王宮と復活祭
沈黙の中、ミイナはゆっくりと息を吸った。
胸元で一度、手を組む。
指先に触れたのは――シャクナ族の指輪。
淡い温もりが、確かに脈打っていた。
(大丈夫)
誰に言われたわけでもない。
けれど、そう思えた。
ミイナは寝台の傍へ膝をつく。
「動かないで」
優しく告げる。
サンディは反射的に身を引こうとしたが、石化した下半身はもう動かない。
「……触るな……」
震える声だった。
拒絶ではない。
――死への恐怖。
ミイナは気にしなかった。
そっと、石となった脚へ手を置く。
冷たい。
生き物の温度ではない。
まるで墓石のようだった。
ラニスタが息を呑む。
「……浄化術を?」
「うん」
短く答え、ミイナは目を閉じた。
指輪が淡く発光する。
祈る。
言葉ではない。
願いでもない。
ただ――救いたいという感情。
柔らかな白い光が生まれた。
光は石化した脚を包み込み、静かに染み込んでいく。
「……あ……?」
サンディが声を漏らす。
石の表面を走っていた亀裂が、ゆっくりと消えていく。
灰色だった色が変わる。
わずかに――肌の色を取り戻していく。
「ま、待て……」
震える声。
衛兵の一人が思わず膝をついた。
誰も動けない。
光が強まる。
石が――崩れた。
そして溶けるように消えていく。
指先。
足首。
脛。
膝。
腰。
石化は静かに後退していった。
そして。
完全に。
人の脚へ戻った。
「……動く」
サンディが呟く。
恐る恐る足を動かす。
指が動く。
膝が曲がる。
次の瞬間。
「動く!!」
泣きながら叫んだ。
寝台から転げ落ちる。
衛兵が支えようとするが、サンディはそれを振り払う。
自分の脚で立とうとする。
震えながら。
何度もよろめきながら。
――立った。
部屋の誰もが言葉を失う。
サンディは自分の脚を見下ろした。
触る。
叩く。
確かめる。
そして、ゆっくりとミイナを見る。
「……本当に……」
声が震える。
「……助けたのか……?」
ミイナは少し困ったように笑った。
「うん。もう大丈夫だよ」
その瞬間。
サンディは崩れるように膝をついた。
王族としてではない。
一人の人間として。
「……ありがとう……」
嗚咽混じりの声。
「……君は……俺を……見捨てなかった……」
ラニスタが顔を覆う。
衛兵たちも視線を伏せた。
サンディはミイナの手を掴む。
強く。
離すまいとするように。
「君は……」
涙に濡れた目で見上げる。
「……俺の救世主だ」
その瞳から、恐怖も傲慢も消えていた。
*
それからの王宮は、かつてないほど騒がしかった。
第三王子の病が完治したという報せは、瞬く間に王都中を駆け巡る。
端正な容姿と気さくな気質を持つサンディは、市民からの人気も高い王子だった。
死の淵からの帰還は、まさに奇跡として語られた。
さらに――
元第一王子にして現国王イーサンの喜びようは凄まじかった。
「宴だ!弟の快気祝いの宴を開くぞ!」
王の一声により、その日のうちに準備が始まり、
王宮のみならず王都全体を巻き込んだ祝宴――
第三王子復活祭が急遽催されることとなった。
そして、一夜が明けた。
*
王宮の控え室は、ダンジョンよりもずっと落ち着かなかった。
「じっとしていてくださいませ」
「う、うん……!」
ミイナは椅子に座らされ、身動き一つ取れずにいた。
鏡の前。
見慣れない自分が映っている。
焦茶色の髪は丁寧に梳かれ、緩やかに編み込まれ、背中へ流されていた。
旅の途中では、いつも無造作に束ねていただけの髪だ。
薄緑のドレス。
胸元には控えめな刺繍。
裾は何層にも重なり、立ち上がるだけで柔らかく揺れる。
布は軽いのに、妙に落ち着かない。
「……これ、汚したらどうしよう」
思わず呟く。
侍女たちは顔を見合わせ、くすりと笑った。
「本日の主役を救われた恩人が、そのような心配をなさる必要はございません」
恩人。
その言葉に、ミイナは少しだけ居心地の悪さを覚える。
助けただけだ。
当然のことをしただけなのに。
「まあまあまあ!素晴らしいですわ!」
背後から弾んだ声。
フィリアだった。
深紅のドレスを完璧に着こなし、まるで最初から王宮の住人のように優雅に立っている。
アンデッドとは思えない気品だった。
「やはり素材が良いのですね。磨けばここまで輝くとは!」
「素材って言わないでよ……」
ミイナが赤くなる。
その隣では――
「尻尾が隠れないニャ!!」
ペルシャが困惑していた。
白いドレスの後ろが不自然に膨らんでいる。
侍女が必死に調整しているが、猫の尻尾は誤魔化しきれない。
「英雄様の特徴として問題ございません!」
「問題あるニャ!」
「せめて尻尾の穴を開けさせてニャ!」
控え室の空気が一気に緩む。
さらに奥では、
「息苦しい」
デクサが露骨に不機嫌だった。
「騎士にこんな格好させるなっての……」
「我慢なさい。公国の名誉もかかっています」
メディアナが静かに嗜める。
対照的にシニサは鏡を楽しそうに覗き込んでいた。
「ねえ姉さん。これ高そう」
「絶対高いです」
三姉妹のやり取りに、ミイナは思わず笑う。
戦いの直後とは思えない。
平和な時間だった。
――コンコン。
窓の外、中庭側から控えめなノック。
「失礼します」
低い声。
振り向いた瞬間、控え室が静まる。
ハイランドだった。
室内へ入れない彼は、中庭で片膝をついていた。
巨体は正装用のローブに包まれている。
王宮が急遽用意した英雄用礼装らしい。
魔物の姿のまま。
だが――誰一人、止めなかった。
傍らにはタキシード姿のクロスケ。
「礼装というのは、どうにも落ち着かぬでござるな」
「は、入っても……問題ありませんか」
遠慮がちな声音。
「当然ですわ」
フィリアが即答する。
「本日の主役の一人ですもの」
ハイランドは少し目を伏せた。
「……そのように扱われるのは、慣れませんね」
その時だった。
黒い影が足元をすり抜ける。
「うわっ」
ミイナのドレスの裾へ飛び乗る。
『おそい!いつまで待たせるつもりだ』
モノだった。
そして――固まる。
空色の瞳がミイナを見上げる。
沈黙。
数秒。
『……』
さらに沈黙。
「な、なに?」
ミイナが落ち着かなくなる。
モノは視線を逸らした。
『……別に』
「絶対なんか思ったでしょ!」
『思ってねえ』
耳がわずかに伏せている。
ペルシャが睨む。
「今、可愛いって思ったニャ」
『思ってねえ!!』
控え室に笑いが弾けた。
ミイナは頬が熱くなる。
理由はわからない。
ただ――少しだけ嬉しかった。
その時。
外から楽団の音が流れ込む。
扉の向こう。
光と歓声。
宴の始まりを告げる音。
侍女が静かに告げた。
「皆様。復活祭の準備が整いました」
扉が開く。
黄金の光が差し込む。
ミイナは一歩、踏み出す。
戦いではない。
けれど――
忘れられない夜になる予感がしていた。




