牢獄と側室
ミイナは、先ほどのサンディ王子とのやり取りを思い出していた。
「取引をしましょう」
「取引……?」
「ええ、そうです。
まず、貴女の仲間の猫さんと案山子さんは、現在牢獄に囚われています」
「牢獄……」
「ええ。ですが――」
サンディは穏やかな声のまま続けた。
「貴女が私の条件を飲むと言うなら、直ぐにでも解放しましょう。
さらに、呪いを解く手伝いもします。シャクナ族の里も探しましょう」
甘い提案だった。
「条件って……なんですか……?」
「ミイナさん」
サンディは立ち上がり、ゆっくりと片膝をつく。
そして、ミイナの手を取った。
「貴女を、私の側室に迎えたい」
「……ソクシツってなんですか?」
「簡単に言えば、私の妻になって欲しいということです」
穏やかな微笑み。
「本当は正室に迎えたいのですが、外交上、ユニコール公国のご令嬢との婚約が決まっておりましてね」
「妻……結婚ってことですか……?」
「ええ。その通りです」
サンディは指先に力を込めることもなく、ただ柔らかく握ったまま言う。
「もちろん、何一つ不自由はさせません。
食事も、洋服も、装飾品も」
少しだけ身を寄せる。
「私の側にいてさえくれれば、それでいいのです」
甘い声。
逃げ道を塞ぐような、甘さ。
「……本当に、モノ達を自由にしてくれるんですね?」
「ええ」
即答だった。
「それどころか、呪いを解く手伝いまでするのです。
悪い条件ではないでしょう?」
確かに――そうだ、とミイナは思った。
ミイナが自由を諦めれば、モノとクロスケは解放される。
それだけではない。
ハイランドとフィリアの呪いまで、解けるかもしれない。
自分一人の自由と、皆の未来。
天秤は、あまりにも分かりやすい。
「……わかりました」
小さく息を吐く。
「でも、条件があります」
サンディの眉が、わずかに動いた。
「なんでしょう?」
「一つ目は、シャクナ族の里までは私も連れて行くこと」
「もちろんです。許可しますよ」
即答だった。
「もう一つは、私からモノ達にこの事を伝えることです」
「別れの挨拶、という訳ですか」
サンディは静かに微笑む。
「それも構いませんよ」
あまりにも、あっさりと。
「それでは――牢獄に案内しましょう」
それが、先ほど王子の部屋で交わされた会話だった。
*
そして、時は牢獄に戻る。
沈黙を破ったのは、ミイナだった。
「モノ。わかって。これしかないの」
『……わかる訳ないだろ』
モノの声が、低く響く。
『ミイナ。よく聞け』
ミイナは息を呑んだ。
『俺は勇者だ』
『勇者は、何があっても諦めない』
『お前が檻の中に閉じ込められてるなら――』
『何度でも、救い出してやる』
『何度でもだ!』
「モノ……」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
『最後に――』
モノは檻の向こうでニヤリと笑った。
『そこのロリコン王子にも伝えてくれよ』
『必ず、ぶっ飛ばすってな』
「ロリコン? なにそれ?」
困惑するミイナ。
その背後から、穏やかな声。
「どうしました? 別れは済みましたか?」
サンディが、にこやかに尋ねる。
『おい! このロリコン野郎!』
『絶対ぶっ飛ばしてやるからな!』
『覚えておけよ!』
完全な暴言だった。
王子の心象を悪くすること、間違いない。
ミイナは――
あえて、サンディには伝えないことにした。
「おい! ミイナ!」
『待ってろよ!』
『必ず! 必ず、救い出してやるからな!』
ミイナは、もう振り返らなかった。
サンディ王子に手を引かれ、
牢獄を後にする。
胸の奥が、痛いほど熱くなるのを感じていた。
*
薄暗い。
重い。
息をするたび、胸が痛む。
首元の首輪が、じわじわとエステラを削っていくのが分かる。
それでも――
モノは、目を閉じなかった。
(……連れて行かれたな)
ミイナの気配が、完全に遠ざかっていた。
鉄格子の向こう。
結界の向こう。
もう、声も届かない。
普通なら。
ここで、絶望する。
膝をついて。
終わりだと。
そう思う場面だ。
だが。
モノは歯を食いしばった。
(ふざけんなよ……)
勇者は、こんなところで終わらない。
ミイナは言った。
――自分の冒険は、ここで終わりだと。
違う。
終わらせるわけがない。
終わらせる訳にはいかない。
「人でも殺しそうな剣幕ですねー」
間延びした声が、牢獄に響く。
サンサだった。
サンサはモノの正面の牢に囚われていた。
四肢と首は鎖に繋がれ、檻の中にはエステラを吸収する蛇の装飾の杖が地面に刺さっている。
『魔族が何の用だ』
モノの声は冷えきっていた。
「釣れないですねー。私たちも取引しませんかー」
『魔族と取引はしない。黙ってろ』
きっぱりと断つ。
「えー。良いんですかー?
貴方の大切な人が、ロリコン王子の玩具にされちゃいますよー」
その時、ラニスタが動いた。
檻の中へ踏み込み、拳を振り抜く。
ドゴッ!
サンサの頬が横に弾けた。
「誰がロリコンだ。
これ以上、サンディ王子を貶めるなら――
その舌、切り刻んでやろうか」
怒気を孕んだ声。
サンサの口の端から血が伝う。
「痛いですよー。でも、わかりましたー。
実は、貴女の方が王子の側室になりたかったんじゃないですかー?」
「黙れ!」
さらに、もう一発。
「図星ですかー。
叶わない恋って、辛いですよねー」
バキッ。
さらに殴りつける。
だが、サンサは喋り続ける。
「私ならー、
貴女と王子をくっつけてあげられますよー。
この魅了の力でー。
どうですかー?
私を自由にしてみませんかー」
「黙れ! 黙れ! 黙れ!」
拳が何度も叩き込まれる。
バキッ!
バキッ!
バキッ!
「ラニスタ様! おやめください!」
若い魔術師が必死に羽交い締めにする。
サンサは血まみれの顔で笑った。
「ふふふっ……痛かったですよー。
忘れませんからねー」
「見張っておけ」
ラニスタはそれだけ言い残し、牢獄を後にした。
『なんというか……アイツも凄まじいな……』
『そうでござるな……』
モノとクロスケは小さく頷き合う。
「取引と言ってもー。難しくないんですよー?」
サンサは懲りもせず喋り続ける。
モノとクロスケは完全に無視を決め込んだ。
「もう直ぐー、私は脱獄しますー。
だから、そこで見逃して欲しいんですー」
『……何度も言わせるな。魔物と取引はしない』
『そうでござる! 馬鹿にするなでござるよ!』
「そうですかー。残念ですー。
ではお先にー」
カチャリ。
錠が外れる音。
『……え?』
先ほどまでラニスタを抑えていた若い魔術師が、無言でサンサの拘束を外していく。
『な! どういうことでござるか⁉︎』
「見ての通りですー。
この子も私に魅了済みだったんですよー。
王宮に潜り込ませておいて良かったー」
『ず、狡いでござる!
こっちの鍵も……!』
「残念ながらー、
魔族と取引はできないんですよねー?」
にたり、と笑う。
「ではではー。さようならー」
サンサは悠々と牢獄を後にした。
沈黙。
『……おい。どうする? これ』
『うーむ……大声で叫ぶとかでござるか?』
『通じないだろ。猫と案山子だし』
『そうでござるよな……』
そして、一拍。
『脱獄でござるー!』
『誰かー来てくれー! 魔族が逃げたぞー!』
声は、誰にも届かない。
牢獄の壁に阻まれ、虚しく消えていった。




