逃走と真犯人
王都ペンタグラムは、北を頂点とした五角形の都市である。
ラニスタと遭遇した南区から、ミイナたちの拠点としている東区のホラーハウスまでは、単純に中央を突っ切った方が早い。
中央区には王宮と大学が併設しており、お尋ね者の今は王宮には近づけない。
必然的にミイナは、中央区の大学の外縁を走り抜けていた。
ミイナは、ただ無我夢中で走っていた。
石畳が足裏を打つ。
肺が焼ける。
視界が滲む。
(止まるな……)
(止まったら……)
頭の中に浮かぶのは、背後の光景。
クロスケの背中。
モノの牙。
そして、淡く微笑むラニスタ。
(私が……置いてきた)
胸が、ぎゅっと潰れる。
「っ……!」
転びそうになり、壁に手をつく。
掌が擦りむけたが、構わず走る。
(フィリアさん……)
(ペルシャさん……)
(助けを呼ばなきゃ)
その時、場違いな声が響いた。
「ミイナさーん」
「え?」
振り返ると、大学の制服を着た――
女生徒のような服装の男子生徒、サンサが両手を振っていた。
「お急ぎですかー?」
ミイナは止まる時間も惜しかった。
だが、無視することはしなかった。
「はい! 東区まで急いでいます!」
「それなら、大学の構内を抜けた方が早いですよー。私が案内しますよー」
サンサはゆったりとした声で言う。
ミイナは一秒が惜しい。
その提案に乗ることにした。
「お願いします!」
*
サンサと共に、大学の門をくぐる。
「こっちですよー」
「はい!」
サンサの後について、ミイナは走った。
大学の構内は広く、閑散としていた。
いや――
閑散としすぎている。
静かすぎるのだ。
ミイナは、はっきりと違和感を覚えた。
「サンサさん……今日って、大学お休みなんですか……?」
「いいえー。普通の登校日ですよー」
「じゃあ、授業中とか……?」
「いいえー。自由時間ですよー」
違和感が、さらに強くなる。
ミイナの背筋を、冷たいものが走った。
「サンサさん……なんか変です……」
「そうですかー? 気にしすぎですよー」
サンサは、くるりと振り向く。
「そんなことよりー、やっと二人きりになれましたねー」
次の瞬間。
サンサは両手でミイナの頬を包み込み、顔をぐっと近づけた。
「な、何を……」
「さぁ、私の目を見てー。ドキドキしてきたでしょー」
「え? あれ?」
ミイナは、自分がサンサから目を逸らせなくなっていることに気づいた。
「私に恋してくださーい。ほらー、貴女はもう私のものー」
「え?」
確かに、胸のあたりがほんのり温かい。
だが――
(こい?
コイってなんだろう?
鯉? 濃い? 来い? 恋?
なんで?)
ミイナは、恋という感覚がまるで分からなかった。
「あ、あの……サンサさん?」
「…………恋もしたことがないのか。小娘め」
声が、変わった。
ぞくり、と空気が冷える。
ミイナは咄嗟に後ろへ飛び退き、距離を取った。
「私の魅了が効かないとは、お子様ですねー」
サンサの瞳が、赤黒く染まっていく。
ぐにゃり、と音を立てるように。
頭部から、渦を巻く山羊のような角が生えた。
「まぁ、もういいですー」
口元が、歪む。
「ここからは、力づくでやらせてもらいますからー」
ミイナは悟った。
――次なる敵に、遭遇してしまったのだと。
*
「その眼……サンサさん……魔王の……?」
「そうでーす! 私は魔王様の手下、魅了の呪眼を授かったサンサでーす!」
バサッ、と音を立てて、背中に蝙蝠のような黒い翼が生える。
「まさか、ディエスさんも貴方が……?」
「そうですよー。余計なことを喋られても困りますのでー。こういう風にー」
サンサの周囲に、数十本の氷柱が浮かび上がる。
先日の魔道戦の時よりも、明らかに多い。
一本一本が、鋭く、太い。
「それー」
間延びした声。
だが次の瞬間。
氷柱は、声とは不釣り合いな凄まじい速度でミイナへと迫った。
――殺す気だ。
ミイナは直感した。
「っ!」
ミイナは魔道戦の時と同じように、水球を盾のように展開する。
ガガガガガッ!!
氷柱が水球に突き刺さり、弾け、砕ける。
「やはり、そうきますかー」
「では、これでどうですかー?」
サンサは、ゆっくりと両手を広げた。
「ではではー」
指を鳴らす。
パチン。
乾いた音が、大学の中庭に響いた。
――同時に。
カツ。
カツ。
カツ。
足音。
ミイナの視界の端で、何かが動いた。
学生だ。
さっきまで、構内のどこにもいなかったはずの学生たち。
どこからともなく現れ、全員が――
同時に、首をこちらへ向けた。
表情はない。
瞬きもしない。
瞳は、濁ったガラスのようだった。
「……っ」
ミイナの喉が、ひくりと鳴る。
カツ。
カツ。
カツ。
ぎこちない足取りで、学生たちが歩き出す。
走らない。
急がない。
ただ、確実に距離を詰めてくる。
「な、なに……これ……」
サンサが楽しそうに言った。
「魅了中でーす」
「皆さん、とっても素直なんですよー」
「私が“捕まえろ”って言ったらー」
くすり、と笑う。
「ちゃんと捕まえてくれるんですー」
学生の一人が、腕を伸ばす。
指先が、ミイナの袖をかすめた。
「ひっ……!」
ミイナは後ずさる。
だが――
背後にも。
横にも。
前にも。
学生。
学生。
学生。
逃げ道が、完全に塞がれていく。
サンサは角を揺らしながら、ゆっくりと歩み寄る。
「抵抗しても無駄ですよー」
「大人しくー、私のものになりましょうー」
次の瞬間。
生徒たちの手が、ミイナの腕を掴む。
脚を掴む。
腰を掴む。
さらに、首へと伸びてくる。
「っ……!」
息が詰まる。
視界が、暗くなる。
ミイナの頭の中が、真っ白になった。
――その時。
「放て」
低く、感情のない声。
すぐ近くではない。
だが、はっきりと届く声。
ヒュン――!
風を裂く音。
次の瞬間。
無数の矢が、一斉に放たれた。
眉間。
喉。
肩。
心臓。
正確すぎる矢が、ミイナを拘束していた生徒たちを次々と貫く。
生徒たちは、呻き声すら上げない。
糸が切れた人形のように、その場へ崩れ落ちた。
「……ゲホッ、ゲホッ……!」
ミイナは膝をつき、激しく咳き込む。
涙で滲む視界の中。
ゆっくりと顔を上げる。
逆光の中、豪奢な鎧の輪郭が浮かび上がる。
弓を構えた兵士たち。
そして、その前に立つ男。
かつて、ディエスの弟子を名乗っていた人物。
トーレスだった。
*
「トーレスさん……?」
ミイナは、涙で滲んだ目でトーレスを見上げた。
「ええ。ディエスが殺されたと知り、ずっとホラーハウスの前で待っていたのですよ?」
トーレスは、穏やかな声で言う。
「間に合って良かったです」
そう言って、ミイナに優しく微笑みかけた。
「あらー。これはまた、すごいゲストが出てきましたねー」
間延びした声。
だが、サンサの瞳は笑っていなかった。
「第二射。放て」
トーレスが、淡々と命じる。
ヒュン――!
放たれた矢が空気を切り裂く。
「ちっ!」
サンサはくるりと身を翻し、矢を回避する。
躱しきれない数本は、背中の蝙蝠の翼で叩き落とした。
「みなさーん! やっちゃってくださーい!」
サンサが甲高い声で叫ぶ。
次の瞬間。
物陰から、生徒たちが現れる。
いや――
よく見れば、大人も混じっている。
教授だろうか。
職員だろうか。
年齢も性別もバラバラ。
だが、全員が同じ表情をしていた。
虚ろな目。
操られた人形のような顔。
彼らは、一斉にトーレスたちへ向かって走り出す。
「第三射。放て」
躊躇は、なかった。
ヒュン――!
ヒュン――!
ヒュン――!
放たれた矢は、寸分の狂いもなく、
眉間。
心臓。
喉。
次々と急所を貫いていく。
走っていた人影が、次々と倒れていく。
悲鳴すら、上がらない。
「……流石にドン引きですー」
サンサが肩をすくめる。
「酷いですねー。罪もない生徒達を射殺すなんてー」
(どの口が言ってるの……)
ミイナはそう思いながらも、
同時に――
躊躇なく人を射抜いたトーレスの姿に、背筋が冷たくなるのを感じていた。
トーレスは、表情も変えずに言う。
「学生も国民も、国の――そして王家の所有物です」
淡々とした声。
感情は、そこになかった。
「自分の物を、どう扱おうと。私の自由でしょう?」
まるで、当然のことを言っているかのように。
ミイナの頭が、追いつかない。
――王家?
――所有物?
「なるほどー」
サンサが、にやりと口角を上げる。
「噂通りの冷血漢、というわけですかー」
そして、ゆっくりと言った。
「第三王子“サンディ・サンサーラ”!」




