地下室と日記
ミイナはニイナの日記を手に取る。
ところどころ読めない所もあるが、ペルシャの補助を借りながら読み進めていった。
【ニイナの日記】
今日から日記を書き始めようと思う。
ご主人様に日記帳を買って頂いたからだ。
文字を書くのは久しぶりだが、少しずつ書いていこうと思う。
――
今日は、ミイナが大きな桶をひっくり返した。
水を汲んできたばかりだったのに、全部こぼしてしまって、本人は真っ青な顔をしていた。
「ご、ごめんなさい……」
泣きそうになっていたから、私は思わず笑ってしまった。
大丈夫。
誰だって失敗する。
そう言ったら、ミイナはますます泣きそうな顔になった。
この子は、本当に不思議な子だ。
怒られるのが怖いんじゃない。
嫌われるのが怖いんだと思う。
きっと、今までそうやって生きてきたんだろう。
――
今日はミイナと一緒に回廊の掃除をした。
ミイナは、ここにくる前、奴隷時代からの付き合いだ。
年は私より少し下だけど、時々、もっと幼く見える。
でも。
夜になると、ひとりでぼんやり外を見ている時がある。
その横顔は、とても静かで、年相応には見えない。
何を考えているんだろう。
聞きたいけど、聞けない。
私は、ミイナに「生きてていいんだ」と思ってほしい。
――
ここは、ミイナにとっていい場所じゃない。
ご主人様はミイナに冷たく当たるし、裏で何をしているかも分からない。
それでも、私は気に入られている様だ。
少なくとも、私がいる間は。
ミイナが、殴られずに。
無理やり売られずに。
眠る場所と、食べるものがあって。
笑える時間があればいい。
それだけでいい。
――
今日は、パンの端を半分こした。
ミイナは、すごく嬉しそうにしていた。
パン一切れで、あんな顔をするなんて。
この子は、どれだけ我慢してきたんだろう。
もし、ここを出る日が来たら。
私は、この子を連れていく。
どこでもいい。
畑があって、水があって、静かな場所。
ミイナと一緒に、生きたい。
それだけが、私の願い。
――
ついに見つかった。
烏の頭をした不気味な男が、私をずっと見張っている。
気のせいじゃない。
運命を振り切ったつもりでいた。
でも、そうじゃなかった。
とても怖い。
――
今日も烏男がいた。
ただ、私を見つめている。
何かをしてくるわけじゃない。
多分、まだ指輪を見られてはいないのだ。
確証を持てないうちは、私に接触はしてこない?
警備の人達を増やしてもらう様に、ご主人様にお願いした。
――
もう限界だ。
ついに今日、人が殺された。
それも惨たらしく、庭の木に打ち付けられていた。
あれは見せしめだ。
そして、私に対する警告だ。
手が震える。
怖くて怖くて仕方がない。
そうだ。
この指輪があるからいけないんだ。
せっかく手に入れたこの生活を、誰にも壊させたくない。
これしかないの。
ごめんね、ミイナ。
――
日記は、ここで終わっていた。
*
ミイナは、懐かしさと哀しさの混ざった複雑な感情とともに、日記を閉じた。
ニイナの葛藤や心情は、よく分かった。
けれど。
シャクナ族の里の場所や、指輪についての詳しい情報は、どこにも書かれていなかった。
(……どうして?)
なぜニイナは、この日記を探させたのだろう。
ミイナが日記を持ち上げた、その時だった。
はらりと、何かが床に落ちる。
小さな封筒だった。
拾い上げる。
表には、たった一言。
《ミイナへ》
そう、記されていた。
*
もし、この手紙を読んでいるなら、
私はもう、あなたのそばにはいないと思います。
ごめんね。
置いていくつもりは、なかった。
本当は、あなたを連れて逃げたかった。
何度も、何度も考えた。
でもね。
私は弱かった。
二人で逃げたら、きっと追われる。
そして、あなたが先に見つかる。
そして、二人とも殺される。
それよりは、
一人でも生き残る可能性に賭けたかった。
指輪さえなければ、
私は自由になれると思った。
ミイナが見つかって、
殺されるかもしれない。
私は、それでもミイナを囮にした。
怖かったから。
ごめんね。
なんて臆病で、
なんて罪深い選択をしてしまったんだろう。
私は、残ることを選びました。
生き残るために。
それでも、
もしミイナが生きていてくれたら。
あなたには、
自由になってほしい。
あなたは弱くなんかない。
泣き虫で、
怖がりで、
すぐ自分を責めるけど。
それでも、
ちゃんと前を向こうとする。
それは、とても強いことです。
私の自慢です。
もし、許されるなら。
畑があって。
水があって。
静かで。
朝起きて、仕事をして。
疲れたら、一緒に笑って。
そんな普通の毎日を、
あなたと過ごしたかった。
それが、私の一番の夢でした。
指輪のこと。
あなたには、
本当のことを伝えておきます。
あれは、
幸せをくれるものじゃない。
人を壊すものです。
でも、捨てられなかった。
これから、
私の生まれ故郷と、
指輪の秘密について語ります。
*
ミイナは、便箋を捲った。
分かってはいたことだった。
それでも、胸が痛んだ。
ニイナが、
自分を囮にしたこと。
その事実は、
文字として突きつけられると、やはり重い。
それでも――
ミイナは読むのをやめなかった。
知りたい。
ニイナが、何を残したのか。
ミイナは、深く息を吸い込んでから、
続きを読み進めた。
――――――――――
私の生まれ故郷は、
シャクナ族の里です。
でも、ごめんなさい。
正確な場所は覚えていません。
私が五歳の時に、
村を出たからです。
その時のことは、
あまり覚えていません。
確か、
村で大きな火事があって、
逃げるように、
私は乳母と一緒に村を出ました。
私の家は、
それなりに裕福だったのだと思います。
エスナ候補として育てられていましたし、
乳母や使用人もいたはずです。
そして、
乳母と二人で旅をしているうちに、
はぐれてしまいました。
私に残されたのは、
この指輪だけでした。
その後、
私は奴隷狩りに捕まり、
あなたの知るニイナになりました。
もし、
あなたが運命に従い、
シャクナ族の里を探すのなら。
どうか、
乳母を探してください。
奴隷だった頃は知る由もありませんでしたが、
ご主人様の話によると――
首都の港町ペンタグラムで、
それらしい人物を見かけたそうです。
特徴を、ここに記しておきます。
背は低く、少し背中が曲がった女性です。
黒髪に銀色が混じり、それを長く三つ編みにしています。
左目の下に、小さな泣きぼくろがあります。
首から、欠けた月の形をしたペンダントを下げていて、
腰には薬草の入った革袋を、いつも提げています。
呪いの知識だけでなく、占星術も得意としていました。
もし、この特徴に当てはまる人を見かけたら、
その人が、私の乳母です。
乳母に、この手紙と指輪を見せてください。
そうすれば、すべて通じるはずです。
そして、指輪についても語らなければなりません。
もう、知っているかもしれませんが、
その指輪は、呪いの指輪です。
嵌めた瞬間に、呪われます。
呪いの内容は、私も知りません。
教えてくれませんでした。
ただ、呪いが見えるようになる。
そういう指輪だと聞きました。
それでも、この指輪は、
私にとって――
災厄の象徴でした。
この指輪のせいで、
あなたと離れ離れになる。
それが、とても辛い。
詳しいことは、乳母に聞いてください。
最後に、ミイナ。
運命に、負けないで。
あなたは、強い子よ。
あなたの幸せを、
いつまでも願っています。
——ニイナ
ニイナの手紙は、そこで終わっていた。
*
手紙を読み終えたミイナは、そっと封筒に手紙をしまった。
『次の目的地が決まったな』
「うん」
ミイナが頷く。
「港町ペンタグラム。懐かしいですわ」
「俺の家族もそこに囚われている」
コルソが唇を噛んで言う。
「ペンタグラムは首都です。第三王子の本拠地でもあります。相応の覚悟はいるでしょうね」
ペルシャが気を引き締める様に言う。
「うん。それでも行かなきゃ。ニイナが託してくれたんだもん」
ミイナにはもう、迷いはなかった。
一行はこうして、焼け跡を後にしたのだった。




