暗闇と継承の儀
「なんだぁ? 猫勇者ってのはそんなもんかぁ?」
デビルヘッドが嘲笑う。
モノとデビルヘッドの攻防は続いていた。
黒い残像が幾重にも走る。
デビルヘッドの腕が振るわれるたび、黒い炎が迸り、黒い電撃が襲いかかる。
『チッ――!』
モノは地面を蹴り、紙一重で躱す。
直後、背後の石壁が音もなく崩れ落ちた。
触れてすらいない。
呪いそのものが空間を侵食しているのだ。
「逃げてばっかじゃ勝てねぇぞ?」
デビルヘッドが指を鳴らす。
黒炎が無数の蛇のようにうねり、モノへ襲いかかった。
モノは跳ぶ。
回る。
壁を蹴る。
だが、完全には避けきれない。
毛先が焼け、焦げた臭いが漂う。
『……上等だ』
低く唸った。
その瞳は、先程までとは違っていた。
恐怖ではない。
覚悟だった。
(時間を稼げばいい)
(ミイナが終わるまで――)
黒炎を真正面から踏み抜く。
「ほぉ?」
デビルヘッドの眉がわずかに動く。
モノの身体を雷光が包んだ。
エステラが暴れるように膨張する。
『猫勇者ナメんなよ』
次の瞬間――消えた。
いや、加速した。
空気が破裂する。
デビルヘッドの視界の外側から、巨大な肉球型の衝撃が叩き込まれる。
ドォン!!
「ぐっ!」
初めて、デビルヘッドの身体が大きく揺れた。
地面を滑り、瓦礫を巻き上げる。
「……へぇ」
口元が吊り上がる。
「やるじゃねぇか、畜生が」
黒い呪気が爆発的に噴き出した。
周囲のエステラが影のように伸びる。
「でもなぁ――」
次の瞬間、モノの背後に現れる。
速い。
完全な転移に近い。
「遊びは終わりだ」
振り下ろされる呪いの腕。
――しかし。
ガギィン!!
不可視の壁がそれを止めた。
デビルヘッドの表情が歪む。
「……まだ張ってやがるのか」
エスナの結界。
崩れかけながらも、まだ生きている。
その向こう。
ミイナとエスナの周囲だけが、静かな光に包まれていた。
モノは荒い息を吐く。
『……急げよ、ミイナ』
黒猫は再び牙を剥いた。
『次は本気で来いくぞ』
デビルヘッドが笑った。
「いいぜ。相手してやる」
呪いが収束する。
「潰れるまでな」
戦場の空気が、再び爆ぜた。
黒い残像が幾重にも走る。
空間そのものが裂けたかのように、衝撃音だけが遅れて響く。
モノは跳ぶ。
壁を蹴り、地面を滑り、瓦礫を足場に三次元的に動き続ける。
真正面から戦えば勝てない。
それは理解していた。
だから――止まらない。
『……チッ!』
黒い爪がデビルヘッドの頬を掠めた。
浅い。
だが確かに届いた。
「お?」
デビルヘッドが楽しげに笑う。
「さっきより速ぇじゃねぇか」
次の瞬間。
視界から消えた。
(右――)
反射的に身体を捻る。
だが遅い。
ドゴォッ!!
見えない拳がモノの腹部にめり込んだ。
空気が肺から強制的に吐き出される。
身体が地面を転がり、建物の壁へ激突した。
瓦礫が崩れ落ちる。
『……がっ……!』
立て。
立て。
立て。
脚に力を込める。
震える。
だが、立つ。
「いいねぇ」
デビルヘッドが拍手する。
「その目。嫌いじゃねぇ」
次は蹴りだった。
視認できない速度。
モノの身体が宙へ打ち上げられる。
骨が軋む音。
着地も許されない。
追撃。
拳。
肘。
蹴り。
連続。
連続。
連続。
まるで遊ばれている。
地面へ叩きつけられた時、モノの視界は一瞬白く弾けた。
身体が言うことを聞かない。
エステラの揺らぎも弱まっている。
(……ヤバいな)
理解した。
もう長くない。
だが。
視線だけは逸らさない。
その先には――
ミイナと、倒れかけたエスナ。
『……行くなよ』
小さく呟く。
『絶対……行くな……』
「まだ守る気か?」
デビルヘッドが首を傾げる。
「笑えるなぁ。お前、もう終わりだぜ?」
黒い槍が形成される。
それも一本ではない。
数十本もの、呪いそのものの塊。
「じゃあ――終わりにしようか。エスナ共もろとも貫いてやるよ!」
投擲。
回避不能。
モノは動かなかった。
いや――動く必要がなかった。
モノの空色の瞳が、満月のような金色に輝く。
“殺戮眼”
一日二回の制限、その最後を使い切る。
モノが視界に槍を捉えると、槍は反転しデビルヘッドへ殺到した。
「チッ! 反則だぜ!」
デビルヘッドは両腕で槍を受け止めるようにガードする。
しかし、ダメージは殺しきれない。
前脚を踏み出す。
ミイナの前へ。
盾になるように。
『……勇者、だからな』
その瞬間。
モノの意識が暗転しかけた。
――だが。
背後から、温かな光が触れる。
(……時間です)
エスナの声。
世界が静止する。
モノは最後の力で笑った。
『……頼んだぞ、ミイナ』
そして。
モノの意識は、今度こそ暗闇に沈んだ。
*
(温かい)
ミイナが最初に抱いた感想がそれだった。
エスナが握りしめた手から、熱が伝わってくる。
だんだんと身体の奥に熱が広がっていくのがわかる。
(時間です。あとはあなた次第)
「え? エスナさん?」
エスナはミイナにもたれかかるように倒れる。
その身体は驚くほど冷たい。
「エスナさん!」
ミイナは抱きしめるが、反応がない。
呼吸も止まっている。
ミイナの身体の熱が急速に萎んでいく。
そして、その時だった。
エスナの身体が後方へ引っ張られる。
デビルヘッドだった。
引き寄せの魔術だろうか。
エスナを引き寄せたデビルヘッドは、三叉槍でエスナを串刺しにした。
反応がない。
この時、ミイナはエスナがすでに事切れていることを理解した。
「チッ! 死んでやがる。つまらねぇ」
デビルヘッドは乱暴に槍を引き抜き、エスナの頭を踏みつけた。
「やめて!」
ミイナの中で怒りが弾けた。
ミイナは手から連続して水球を放つ。
水蒸気爆発を狙う――はずだった。
デビルヘッドは消えていた。
「なんだぁ? 変わってねーじゃねえか」
いつの間にか背後に回り込み、ミイナを羽交締めにしていた。
(また!? 見えなかった……どうして?
私、強くなったんじゃないの?)
「弱いな。だが、メディアナも失っちまったし、手駒を増やすのも悪くない。お前には適性がありそうだ」
ゴポゴポと音がした。
足元を見る。
ミイナとデビルヘッドの影が溶け合い、沸騰する水のように煮立っている。
そして徐々に、二人の身体が影へ沈んでいく。
「……う……あ……」
羽交締めにされ、息が苦しい。
身を捩って抵抗するが、効果はない。
そのまま――
ミイナの身体と意識は、影の暗闇に飲み込まれていったのだった。




