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結界と解呪の巫女

里の奥へ進むにつれ、建物の密度が徐々に下がっていく。

細い石畳の道がゆるやかに上り坂となり、やがて開けた空間へと出た。

そこにあったのは――

ひときわ大きな、球形の建物だった。

真っ白な石で作られた半球状の外殻。

継ぎ目はほとんど見えず、ひとつの塊を削り出したかのようだ。

表面には、浅く刻まれた紋様が無数に走っている。

蔦にも見え、蛇にも見え、文字にも見える。

どれもがゆっくりと絡み合いながら、建物の中心へ向かって収束していた。

出入口はひとつだけ。

背の高いアーチ状の開口部で、扉は存在しない。

内部から、淡い白光が漏れている。

近づくにつれ、空気が変わる。

音が遠ざかる。

風の気配が消える。

まるで、この場所だけが外界から切り離されているかのようだった。

「……ここが」

ヴェレーノが静かに言う。

「エスナ様のいらっしゃる場所です」



「この先は神聖なる場所です。私は入ることが出来ません。皆様方だけで、入室をお願いします」

「はい。でも、入って何をすれば?」

ミイナが疑問を投げかける。

「シャクナ族の指輪はお持ちですね? それならば大丈夫です。エスナ様に触れる。それだけで、長きに渡る眠りから目覚めさせることが出来るはずです」

「……わかりました。やってみます」

ミイナは力強く頷くと、仲間と共に建物へ入っていった。

建物の内部は広かった。

天井も高く、ハイランドですら背を屈める必要がないほどだ。

その代わり、室内には何もない。

ただ――

中央に、楕円形の透明な球体が鎮座していた。

水晶にも、ガラスにも見える。

だが、そのどちらとも違う、曇りのない透明さ。

その内部に、ひとりの女性が浮かぶように眠っていた。

膝を抱えた姿勢。

純白の長衣に包まれ、静かに目を閉じている。

年若く見える顔立ち。

二十代後半ほどにも見える。

だが、その表情には奇妙な静けさがあった。

髪は銀に近い白。

ゆるやかに身体の周囲へ広がっている。

呼吸はある。

だが浅く、ほとんど動きがない。

長い睫毛の下。

閉じられた瞼の奥に、重い時間が沈んでいるようだった。

祈るように膝を抱えたまま、永い眠りに落ちている。

――それが、エスナだった。

ミイナは、ゆっくりと球体へ歩み寄った。

近づくにつれ、空気が重くなる。

だが、不思議と恐怖はなかった。

「これで……起きるんだよね」

誰にともなく呟き、そっと手を伸ばす。

透明な球体に、指先が触れた。

冷たい。

石よりも冷たく、氷よりも硬い。

その瞬間――

ピシッ。

小さな音。

球体の内側から、細い亀裂が走った。

「え?」

ミイナが目を見開く。

ピキ……ピキピキ……。

亀裂は蜘蛛の巣のように広がっていく。

「ミイナ、離れろ!」

ペルシャの声。

だが、遅い。

パリン――

音は思いのほか静かだった。

透明な殻は、内側から崩れ落ちるように砕け散る。

破片は床に落ちることなく、白い光に溶けて消えた。

そして。

中にいた女の身体が、ゆっくりと前へ傾く。

ミイナは反射的に、その身体を受け止めた。

軽い。

信じられないほど軽い。

その瞬間。

閉じられていた瞼が、ゆっくりと持ち上がる。

淡い灰色の瞳。

焦点は真っ直ぐにミイナを捉えていた。

眠りから覚めたばかりの目ではない。

最初から、すべてを知っていたかのような目だった。

「……来ましたか」

声はかすれていない。

静かで、はっきりしている。

「後継者キアリ」



その言葉を聞いた瞬間、ミイナの瞳は罪悪感で揺れた。

「……ごめんなさい。私はニイナ……いえ、キアリさんではありません。ミイナといいます」

エスナの視線が、わずかに細まる。

「何を言っているのです? その指輪は確かにキアリに託した物。純粋な後継者の証」

「……ごめんなさい。この指輪も、キアリさんから貰いました。私は、ミイナです」

沈黙。

「……ミイナ。それでは、キアリは? キアリはどうなったのです?」

胸が痛む。

ミイナは唇を噛んだ。

そして、答える。

「……死にました」

空気が、凍る。

「……間違いないのですね?」

「はい」

エスナは目を閉じた。

ほんの一瞬だけ。

だが、その顔に浮かんだものは悲しみではなかった。

理解。

そして、計算。

「それで、貴方たちはキアリでもないのに、私の結界を解除した。どうしてです?」

「ヴェレーノさんに言われたからです。貴方を目覚めさせるようにと」

エスナの眉が、はっきりと動いた。

「ヴェレーノ?」

静かな声。

「……誰ですか、それは」

「え?」

ミイナは困惑する。

「白い装束の――この里の人で……」

エスナの顔色が、変わった。

「……なんという事を」

低い声。

「結界は、内側からしか解けない」

その瞬間。

バキバキッ。

鈍い破砕音。

天井に亀裂が走る。

「あ、危ない!」

ハイランドが反射的に皆を抱え込む。

ガラガラガラッ――!

石と白壁が崩れ落ちる。

祈祷場は、一瞬で瓦礫の山へと変わった。

ミイナたちを巻き込んで。



ミイナたちは無事だった。

ハイランドが庇ってくれたこともある。

しかし、一番大きかったのはエスナの結界だった。

全員を囲むように、薄い透明な膜が展開され、降り注ぐ瓦礫を受け止めている。

石は触れた瞬間、力を失ったかのように滑り落ちた。

粉塵がゆっくりと沈む。

やがて、音が止んだ。

白い祈祷場は、跡形もなく崩れ去っていた。

だが、ミイナたちの周囲だけが、不自然な円形に守られている。

「……た、助かりました」

ハイランドが、かすれた声で言う。

エスナは振り向かない。

片手を軽く上げたまま、外を見据えている。

「やってくれましたね」

その声に焦りはない。

ただ、事実を述べているだけだ。

ミイナは、はっとして叫んだ。

「ヴェレーノさんは!?」

崩れた瓦礫の向こう。

白い街路の上に、ひとり立っている影。

ゆっくりと、こちらへ歩いてくる。

足音は妙に乾いている。

コツ、コツ、と。

「ようやく、目覚めましたか」

ヴェレーノは穏やかに微笑んだままだ。

だが――

その目に、先ほどまでの柔らかさはない。

エスナが、静かに呟く。

「……この里に、ヴェレーノという者は存在しません」

空気が変わる。

白装束の裾が、音もなく黒ずむ。

肌に亀裂が走る。

笑みが横に裂ける。

骨が軋む音。

頭部の輪郭が歪み、四本の角が突き出す。

眼が、赤黒く染まる。

次の瞬間、そこに現れたのは――悪魔の顔だった。

「二十年ぶりだな、エスナ」

声が重なる。

ひとつではない。

喉の奥から、別の声が滲み出る。

「……デビルヘッド」

エスナの声は変わらない。

感情はない。

だが、結界の膜が僅かに揺れている。

ミイナは、ごくりと唾を飲み込んだ。

自分が、封印を解いた。

デビルヘッドが嗤う。

「礼を言うぞ、小娘。封印を解いてくれてな」

結界の外側で、黒い圧が膨れ上がる。

エスナが、初めてミイナを振り返った。

「ええ。まったくです」

淡々と。

「余計なことをしてくれました」

その声は冷え切っている。

ミイナは、胸の奥がきゅっと締めつけられる感覚に襲われた。

デビルヘッドとエスナが睨み合う。

静寂が、張り詰める。

そして――

空気が、戦いを予感させていた。




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