脱獄と第一王子
ミイナは、第三王子の私室にいた。
囚われている――
その自覚は、はっきりとあった。
鍵は掛かっていない。
縄も鎖もない。
けれど、自由ではない。
お付きのメイドすら居ない。
ミイナが「一人にしてほしい」と頼んだからだ。
夜には王との謁見があるらしい。
瀟洒なドレスが、整然と用意されている。
淡い光沢。
繊細な刺繍。
息を呑むほどの美しさ。
テーブルにはケーキ。
新しく淹れ直された紅茶が、まだ湯気を立てている。
甘い香りが、部屋を満たしていた。
それでも。
ミイナはドレスに着替える気にも、
紅茶やケーキに口をつける気にもなれなかった。
天蓋付きのベッドに倒れ込む。
柔らかい。
あまりにも、柔らかい。
泣き出しそうになる。
けれど、唇を強く噛んで堪えた。
(仕方ないよね)
(これで、良かったんだよね)
何度も、何度も、自分に問いかける。
自分で選んだ答えだ。
誰かに強制されたわけじゃない。
自分で、決めた。
これで良かったのだ。
――良かったはずだ。
そう言い聞かせても、
胸の奥のざらつきは消えない。
目を閉じると、浮かぶのは。
『何度でも、救い出してやる』
あの声。
あの目。
(……バカだよ、モノ)
涙が、滲みかける。
ミイナは、ぎゅっと拳を握った。
泣くな。
泣いたら、揺らぐ。
揺らいだら、全部無駄になる。
けれど。
それでも。
胸の奥で、小さな声が囁く。
――本当に、これで終わりなの?
その時。
乱暴なノックの音が響いた。
ドン、ドン、と。
静かな部屋には不釣り合いな音だった。
続いて、扉の向こうから言い争う声が聞こえてくる。
「おやめください……イーサン様……。サンディ様は不在です……」
「うるさい。サンディなどに用はない」
低く、荒い声。
「俺はサンディの“客人”に会いに来たのだ」
「おやめください……! どうか、どうかお引き取りを……」
「どけ」
短い一言。
直後。
「俺は第一王子イーサンだぞ!」
ガチャリ。
乱暴に扉が開いた。
屈強な男が、部屋に踏み込んでくる。
サンディよりもさらに背が高い。
肩幅も広く、全身が鍛え上げられているのが一目で分かる。
刈り上げられた金髪。
鋭い眼光。
いかにも軍人然とした風格。
ミイナは、思わず息を呑んだ。
「ほう。お前が、サンディの“客人”。いや、側室の候補か」
「は、はい」
「ふふっ。なかなか美しいではないか。父上が病気の時に何を遊び回っているかと思いきや、このような上玉を囲っていたとは」
イーサンの視線が、足元から頭のてっぺんまでミイナを舐めるように見る。
ミイナは思わず一歩後ずさる。
「決めたぞ。お前は俺の正室にする」
唐突な宣言。
そして、それが当然だと言わんばかりの態度だった。
「え?……え?」
ミイナは困惑する。
「大人しく、俺のものになるのだ!」
イーサンはミイナの腕を乱暴に掴むと、ベッドに放り投げた。
そしてそのまま馬乗りになる。
両腕を抑えられる。
力が強い。
ミイナは動けなかった。
「おやめください!」
その時、大音量が響いた。
「兄上! 何をしているのです!?」
衛兵に呼ばれてきたのだろう。
サンディが部屋の戸口に立っていた。
*
「戻ってきたのか。邪魔をするなサンディ!」
ミイナに馬乗りになった姿勢のまま、イーサンはサンディを一喝した。
「ご自分が何をしているか、わかっておられるのですか⁉︎ 弟の側室に手を出そうとするなど!」
「側室……候補だろう? まだ、父上にお目通りしておらぬ。それに、俺は正室として迎えると言っているのだ。扱いの差を考えれば俺のものになるのが当然と言うものだ!」
「何をふざけた事を……兄上には既に正室がいらっしゃるではないですか……」
「そうだったか? それなら、そいつはもう要らぬ。欲しけりゃくれてやるぞ? ともかく、この女は俺の正室にする!」
「兄上はそうやって、いつもいつも俺から何もかも奪っていく! 今回ばかりは許しません!」
サンディの口調が乱れる。
ミイナは初めて、この男の素顔を見た気がした。
「許さない? 第三王子ごときが王位継承権一位の俺をどう許さないというのだ? いいか? サンディ。実力行使というのはこうやってやるのだ!」
次の瞬間、部屋の中に兵士がなだれ込んでくる。
赤燐隊とは違う、青い鎧を身に纏った集団。
「正規兵……! 兄上! こんな事のために軍を動かすなど!」
「うるさい! 愛は全てに優先するのだ!」
イーサンは無骨な手でミイナの髪を撫でた。
(気持ち悪い)
ミイナはそう思った。
初対面の男に髪を触られるのが、こんなに不快だと初めて知った。
「そうですよー。愛はー、全てに優先するのですー」
間延びした声。
窓の外に、蝙蝠の翼を生やしたサンサが浮遊していた。
*
「貴様の仕業か……! 兄上を元に戻せ!」
サンディが怒声をサンサにぶつける。
「私はー、ちょっとだけ、第一王子の欲望の力を強めただけですよー。元からそういう素質があったのでーす」
「ふざけるな!」
サンディはもう、冷静さを失っている。
サンサはますます楽しそうに笑う。
「正規兵の皆さーん。愛するイーサン王子の為にー、サンディ王子を排除しちゃいましょー」
正規兵が一斉にサンディを取り囲む。
「赤燐隊! サンディ王子を守れ!」
衛兵が叫んだ。
廊下から赤い鎧の集団が殺到し、室内は混戦状態になる。
サンディは衛兵に連れ出され、部屋の外へと避難させられる。
「やれやれ。飛んだ邪魔が入ったな。さて、続きをやろうか」
イーサンがミイナの服の胸元に手をかけた。
「やめてください!」
ミイナは叫んでジタバタするが、イーサンはびくともしない。
(やっぱり、普通じゃない! 完全に魅了の術にかかっているんだ……)
ミイナが諦めかけて、目を閉じた。
その時だった。
ズガァァァアン!
轟音が鳴り響いた。
気がつくと、部屋の壁が崩落していた。
そして、崩落した壁の穴から、巨大な魔物――ハイランドが覗き込んでいる。
「ま、間に合ったようですよモノ」
『ああ。待たせたな。ミイナ!』
ハイランドの方には、額に×模様の黒猫――モノが佇んでいた。




