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逃走と真犯人

王都ペンタグラムは、北を頂点とした五角形の都市である。

ラニスタと遭遇した南区から、ミイナたちの拠点としている東区のホラーハウスまでは、単純に中央を突っ切った方が早い。

中央区には王宮と大学が併設しており、お尋ね者の今は王宮には近づけない。

必然的にミイナは、中央区の大学の外縁を走り抜けていた。

ミイナは、ただ無我夢中で走っていた。

石畳が足裏を打つ。

肺が焼ける。

視界が滲む。

(止まるな……)

(止まったら……)

頭の中に浮かぶのは、背後の光景。

クロスケの背中。

モノの牙。

そして、淡く微笑むラニスタ。

(私が……置いてきた)

胸が、ぎゅっと潰れる。

「っ……!」

転びそうになり、壁に手をつく。

掌が擦りむけたが、構わず走る。

(フィリアさん……)

(ペルシャさん……)

(助けを呼ばなきゃ)

その時、場違いな声が響いた。

「ミイナさーん」

「え?」

振り返ると、大学の制服を着た――

女生徒のような服装の男子生徒、サンサが両手を振っていた。

「お急ぎですかー?」

ミイナは止まる時間も惜しかった。

だが、無視することはしなかった。

「はい! 東区まで急いでいます!」

「それなら、大学の構内を抜けた方が早いですよー。私が案内しますよー」

サンサはゆったりとした声で言う。

ミイナは一秒が惜しい。

その提案に乗ることにした。

「お願いします!」



サンサと共に、大学の門をくぐる。

「こっちですよー」

「はい!」

サンサの後について、ミイナは走った。

大学の構内は広く、閑散としていた。

いや――

閑散としすぎている。

静かすぎるのだ。

ミイナは、はっきりと違和感を覚えた。

「サンサさん……今日って、大学お休みなんですか……?」

「いいえー。普通の登校日ですよー」

「じゃあ、授業中とか……?」

「いいえー。自由時間ですよー」

違和感が、さらに強くなる。

ミイナの背筋を、冷たいものが走った。

「サンサさん……なんか変です……」

「そうですかー? 気にしすぎですよー」

サンサは、くるりと振り向く。

「そんなことよりー、やっと二人きりになれましたねー」

次の瞬間。

サンサは両手でミイナの頬を包み込み、顔をぐっと近づけた。

「な、何を……」

「さぁ、私の目を見てー。ドキドキしてきたでしょー」

「え? あれ?」

ミイナは、自分がサンサから目を逸らせなくなっていることに気づいた。

「私に恋してくださーい。ほらー、貴女はもう私のものー」

「え?」

確かに、胸のあたりがほんのり温かい。

だが――

(こい?

コイってなんだろう?

鯉? 濃い? 来い? 恋?

なんで?)

ミイナは、恋という感覚がまるで分からなかった。

「あ、あの……サンサさん?」

「…………恋もしたことがないのか。小娘め」

声が、変わった。

ぞくり、と空気が冷える。

ミイナは咄嗟に後ろへ飛び退き、距離を取った。

「私の魅了が効かないとは、お子様ですねー」

サンサの瞳が、赤黒く染まっていく。

ぐにゃり、と音を立てるように。

頭部から、渦を巻く山羊のような角が生えた。

「まぁ、もういいですー」

口元が、歪む。

「ここからは、力づくでやらせてもらいますからー」

ミイナは悟った。

――次なる敵に、遭遇してしまったのだと。



「その眼……サンサさん……魔王の……?」

「そうでーす! 私は魔王様の手下、魅了の呪眼を授かったサンサでーす!」

バサッ、と音を立てて、背中に蝙蝠のような黒い翼が生える。

「まさか、ディエスさんも貴方が……?」

「そうですよー。余計なことを喋られても困りますのでー。こういう風にー」

サンサの周囲に、数十本の氷柱が浮かび上がる。

先日の魔道戦の時よりも、明らかに多い。

一本一本が、鋭く、太い。

「それー」

間延びした声。

だが次の瞬間。

氷柱は、声とは不釣り合いな凄まじい速度でミイナへと迫った。

――殺す気だ。

ミイナは直感した。

「っ!」

ミイナは魔道戦の時と同じように、水球を盾のように展開する。

ガガガガガッ!!

氷柱が水球に突き刺さり、弾け、砕ける。

「やはり、そうきますかー」

「では、これでどうですかー?」

サンサは、ゆっくりと両手を広げた。

「ではではー」

指を鳴らす。

パチン。

乾いた音が、大学の中庭に響いた。

――同時に。

カツ。

カツ。

カツ。

足音。

ミイナの視界の端で、何かが動いた。

学生だ。

さっきまで、構内のどこにもいなかったはずの学生たち。

どこからともなく現れ、全員が――

同時に、首をこちらへ向けた。

表情はない。

瞬きもしない。

瞳は、濁ったガラスのようだった。

「……っ」

ミイナの喉が、ひくりと鳴る。

カツ。

カツ。

カツ。

ぎこちない足取りで、学生たちが歩き出す。

走らない。

急がない。

ただ、確実に距離を詰めてくる。

「な、なに……これ……」

サンサが楽しそうに言った。

「魅了中でーす」

「皆さん、とっても素直なんですよー」

「私が“捕まえろ”って言ったらー」

くすり、と笑う。

「ちゃんと捕まえてくれるんですー」

学生の一人が、腕を伸ばす。

指先が、ミイナの袖をかすめた。

「ひっ……!」

ミイナは後ずさる。

だが――

背後にも。

横にも。

前にも。

学生。

学生。

学生。

逃げ道が、完全に塞がれていく。

サンサは角を揺らしながら、ゆっくりと歩み寄る。

「抵抗しても無駄ですよー」

「大人しくー、私のものになりましょうー」

次の瞬間。

生徒たちの手が、ミイナの腕を掴む。

脚を掴む。

腰を掴む。

さらに、首へと伸びてくる。

「っ……!」

息が詰まる。

視界が、暗くなる。

ミイナの頭の中が、真っ白になった。

――その時。

「放て」

低く、感情のない声。

すぐ近くではない。

だが、はっきりと届く声。

ヒュン――!

風を裂く音。

次の瞬間。

無数の矢が、一斉に放たれた。

眉間。

喉。

肩。

心臓。

正確すぎる矢が、ミイナを拘束していた生徒たちを次々と貫く。

生徒たちは、呻き声すら上げない。

糸が切れた人形のように、その場へ崩れ落ちた。

「……ゲホッ、ゲホッ……!」

ミイナは膝をつき、激しく咳き込む。

涙で滲む視界の中。

ゆっくりと顔を上げる。

逆光の中、豪奢な鎧の輪郭が浮かび上がる。

弓を構えた兵士たち。

そして、その前に立つ男。

かつて、ディエスの弟子を名乗っていた人物。

トーレスだった。



「トーレスさん……?」

ミイナは、涙で滲んだ目でトーレスを見上げた。

「ええ。ディエスが殺されたと知り、ずっとホラーハウスの前で待っていたのですよ?」

トーレスは、穏やかな声で言う。

「間に合って良かったです」

そう言って、ミイナに優しく微笑みかけた。

「あらー。これはまた、すごいゲストが出てきましたねー」

間延びした声。

だが、サンサの瞳は笑っていなかった。

「第二射。放て」

トーレスが、淡々と命じる。

ヒュン――!

放たれた矢が空気を切り裂く。

「ちっ!」

サンサはくるりと身を翻し、矢を回避する。

躱しきれない数本は、背中の蝙蝠の翼で叩き落とした。

「みなさーん! やっちゃってくださーい!」

サンサが甲高い声で叫ぶ。

次の瞬間。

物陰から、生徒たちが現れる。

いや――

よく見れば、大人も混じっている。

教授だろうか。

職員だろうか。

年齢も性別もバラバラ。

だが、全員が同じ表情をしていた。

虚ろな目。

操られた人形のような顔。

彼らは、一斉にトーレスたちへ向かって走り出す。

「第三射。放て」

躊躇は、なかった。

ヒュン――!

ヒュン――!

ヒュン――!

放たれた矢は、寸分の狂いもなく、

眉間。

心臓。

喉。

次々と急所を貫いていく。

走っていた人影が、次々と倒れていく。

悲鳴すら、上がらない。

「……流石にドン引きですー」

サンサが肩をすくめる。

「酷いですねー。罪もない生徒達を射殺すなんてー」

(どの口が言ってるの……)

ミイナはそう思いながらも、

同時に――

躊躇なく人を射抜いたトーレスの姿に、背筋が冷たくなるのを感じていた。

トーレスは、表情も変えずに言う。

「学生も国民も、国の――そして王家の所有物です」

淡々とした声。

感情は、そこになかった。

「自分の物を、どう扱おうと。私の自由でしょう?」

まるで、当然のことを言っているかのように。

ミイナの頭が、追いつかない。

――王家?

――所有物?

「なるほどー」

サンサが、にやりと口角を上げる。

「噂通りの冷血漢、というわけですかー」

そして、ゆっくりと言った。

「第三王子“サンディ・サンサーラ”!」


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