酒場と情報屋
ミイナと仲間たちは、夜を待って酒場へ行くことにした。
『やっぱり、情報収集といえば酒場が基本だろ』
とは、モノの言葉である。
「ええ。そうですね。それに、このような大きな街には情報屋がいます。
情報屋との接触も、酒場が基本です」
なるほど、とミイナは思った。
情報屋――
そんな仕事があること自体、ミイナは初めて知ったのだ。
『では、行くでござるよ』
クロスケが意気揚々と言う。
『お前は留守番だろ』
モノが、ぴしゃりと告げた。
『なんででござるか!』
『怪しすぎる。案山子だから飲食も出来ないしな』
『酷いでござる!』
クロスケは盛大に嘆いたが、
最終的には、渋々と留守番を受け入れたのだった。
*
日が沈むと、王都ペンタグラムは、昼とはまるで別の顔を見せた。
建物の軒先に吊るされたランプが、次々と灯る。
橙色の光が、石畳を柔らかく照らし出す。
昼間は雑然としていた通りは、
どこか艶やかな雰囲気を帯びていた。
酒場から漏れ出す笑い声。
通りに響く弦楽器の音。
客を呼び込む女の甘い声。
鼻をくすぐるのは、昼とは違う匂いだ。
焼き肉。
香草をたっぷり使った煮込み。
酒の甘い香り。
「……昼より、にぎやかかも」
ミイナは、きょろきょろと辺りを見回した。
昼間は商人や職人が目立っていたが、
夜の通りには、まったく違う人々が歩いている。
派手な服を着た男女。
鎧姿の冒険者らしき一団。
フードを深く被った、素性の知れない者。
『これが都会の夜だ』
モノが言う。
「なんか……大人の街って感じ」
ミイナは、少し落ち着かない。
田舎育ちのミイナにとって、
ここは刺激が強すぎた。
ペルシャは、自然とミイナの少し前を歩く。
「はぐれないでください」
「う、うん」
フィリアは、どこか楽しそうだ。
「あらあら。夜の王都も、やはり良いものですわね」
通りの奥に、ひときわ明るい建物が見えてきた。
木造二階建ての酒場。
看板には、海鳥の絵。
その下に、店の名前が刻まれている。
――海猫亭。
『あそこだな』
モノが言った。
ミイナは、看板を見上げる。
(はじめての酒場……)
胸の奥が、少しだけ高鳴った。
*
扉の前に立った瞬間、
中から、どっと音が溢れ出してきた。
笑い声。
怒鳴り声。
ジョッキがぶつかる音。
床を踏み鳴らす靴音。
『行くぞ』
モノの声に背中を押されるように、
ペルシャが扉を押し開けた。
――バンッ。
一気に、熱気が流れ込んでくる。
「……うわ……」
ミイナは、思わず息を呑んだ。
広い店内には、所狭しと木製のテーブルと椅子が並び、
そのほとんどが、客で埋まっている。
屈強な戦士。
商人風の男たち。
派手な服の女。
フードを被った怪しい客。
誰もが、大きな声で笑い、飲み、語り合っていた。
鼻を突くのは、濃い匂い。
焼けた肉。
スパイス。
酒。
汗。
天井から吊るされたランプが、
橙色の光で店内を照らしている。
壁には、古びた武器や盾、
魚の剥製、
船の舵輪などが飾られていた。
『いかにも酒場だな』
「想像してたより……すごい……」
ミイナは、半ば呆然としていた。
その時。
「いらっしゃい!」
張りのある声が飛ぶ。
カウンターの向こうから、
がっしりした体格の女店主が、手を振っていた。
「空いてる席は奥だよ!」
ペルシャが軽く会釈し、
ミイナの肩に手を添える。
「行きましょう」
人の間をすり抜け、
一行は奥のテーブルへ向かう。
通るたびに、
「おい、お姉ちゃん美人だな!」
「おいおい、子供もいるじゃねえか!」
そんな声が飛ぶが、
ペルシャが睨みを効かせると、すぐに引っ込んだ。
テーブルに腰を下ろした瞬間、
ミイナは、胸を押さえる。
「……心臓がまだバクバクしてる……」
フィリアは、くすりと笑う。
「ふふ。良い経験ですわね」
『さて……』
モノが低く言う。
『ここからが本番だ』
ミイナは、きゅっと拳を握った。
――初めての酒場。
――初めての聞き込み。
ミイナの王都での夜が、
こうして始まった。
*
テーブルに座って間もなく、
どっしりした足音と共に、女店主がやって来た。
「で、何にするんだい?」
手には、木製のメモ板。
ペルシャが即座に答える。
「エールを二つ。あと、ミルクと軽食を。ミイナはどうします?」
女店主は、ちらりとミイナを見る。
「嬢ちゃんは?」
ミイナは、ぴくっと肩を揺らす。
「えっ……あ……」
『どうする?』
モノが尋ねる。
ミイナは、テーブルの上に並ぶ、周囲の客のジョッキを見る。
琥珀色の液体。
泡。
氷の入った透明な酒。
(これが……お酒……)
ごくり。
フィリアが、にこやかに口を挟む。
「果実水にしますわ」
「お、気が利くね」
女店主は頷く。
「じゃあ、エール二つに、ミルク、果実水一つ、軽食だな」
そう言って、カウンターへ戻っていった。
ミイナは、ほっと息を吐く。
「……助かりました……」
フィリアは、くすっと笑う。
「無理をする必要はありませんわ。初酒場ですもの」
『そのうち飲む日も来るだろ。俺だって猫だからミルクだぜ』
「そ、その時でいい……」
ほどなくして、
木製の盆に乗ったジョッキと皿が運ばれてきた。
ドン。
ドン。
大きなジョッキが二つ。
コトン。
透明なグラスに注がれた、赤みがかった果実水。
さらに、皿に注がれたミルク。
そして、香ばしい匂いを放つ串焼き肉と、黒パン。
「ほらよ」
女店主は言い残して去っていく。
ペルシャは、ジョッキを手に取る。
「では」
フィリアも持ち上げる。
「乾杯、ですわね」
『乾杯』
カチン。
軽い音が鳴る。
ミイナは、果実水のグラスをそっと持ち上げた。
「か、乾杯……」
一口。
甘くて、少し酸っぱい。
「……おいしい」
少しだけ、緊張がほどけた。
その時。
隣のテーブルから、耳に入ってきた。
「――最近さ、港区画で獣人の奴隷をよく見るんだよ」
「は? 獣人?」
「ああ、噂だと第三王子が関わってるらしい」
ミイナの指が、ぴくっと止まる。
ペルシャが、視線だけで合図する。
(……来た)
フィリアも、何事もない顔で、エールを一口。
『聞け』
モノが小さく言う。
隣の男が、声を落とす。
「第三王子? なんでまた?」
「さあな。このままだと、王位継承権争いに敗れると思ったんじゃないか?」
ミイナの胸が、どくんと鳴る。
――獣人の奴隷。
――第三王子。
コルソの家族につながる情報があるかもしれない。
ミイナは、そっと背筋を伸ばした。
ペルシャは、ゆっくりとジョッキを傾けた。
一口飲んでから、何気ない調子で口を開く。
「港区画って、最近そんなに物騒なんですか?」
隣の男が、ちらりとこちらを見る。
「ん?」
ペルシャは、肩をすくめる。
「旅の途中で聞きましてね。
この街は平和だって」
男は、鼻で笑った。
「平和なのは表通りだけさ」
もう一人の男が、エールをあおる。
「港は別モンだ。
夜になると、怪しい連中がうろつく」
ペルシャは、興味深そうに頷く。
「怪しい連中、ですか」
「獣人の奴隷を運んでるって噂だ」
ミイナの喉が、きゅっと鳴る。
男は、声を落とす。
「最近は、檻付きの荷車を見たって話もある」
「檻……」
ペルシャは、あくまで冷静を装う。
「第三王子が関わってる、という話も?」
男は、周囲を一度見回してから、肩をすくめた。
「噂だ。
だが、火のないところに煙は立たねぇ」
もう一人の男が、口を挟む。
「王宮絡みの連中が港に顔出してるのは確からしい」
ペルシャは、ジョッキを置いた。
「なるほど……」
フィリアが、にこやかに微笑む。
「港区画の、どの辺りですの?」
男は、少し考える。
「東側の倉庫街だな。
夜だけ明かりが灯る倉庫があるって話だ」
ミイナの胸が、ぎゅっと締めつけられる。
――倉庫街。
――夜だけ動く。
確かな“場所”の情報だ。
ペルシャは、軽く頭を下げた。
「貴重な話をありがとうございます」
男は、照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「気をつけろよ。お姉ちゃんも獣人だろ?
深入りすると、命が安くなる」
ペルシャは、小さく笑った。
「肝に銘じます。実は、犬の獣人の知り合いを探しているのですが、心当たりはありませんか?」
ペルシャの問いに、男たちは顔を見合わせた。
「犬の獣人?」
「さあな……港には獣人なんて山ほどいる」
「正直、そこまでは知らねぇよ」
肩をすくめる。
「噂話なら聞くが、個人までは無理だな」
ペルシャは、あくまで穏やかに頷いた。
「そうですか。失礼しました」
その時だった。
どっしりとした足音。
テーブルの横に、影が落ちる。
「あんた達、余所者だね」
低く、少ししゃがれた女の声。
ミイナが、はっと顔を上げる。
そこに立っていたのは、先ほど注文を取りに来た女店主だった。
腕を組み、鋭い目で一行を見る。
「そいつらが知らないのは本当だよ」
男たちが、ぎくりと肩を震わせる。
「バ、バルバラ……」
女店主――バルバラは、鼻で笑う。
「酒飲みに来てる連中に、裏の話を期待する方が間違いさ」
ペルシャは、静かに視線を向けた。
「あなたは、何かご存知で?」
バルバラは、口の端を吊り上げる。
「知ってるよ。この街のことならなんでもね」
ミイナの胸が、どくんと鳴る。
「港区画、獣人、檻付きの荷車、夜だけ明かりが灯る倉庫」
指を一本ずつ立てていく。
「それと――」
視線が、ペルシャを射抜く。
「指輪と、女だろ?」
空気が、ぴんと張り詰めた。
ペルシャは、わずかに目を細める。
「……なぜ、それを」
バルバラは、にやりと笑う。
「この街で、金と酒と噂が集まる場所はどこだと思う?」
ミイナは、ごくりと唾を飲み込む。
バルバラは、親指で自分の胸を指した。
「ここだよ」
そして、続ける。
「ただし――」
ごん、と指でテーブルを叩く。
「情報はタダじゃない。金次第だ」
酒場の喧騒の中で、
確かに、“入口”が開いた。
「……わかりました。お支払いします」
ペルシャは、逡巡の後に言った。
「そう来なくちゃね。
あと二時間もしたら店が閉まる。
それまで待ちな。
ここの飯と酒は自慢じゃないが美味いんだ。楽しんでいきな」
バルバラはそう言うと、颯爽と厨房の方へ消えていった。
「お、おい。お姉ちゃん。大丈夫か?」
酔っ払いの男が心配そうに言う。
「何がです?」
「バルバラの情報は確かだが、とても高額だ……。
ぼったくりと言っていいほどのな……」
「ご忠告ありがとうございます。
案外、優しいのですね。
大丈夫です。
タダより怖いものはないと言います。
逆に信用できるくらいです」
ペルシャはそう言って、静かに微笑んだ。




