金貨と情報屋
二時間が経った。
海猫亭の客足は徐々に減っていき、
ポツポツと客が帰り始める。
やがて、ミイナたち以外に残っていた酔っ払いも、
バルバラに叩き出された。
そして――
店内は、先程までの喧騒が嘘のように静かになった。
バルバラは、ミイナたちだけになった店内を見渡すと、
近くの空席から椅子を一脚引き寄せ、
ミイナの横に腰を下ろす。
「で、何を聞きたいんだい?」
ペルシャが姿勢を正す。
「我々が知りたい情報は二つ。
一つ目は、奴隷として連れられてきた犬の獣人の母娘の所在。
二つ目は、この街で活動している、呪術師か占星術師の一覧です」
「随分と変わった依頼だねえ」
バルバラは片眉をあげて言った。
「それで、いくらで引き受けてくれるのです」
ペルシャが問いかける。
バルバラは、しばらく黙ったままペルシャを見つめていた。
値踏みするような視線。
やがて、ふっと口の端を吊り上げる。
「……なるほどね」
指を一本立てる。
「まず一つ。
裏の奴隷流通に関わる話」
もう一本、指を立てる。
「それから、呪術師や占星術師みたいな連中の所在」
バルバラは、指を折りたたみ、淡々と言った。
「一つにつき、王金貨五枚」
一拍。
「――合わせて、十枚だ」
空気が、凍りついた。
ミイナは、思わず息を止める。
(じゅ、十枚……!?)
フィリアが、ほんのわずかに目を細める。
モノが、低く唸った。
『完全にふっかけてきやがったな』
バルバラは、何でもないことのように腕を組む。
「どちらも王家が絡む情報だ。命懸けになる。
この程度で済むだけ、良心的だと思いな」
(どちらも?)
とミイナは思った。
獣人奴隷はともかく、ニイナの乳母にも王家が関わっているのだろうか。
ペルシャは、ゆっくりと息を吐いた。
視線を落とし、そしてバルバラを見る。
「……結構です」
即答だった。
ミイナが、思わずペルシャを見る。
バルバラが、片眉を上げる。
「ほう?」
ペルシャは、静かな声で続ける。
「確かに危険な情報です。
ですが、未確認の噂話に王金貨十枚を払うほど、我々は裕福ではありません」
店内の空気が、ぴり、と張り詰める。
「こちらは対等な取引を望んでいます。
ですから、その条件は受け入れられない。別の情報屋をあたります」
ペルシャは、椅子から立ち上がった。
「ご縁がなかった、ということで」
ミイナの方を見る。
「行きましょう」
ミイナは、少し戸惑いながらも頷いた。
――交渉決裂。
そう見えた、その瞬間。
「待ちな」
妙なことに、バルバラの声は楽しそうに聞こえた。
「この街には、アタイ以上の情報屋はいないよ」
「ええ。ですが、王金貨十枚は払えませんので」
ペルシャは淡々と答える。
「交換条件と行こうじゃないか」
「なんです?」
「あんた達、何者だい?
東区のホラーハウス……あそこの住人なんだろ?」
「答えかねます」
「ふふ。駆け引きかい。
それなら、これでどうだい」
バルバラの声は、さらに楽しそうになる。
そして、指を二本立てた。
「一つ。あんた達の正体を正直に答える」
指を一本、折る。
「二つ。あんた達の目的を教える」
ゆっくりと、ペルシャを見る。
「この条件を飲むなら、王金貨は二枚でいい」
「なるほど。悪くない条件ですね」
ペルシャは、少しだけ考えた後、
隣の椅子にちょこんと乗っている黒猫を見る。
「モノ。どうします?」
「おいおい。まさか、猫に相談かい」
「ええ。彼の正体が、我々の最大の秘密になりますので」
『……いいだろう。全部話そう』
「そうですわね」
フィリアも、静かに頷いた。
『ミイナも、それでいいな?』
「うん。モノがそう言うなら」
ミイナも頷く。
こうして、一同の意見は固まったのだった。
*
嘘は通じないだろう。
ミイナの直感がそう言っていた。
モノとペルシャも同感のようだ。
ペルシャは今までの出来事を語り出した。
モノが呪われた勇者であること。
呪いを解くために旅をしていること。
そのために、ニイナの乳母を探していること。
それが、呪術師か占星術師の可能性が高いこと。
さらに、獣人コルソとのやりとり。
すべてを、正直にバルバラに打ち明けた。
短い沈黙。
酒場の奥で、ランプが小さく揺れた。
バルバラは、しばらく黙っていたが――
やがて、ふうっと息を吐いた。
「……なるほどね」
そして、口の端を吊り上げる。
「取引成立だ。
王金貨二枚。約束通り、全部話してやる」
酒場《海猫亭》の奥で。
本当の情報取引が、ようやく始まった。
*
「まず、獣人の母娘の話からいこうか」
バルバラは、改まった口調で語り始めた。
「北のオアシスの街で、第三王子麾下の赤燐隊が破れたのは知っているかい?」
「ええ。私たちがやりましたわ」
フィリアが、少しだけ誇らしそうに言う。
「なに? あんたらの仕業だったのかい!
そりゃ、驚きだ!」
バルバラは目を見開き、すぐに口元を歪める。
「ってことは――探しているのは、赤燐隊のコルソって獣人の家族で間違いないね?」
「ええ。その通りです。
我々は、その母娘の救出をコルソと約束しています」
「なるほどね。合点がいった」
バルバラは腕を組む。
「それなら話は早い。
場所は、港区画の倉庫街さ」
「倉庫街?」
ミイナは、思わず聞き返した。
「そうさ。だが、話ほど簡単じゃない。
倉庫街は今、第三王子の軍がひしめき合ってる」
「名目上は水軍の演習とされているがね。
実際は、船に積まれてきた獣人奴隷たちの水揚げさ」
「そんなに大量の獣人奴隷が……?」
ペルシャの眉間に、深い皺が刻まれる。
「正確な数までは分からない。
けど、相当な数だよ。
十番倉庫から二十番倉庫までは、第三王子の貸し切りだって話だからね」
「なるほど……。それで、母娘のいる倉庫は?」
「慌てんなよ。
おそらく、十三番倉庫だ。
港区画で働く作業員が、女の子の声を聞いてる」
「流石ですね。
そこまで分かれば十分です」
ペルシャの声は静かだったが、
そこに滲む怒りを、ミイナははっきりと感じ取っていた。
「どうするつもりだい?」
「場所さえ分かれば、私のやり方で行きます」
「物騒だね。
いいかい? アタイを巻き込むんじゃないよ」
「ええ。約束しますよ」
ペルシャは、ぎこちなく微笑んだ。
「さて。もう一つの件だがね」
バルバラは話題を切り替える。
「呪術師と占星術師を合わせると、この街じゃ百人を超える。
王都だからね。
その中で、底辺やインチキを除いても、五十人ってとこか」
「他に、絞り込める情報はないのかい?」
「すごいですね。
占い師さんの数まで覚えてるんですか?」
ミイナは、思わず尋ねた。
「ああ。情報がメシの種だからね。
それに、アタイは一度聞いた話は忘れないのさ」
「なるほど。
それは一番の情報屋を自負するだけはありますね」
ペルシャは頷き、続けた。
「探している乳母の特徴ですが――」
ペルシャがミイナの言葉を引き取り、
探している人物の特徴を挙げる。
背は低く、少し背中が曲がった女性。
黒髪に銀色が混じり、それを長く三つ編みにしていた。
左目の下に、小さな泣きぼくろがある。
首から、欠けた月の形をしたペンダントを下げている。
腰には、薬草の入った革袋を、いつも提げていた。
バルバラは、腕を組んだまま少し考え込む。
「なるほど。
その条件に“完全に”当てはまる人物はいないね」
ミイナの肩が、わずかに落ちる。
「……でも、それぞれに当てはまる人物ならいる。
絞り込んで、三人といったところか」
バルバラは、指を一本立てた。
「一人目は――ハーベル」
「ペンタグラム大学の魔術科教授だよ。
背は低くて、小柄。
首から“欠けた月”のペンダントを下げている」
ミイナの目が、わずかに見開かれる。
「ただし」
バルバラは、すぐに続けた。
「泣きぼくろの位置が違う。
左目の下じゃなくて、右目の下だ。
それに、黒髪じゃない。
赤毛に近い色で、短く切り揃えている」
「月のペンダントを持っているのは、その人だけですか?」
ペルシャが尋ねる。
「そうさ。少なくとも、アタイが知る限りではね」
バルバラは、次の指を立てる。
「二人目は――ディエス」
「街一番の占星術師だ。
かなりの年寄りでね、昔の事故で両目を焼いて失明している」
ミイナは、息を呑む。
「背丈は条件通り、小柄。
腰には、いつも薬草の袋を下げている」
「じゃあ、泣きぼくろは……?」
フィリアが静かに聞く。
バルバラは首を横に振った。
「ない。
少なくとも、今は確認できない。
火傷で皮膚がただれてるから、元々あったかどうかも分からない」
「黒髪に銀が混じっている、という点は?」
「完全な銀髪だよ。
年相応にな」
三人目。
バルバラは、少しだけ間を置いてから、最後の指を立てた。
「――ラニスタ」
「王宮お抱えの若い宮廷魔術師で占星術師さ。
見た目は二十前後。
明らかに若すぎる」
「若い……?」
ペルシャが眉をひそめる。
「だがね」
バルバラは、意味ありげに口角を上げる。
「両目の下に泣きぼくろがある。
左右に一つずつだ」
ミイナの心臓が、どくんと鳴る。
「背丈は条件通り、小柄。
首からペンダントは下げていないが、
占星術用の装身具はよく身につけている」
バルバラは、三人を示すように指を並べた。
「月のペンダント。
薬草袋。
泣きぼくろ。
条件は、きれいに三つに割れてる」
そして、静かに言う。
「どれか一人が“本物”か。
――あるいは、全員が偽物か」
ミイナは、ぎゅっと拳を握った。
「……三人とも、当たるしかないってことですね」
ペルシャは、静かに頷く。
「ええ。ですが――」
視線をバルバラに向ける。
「順番は、慎重に選ぶ必要がありますね」
「そうだね。アタイが知ってるのはここまでさ」
バルバラは肩をすくめる。
「ええ。ありがとうございます。約束通りお支払いします」
ペルシャは腰に下げた革袋から王金貨2枚を取り出し、バルバラに渡した。
「お、すまないね。羽振がいいのは嫌いじゃない。
それに乗り掛かった船だ。大学と王宮に乗り込むときは連絡しな。
アタイが段取りをつけてやるよ」
「ありがとうございます」
ミイナは思わず頭を下げる。
なんだかんだ言ったバルバラは面倒見が良さそうだ。
信用できそうだとミイナは感じていた。
「さて、今日はもう遅い。さっさとホラーハウスに帰って寝ちまいな。
アタイは明日からもこの店にいるからね。いつでも尋ねておいで」
「何から何まで世話になります。では、また明日にでも相談させてもらいますよ」
ペルシャはそう言うと立ち上がる。
『行くか』
モノもそれに続く。
こうして、一行は海猫亭を後にしたのだった。




