き、モノは続けた。

『……俺の物語は、奴隷だった俺が先代の勇者に出逢ったところから始まったんだ』

そこで言葉が途切れる。

夜風が吹いた。

王都の灯りを空色の瞳に映しながら、モノは再び語り始めた。



「なんだよ、クソ猫。あっちいけよ」

少年は檻の中から、追い払うように声を上げた。

ここ最近、毎日のように姿を見せる猫だった。

縞模様の焦茶色の毛並み。

緑色の眼。

鉄格子の外――日差しの落ちる場所に、ちょこんと座っている。

鳴きもしない。

近づきもしない。

ただ、じっとこちらを見ていた。

その視線が気に入らなかった。

少年は足元に転がっていた小石を拾い上げる。

「あっちいけ! 目と鼻が痒くなるんだよ!」

勢いよく投げつけた。

石は地面に当たり、乾いた音を立てる。

猫はびくりと身を震わせ――そのまま身を翻し、どこかへ走り去っていった。

檻の外には、再び静けさだけが残る。

少年は鼻を擦り、舌打ちした。

「……もう来るんじゃねえぞ」

一人きりの檻の中で、その言葉だけが虚しく落ちた。

「うるせえぞ! クソガキ!」

奴隷商の罵声が飛ぶ。

次の瞬間、木の棒が檻越しに振り下ろされた。

バキッ!

頭に直撃する。

額から血が流れ落ちた。

少年は奴隷商を睨みつける。

「反抗的な眼をしてんじゃねえ!」

さらに棒が振るわれる。

バキッ!

バキッ!

バキッ!

何度も殴られる。

少年は蹲り、身を丸めて耐えた。

(この野郎……絶対に許さねぇ。覚えていやがれ)

胸の奥で呟く。

そして、なおも殺意を宿した眼で奴隷商を睨み返した。

その時――

牢の扉が開いた。

身なりの良い奴隷商が入ってくる。

そして、その後ろにもう一人。

男が立っていた。

重たい靴音が牢内に響く。

乾いた石床を踏む音。

ゆっくりと。

焦る様子もなく。

奴隷商が慌てて姿勢を正した。

「へ、へい旦那。このガキです。少し気性が荒いですが体は丈夫で――」

言葉は途中で止まった。

男が手を上げただけで、黙った。

男は檻の前に立つ。

白髪だった。

手入れもされていない無造作な髪。

無精髭。

深く刻まれた皺。

旅埃を被った外套。

だが――背筋だけが異様に真っ直ぐだった。

老いているはずなのに、立っているだけで空気が張り詰める。

少年は顔を上げた。

血が頬を伝う。

男は眉一つ動かさない。

ただ――眼だけが動いた。

値踏みするように。

「……何歳だ」

低い声。

「正確には不明でして。戦争孤児です。十か十一かと」

男は頷かない。

ただ見続ける。

沈黙。

耐えきれず、少年が吐き捨てた。

「……なんだよ」

奴隷商が青ざめる。

だが男が再び手を上げた。

静止。

そして初めて少年へ向けて言う。

「殴られても泣かないな」

感想だった。

少年は睨み返す。

「泣いたら止めんのかよ」

男の口元が、わずかに動いた。

「止めん」

即答。

「泣こうが、死のうがな」

少年は言葉を失う。

この男は違う。

同情も、憐れみもない。

だが――怖くもない。

男は一歩近づいた。

鉄格子越しに眼を覗き込む。

その瞬間。

少年の背筋に寒気が走った。

見透かされた。

「……殺したいか」

唐突な問い。

「殴った奴を」

数秒。

少年は迷わない。

「ああ」

男は頷いた。

そして奴隷商へ向き直る。

「これを買う」

「は?」

金貨袋が投げられた。

鈍い音。

「……足りるな」

鍵が開く。

錆びた扉が軋んだ。

少年は動かない。

「……なんでだよ」

男は少し考え――言った。

「壊れにくそうだ」

それだけだった。

「名前はあるか」

「……ねえよ」

男は背を向ける。

「来い」

数歩進み、止まる。

振り返らずに言った。

「今日からお前は――モノ。モノ・クロスだ」

少年は動けなかった。

理由は分からない。

だが。

その日初めて。

自分が“物”ではなくなった気がした。

これが――

少年を拾った先代勇者、

オゼロ・クロスとの出会いだった。


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