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事件と追撃

翌朝。

まだ空気に夜の冷たさが残っている。

ミイナ、モノ、クロスケは、ディエスの店の前に立っていた。

「……まだ開いてないね」

扉には、いつもの札が掛かったままだった。

営業準備の気配もない。

『遅いでござるな』

クロスケが首を傾げる。

モノが鼻をひくつかせた。

『……嫌な匂いがする』

ミイナの背筋が、ぞくりとする。

「嫌な匂いって……?」

『血だ』

一瞬、世界が静止した。

ミイナはゆっくりと扉に手をかける。

鍵は――かかっていなかった。

ギィ……

軋む音を立てて、扉が開く。

店内は薄暗い。

カーテンが半分閉じられ、朝の光が細い筋になって差し込んでいる。

床に――何かが見えた。

黒い。

いや、赤黒い。

一歩、踏み込む。

ぬるり、と靴裏が滑った。

「……っ」

視線を落とす。

血だ。

乾きかけた血が、床に広がっている。

その中心に――

ディエスが、倒れていた。

仰向けだ。

身体中に、小さな穴のような傷跡が無数にあった。

胸。

腕。

首。

腹。

まるで――

何かに“刺された”ような。

だが、刃物の切り傷ではない。

丸い。

均一な穴。

『……なんだ、これ』

モノの声が低くなる。

クロスケがゆっくり近づく。

『槍ではござらぬな。矢でもない』

穴は深い。

だが、出血は思ったより少ない。

まるで、体内から何かを吸い取られたかのように。

ミイナは震える手で、ディエスの顔を見る。

「……この前まで、普通だったのに……」

冷たい。

もう、完全に冷えている。

モノが店の奥へ走る。

『荒らされた形跡はない』

棚は整然としている。

金品もそのままだ。

『強盗じゃない』

クロスケが低く言う。

『狙い撃ちでござるな』

ミイナの喉が、ひくりと鳴る。

「……私たちが、来たから?」

沈黙。

答える者はいない。

だが、否定もできない。

モノがゆっくり振り向く。

『先日、ここに来たのは俺たちだけじゃないかもしれない』

「どういうこと?」

『尾行だ。あるいは――』

言いかけて、止まる。

ミイナの頭の中に、白いローブがよぎった。

冷たい瞳。

穏やかな笑み。

「……ラニスタ」

店の空気が、重く沈む。

クロスケが静かに言う。

『これは“口封じ”でござるな』

ミイナの胸が締めつけられる。

希望が、潰された。

「……私のせいだ」

拳を握る。

血の匂いが、鼻を刺す。

そのとき。

モノの耳が、ぴくりと動いた。

『……待て』

ディエスの右手。

血に濡れた指先が――

わずかに、何かを握っている。

ミイナは息を止める。

ゆっくりと、その手を開かせる。

中から落ちたのは――

ちぎられた布の切れ端。

そして。

小さく、かすれた文字。

“女……”

そこで途切れている。

女……

犯人のことだろうか?

それとも――

ミイナは、ディエスの傍らにしゃがみ込んだ。

震える手で、そっと床に触れる。

まだ、微かに温度が残っている気がした。

「……ごめんなさい」

声が、かすれる。

「私が来なければ……」

「余計なことを聞かなければ……」

唇を噛みしめる。

ディエスは、もう何も答えない。

「……私、あなたに会いに来るつもりだった」

「ちゃんと……ちゃんと話を聞こうって……」

拳が、ぎゅっと握られる。

床に落ちた血が、指先に滲む。

モノが、静かに言った。

『ミイナのせいじゃない』

クロスケも低く続ける。

『責任を負うべきは、殺した者でござる』

それでも、ミイナは首を振る。

「……でも」

言葉が、続かない。

そのときだった。

外から、かすかな声が聞こえた。

「……おい?」

「この店、変じゃないか?」

足音。

複数人。

モノの耳が、ぴくりと動く。

『来るぞ』

ミイナの心臓が、跳ねる。

入口の扉の向こう。

「おーい、誰かいるのか?」

次の瞬間。

ギィ……と、扉が押し開けられた。

中を覗き込んだ男が――

血溜まりと、倒れているディエスを見た。

「……うわっ!?」

男は一歩、後ずさる。

「し、死んでる……!」

「人が死んでるぞ!!」

叫び声が、通りに響き渡った。

あっという間に、ざわめきが広がる。

「なんだなんだ!?」

「殺しだって!?」

足音が増える。

ミイナの顔から、血の気が引いた。

(まずい……)

クロスケが、低く呟く。

『役人が来るでござるな』

モノの目が細まる。

『そして――』

視線が、ミイナに向く。

『最後にここへ来たのは、俺たちだ』

ミイナは、唾を飲み込んだ。

外の騒ぎは、どんどん大きくなる。

もう、隠れられない。

もう、戻れない。

ミイナは、ゆっくりと立ち上がった。

外のざわめきが、怒涛のように膨れ上がる。

「早く憲兵を呼んで!」

「中に人がいるぞ!」

「誰だ、通報したのは!」

重たい足音。

鎧が擦れる音。

そして――

「道を開けろ」

低く、通る声。

人垣が割れる気配がした。

数秒後。

二人の憲兵が、店の前に姿を現した。

革鎧。

腰には短剣。

胸元には、市の紋章。

役人の一人が、店内を見渡す。

血。

倒れているディエス。

そして――

ミイナ、モノ、クロスケ。

「……ほう」

憲兵は、眉をひそめた。

「お前たち」

一歩、踏み込む。

「この死体の第一発見者だな?」

ミイナの喉が、ひくりと鳴る。

「は、はい……」

声が、わずかに震える。

憲兵は、死体に目を落とす。

「いつ来た?」

「今朝……開店前です」

「誰かが出ていくのを見たか?」

「い、いえ……」

短い沈黙。

憲兵は、クロスケを見る。

案山子。

明らかに異様な存在。

「……その案山子は何だ?」

空気が、張り詰める。

ミイナの脳裏に、ムシエラの声が蘇る。

――落ち着いて。

ミイナは、そっと背筋を伸ばした。

「呪いで、この姿にされております」

憲兵の片眉が、ぴくりと動く。

「ほう」

憲兵の一人が、小さく笑った。

「最近は変なのが多いな」

だが、笑みはすぐ消える。

「身分を示せ」

ミイナの心臓が、跳ねる。

(ここで、どうする……)

本当の身分を言えば――

面倒に巻き込まれる。

嘘をつけば――

バレた時、終わる。

一瞬。

ミイナは、決めた。

「東方領主、アレハンドロ家の娘」

「ミーシャ・アレハンドロと申します」

憲兵たちの空気が、わずかに変わる。

「……貴族?」

「はい」

憲兵同士が、視線を交わす。

露骨に、態度が変わった。

「失礼しました」

だが、すぐに厳しい声に戻る。

「だが、事情は聞かせてもらう」

ミイナは、ゆっくりと頷いた。

(……嘘を重ねるしかない)

背後で、モノが小さく呟く。

『綱渡りだな』

クロスケが、低く答える。

『落ちたら終わりでござる』

ミイナは、心の中で息を吸う。

(大丈夫)

(私は、お嬢様)

(……お嬢様)

店の外では、野次馬の声が渦巻いている。

ディエスの死は、もう隠せない。

そして――

この事件は、確実に、ミイナたちを飲み込もうとしていた。



憲兵は、ミイナから視線を外さずに言った。

「では、詰所まで同行してもらいますよ」

有無を言わせない口調だった。

「事情を整理するだけです。

抵抗しないでください」

ミイナの胸が、ぎゅっと縮む。

(詰所……)

そこに連れて行かれれば、身分の裏取りが行われる。

そうなれば――終わりだ。

クロスケが、わずかに身を動かす。

『……まずいでござるな』

モノが小さく答える。

『詰所行きはアウトだ』

憲兵が手で示す。

「こちらです」

ミイナは、ゆっくりと頷いた。

「……分かりました」

三人は、憲兵に挟まれる形で店を出た。

通りには、まだ野次馬が残っている。

ひそひそ声。

好奇の視線。

当然、誰も助けてくれない。

石畳を進む。

足音が、やけに大きく響く。

(考えろ……)

(どこで……どうやって……)

モノが、ミイナの肩で囁く。

『次の曲がり角』

『人通りが切れる』

クロスケが、かすかに頷く。

『合図は拙者が出す』

曲がり角が近づく。

憲兵の一人が、前を歩く。

もう一人が、背後。

完全な挟み撃ち。

――角を曲がった瞬間。

クロスケが、地面を踏み鳴らした。

ドンッ!!

石畳が砕け、砂埃が舞い上がる。

「なっ――!?」

同時にミイナが叫ぶ。

「ごめんなさい!!」

水球を生成。

憲兵の顔に叩きつける。

バシャァッ!!

憲兵が一瞬で水浸しになる。

目潰しの効果はあったようだ。

憲兵の足がもつれる。

「くそっ!」

その隙に。

『走れ!』

三人は一斉に駆け出した。

路地へ。

裏通りへ。

曲がる。

曲がる。

後ろから怒鳴り声。

「止まれ!!」

「追え!!」

息が切れる。

心臓が破裂しそうだ。

――だが。

次の角を曲がった瞬間。

足が、止まった。

路地の奥。

白いローブの女が、立っていた。

拍手。

ぱち、ぱち、ぱち。

静かな音。

「……お見事です」

穏やかな声。

銀に近い金髪。

冷たい湖のような瞳。

ラニスタだった。

ミイナの血の気が、引く。

(……ラニスタさん)

ラニスタは、微笑む。

「やはり、あなた達でしたか」

背後から、足音。

憲兵たちが追いついてくる。

完全な挟み撃ち。

ラニスタは、ゆっくりと手を広げた。

「逃げ場はありません」

優しい声色は相変わらずだ。

「大人しく、こちらへいらっしゃい」

『相当の使い手でござるな……』

『ああ。でもやるしかない』

ラニスタが構えを取る前に、クロスケとモノは跳躍していた。

パァン!

クロスケの抜刀術がラニスタの脚を狙う。

命中するかと思ったその時、ラニスタは地面を指差して呟く。

「下弦」

ズシャッ!

クロスケの案山子の身体は、地面にめり込むほど叩きつけられる。

『クロスケ! くそっ!』

モノは急旋回し、突進を止めると、尻尾から電撃を放った。

今度こそ命中すると思われた電撃だが、ラニスタはすでに上空を指さしていた。

「上弦」

電撃が、ラニスタの眼前で上空に逸れる。

「何が起きてるの……」

ミイナには理解できなかった。

モノは飛び退いて、ミイナの隣に着地した。

『なんの術式だ……?』

ラニスタはつまらなそうに、ローブの裾についた埃を払う仕草をする。

「今のでわかりました。貴方達では私に勝てません。貴方達は貴重なサンプルです。傷つけたくありません」

「サンプル……」

『この……猫だからって実験動物扱いしやがって……』

モノが低く唸る。

「安心なさい。第三王子サンディ様は心の広いお方。悪いようにはなりませんよ」

『信用できるか! ミイナ、良く聞け。悔しいが、確かに今の俺たちじゃ勝てないかもしれん。フィリアかペルシャを連れてきてくれ!』

「え⁉︎ 二人を置いていけないよ!」

ミイナは首を横に振る。

「そうですとも。誰一人として逃しはしません」

ラニスタの周囲にエステラが広まっていく。

今度はぼんやりと、ラニスタの背後に球体が見えた気がした。

『頼むでござるよ、ミイナ殿』

バキッ!

地面に縫い留められていたクロスケが、身体が壊れるのも構わずに跳躍した。

先程よりも素早い。

ラニスタが天地を指差す前に、切り掛かる。

ラニスタは躱すが、左手の袖口を切り裂いた。

「速いですね」

『ミイナ! 逃げろ! 俺たちが時間を稼ぐ!』

モノは撹乱するように壁を蹴ると、足払いをかけるように低く跳んだ。

「上弦」

ラニスタが天を指差す。

モノの身体が、ふわりと浮き上がる。

ミイナはその前にモノを抱き抱えて、前に飛び退った。

その隙に、再びクロスケの突進。

「厄介な」

ラニスタがめんどくさそうに呟く。

『走れ!』

モノが叫ぶ。

「う、うん!」

ミイナは助けを呼ぶために、逃走することを選んだ。

ミイナは走り出した。

唇を噛み締めながらも、振り返ることはもうなかった。




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