焼け跡と遭遇
その夜、ミイナたちは屋敷の焼け跡にいた。
斥候はリーニョとワンの二匹だ。
二匹は先行し、先客がいないかを確かめている。
屋敷は、街外れの小高い丘の上にあった。
壁はところどころ崩れ、屋根はほとんど残っていない。
黒く煤けた木材が、骨のようにむき出しになっている。
草が伸び、蔦が絡みつき、
人の住まない時間の長さを静かに物語っていた。
ミイナは、その前で足を止めた。
「……ここだ」
声は、思ったよりも小さかった。
胸の奥が、きゅっと縮む。
懐かしい。
けれど。
嬉しいとは、違う。
悲しいとも、言い切れない。
ぐちゃぐちゃに混ざった感情が、
胸の中で静かに渦を巻いていた。
「ニイナと……ここで働いてたんだよ」
ぽつりと呟く。
モノは何も言わず、ミイナの足元に座った。
風が吹く。
焼け焦げた匂いは、もうほとんど残っていない。
代わりに、乾いた土と草の匂いがする。
それが、逆に現実を突きつけてくる。
もう、あの頃には戻れない。
分かっている。
分かっているのに。
ミイナは、崩れた入口を見つめた。
扉があった場所には、歪んだ木枠だけが残っている。
「ここから……毎日、出入りしてたんだ」
朝、掃除をして。
水を汲んで。
ニイナと並んで仕事をして。
当たり前だった日々。
失ってから、その重さに気づいた日々。
ミイナは、そっと一歩踏み出す。
床だった場所が、ぎしりと小さく音を立てた。
怖さはある。
でも。
逃げたいとは、思わなかった。
「行こう」
誰に言うでもなく、そう呟く。
『ああ』
モノが短く鳴く。
ミイナは、焼け落ちた屋敷の中へ足を踏み入れた。
――ニイナが残したものを、探すために。
その時だった。
ワンとリーニョの二匹が、同時に身を強張らせた。
『誰か来るのである』
敵かもしれない。
一行は、屋敷のそばに残る燃え残った茂みの影へ身を潜めた。
*
相手は複数だった。
鎖帷子や軽装の鎧を身に着けた、二十人ほどの集団。
屋敷を囲うように、周囲を彷徨いている。
その中でも、ひときわ目立つ人物がいた。
背が高く、豪奢な鎧を纏った男。
さらに、その背後にはフードを深く被った大柄な人物が控えている。
「鎧? 傭兵か正規兵でしょうか……まさか、軍が?」
ペルシャが訝しげに言う。
『軍? なんで軍が?』
モノも小声で続けた。
その時、大柄のフードの人物が、豪奢な鎧の男に耳打ちをする。
男は小さく頷き、一歩前へ出た。
「何者だ! 出てこい!
隠れているのは分かっているぞ!」
兵たちが一斉に、ミイナたちの潜む方向へ武器を向ける。
(え……見つかった……なんで……)
「見つかったのなら、隠れていても仕方ありませんね」
ペルシャは静かに言い、物陰から姿を現した。
モノ、ミイナ、フィリアもそれに続く。
リーニョとワンは、影の中に留まった。
「女と子供……それに猫だと?
何者だ」
「我々は観光客です」
ペルシャは柔らかく微笑む。
「人に尋ねるなら、まず自らも名乗るのが礼儀ですよ」
左手は、さりげなく剣の柄に添えられている。
「観光客だと? 怪しい奴め」
男は鼻で笑った。
「我々はサンサーラ王国第三王子の麾下。
赤燐隊である」
胸を張り、名乗る。
「私は、赤燐隊隊長――レイヴンだ」
そして、にべもなく言い放つ。
「捕えろ」
部下たちが、じりじりと距離を詰める。
「おっと、いきなりですわね。
あまりにも失礼ではなくて?」
フィリアが頬を膨らませて怒る。
その仕草が正直、場違いだとミイナは思った。
「こんな夜更けに、焼け跡で観光だと?
舐めてるのか。
ふざけるのも大概にしろ」
レイヴンは嘲笑いながら言う。
「この屋敷には用がある」
焼け落ちた屋敷へ、顎を向けた。
「第三王子殿下の命によりな。
余計な虫は排除する」
「虫、ですか」
ペルシャの声が、わずかに低くなる。
「随分と乱暴な言い草ですね」
「理解できなくて結構だ」
レイヴンは剣の柄に手をかけた。
「もう一度言う。
大人しく縛られろ」
ミイナの胸が、どくりと脈打つ。
『ミイナ』
モノが小さく声をかける。
『下がってろ』
ミイナは、こくりと頷いた。
ペルシャが一歩前へ出る。
「最後に忠告しておきます」
細い目が、鋭く細められる。
「その命令、撤回した方がよろしいですよ」
レイヴンは、口の端を歪めた。
「脅しか?」
「いいえ」
ペルシャは静かに剣を抜く。
「事実です」
一瞬の静寂。
「構えろ!」
レイヴンの号令が響いた。
赤燐隊の兵たちが一斉に武器を構える。
「捕えろ!
抵抗する者は斬れ!」
『行くぞ』
モノが低く唸った。
フィリアは両手を胸の前で組む。
「やれやれ……仕方ありませんわね」
その瞳が、淡く紫色に光る。
「少々――荒療治と参りましょうか」
その瞬間、ミイナは叫んでいた。
「待ってください!」
目の前で、仲間でも敵でも、人の血が流れるのを見たくなかった。
皆の視線が、一斉にミイナへ向く。
「なんだ、小娘」
レイヴンが低い声で言う。
「まず、あなたたちの目的を教えてください。
協力できることなら、しますから」
「ほう。
だが、お前が何の役に立つ?」
「私は以前、このお屋敷で働いていました。
分かることがあるかもしれません」
「なるほど。興味深い。
良いだろう」
レイヴンは腕を組む。
「我々の探し物は二つ。
盃と蛇が刻印された指輪。
それと、ニイナという娘だ」
ミイナの心臓が、ぎゅっと締めつけられる。
無意識に、左手を握りしめていた。
《安心しろ。その指輪は、呪いを受けている者にしか見えない》
モノの声が、頭の中に直接響く。
だが、その一瞬の仕草を、レイヴンは見逃さなかった。
「その反応。
確かに何か知っているようだな」
「その前に聞かせてください。
それを見つけて、どうするつもりですか?」
「下々の者には関係ない。
情報をよこすか?
それとも、戦うか?」
レイヴンは、勝ち誇ったように笑う。
《ミイナ。指輪のことは話すな。
ニイナのことだけ話せ》
モノの助言。
「指輪のことは知りません。
ニイナは死にました。
屋敷が燃え落ちた時に……」
胸が、ちくりと痛む。
「なるほど」
レイヴンは背後を振り返る。
「どうだ?」
「嘘です」
フードの大男が、即答した。
「そうか。
残念だな」
レイヴンは、静かに剣を抜く。
「捕えろ。
小娘以外は、どうなっても構わん」
兵士たちが、一斉に雪崩れ込む。
「やれやれですね」
バキッ。
ペルシャは先頭へ躍り出ると、剣を抜くことなく、鞘のまま兵士を叩き伏せていく。
剣筋は速すぎて、ミイナには見切れない。
「強いな。
一般兵では役に立たんか」
レイヴンが吐き捨てる。
「行け、コルソ」
フードの男が前へ出た。
フードの奥から覗くのは、
人の形をしていながら、明らかに“犬の血”を感じさせる顔。
やや灰色がかった肌。
角ばった骨格。
太い鼻筋と黒い鼻先。
短く刈り込まれた黒髪の間から、
根元が立ち、先がわずかに折れた犬の耳が覗く。
首は太く、肩幅は異様に広い。
鎧の隙間から覗く腕は丸太のように太く、
指先の爪は黒く厚い。
立っているだけで分かる。
速さよりも、圧と破壊力でねじ伏せるタイプだ。
「犬の獣人……」
ペルシャが呟いた瞬間、
コルソは地面を蹴った。
剣は持っていない。
素手のまま、ペルシャへ突っ込む。
ペルシャは剣で受けるが、
連続する拳に防戦一方となる。
「やめなさい!
どうして獣人が……!」
「奴隷だよ」
レイヴンが、愉快そうに笑う。
「奴隷……
あなたは、それでいいのですか?」
ペルシャが問いかける。
「………」
コルソが答える事はなかったのだった。




