最初の街と猫勇者
「帰ってきたんだね」
焦茶色の髪に緑の瞳を持つ少女、ミイナは、眼前に広がる街並みを見つめて呟いた。
『ああ。そうだな』
黒い毛並みに空色の瞳、額に白い×印を持つ猫――モノが、静かに頷く。
「約三年振りですか。ここまで色々ありましたからね」
白い猫の獣人、並外れた美貌を持つペルシャが続けた。
一行は、ミイナがかつて奴隷として売られていた砂漠の街――
そして、彼女が最初にモノと出会った街へと帰ってきていた。
街に入る前に、彼らは野営を選んだ。
案山子の戦士クロスケと、魔物の魔術師ハイランドは街へ入れないからだ。
聖女フィリアはアンデッドではあるが、見た目は人と変わらない。
彼女だけなら問題はないだろう。
彼らはかつて、魔王を討った英雄たちだった。
――斃れる直前に、呪われるまでは。
「み、ミイナさんの故郷ですか……わ、私も見てみたかったです」
設営が終わった頃、ハイランドが口を開いた。
灰緑色の肌に、ぼさぼさの金髪。
ミイナの三倍はある巨体が、焚き火の明かりに照らされている。
「そんなにいいものじゃないよ」
ミイナは、正直に答えた。
この街の思い出は、決して良いものばかりではない。
何年も、奴隷として過ごした場所なのだから。
街といっても、ミイナにとっての世界は檻の中だけだった。
それでも――
ニイナはずっと傍にいてくれたし、
モノやペルシャ、猫の親分たちとも出会えた。
そう思うと、不思議と悪い記憶よりも、良い記憶の方が強く残っている。
人の心とは、そういうものなのだろう。
『そうでござるな……ミイナ殿は奴隷であった』
案山子のクロスケが、憤ったように言う。
『奴隷商を見つけたら、拙者が成敗してやりたいところでござる』
棒に布切れを巻きつけた胴体。
顔の代わりに巻かれた古布。
首元には、赤いスカーフ。
「ありがとう、クロスケさん。でも、もう大丈夫だよ」
ミイナは微笑んだ。
「モノが助け出してくれたから」
「まあ!」
その声と同時に、聖女フィリアが身を乗り出す。
白銀に近い淡金色の長い髪を、黒いヴェールが覆っている。
驚くほど白い肌。
血の気はないが、冷たさは感じさせない――
ガラス細工のような美しさを持つ女性だった。
「それで、ミイナさんはモノに恋をしたのですね!」
「分かりますわ! ミイナさんにとっては白馬の王子様ですもの!」
「見た目は猫ですけど!」
そう。
彼女の悪癖――
あらゆる出来事を恋愛に変換する、恋バナモンスターである。
「ち、違いますよ……!」
ミイナは慌てて首を振る。
「確かに感謝はしていますけど、恋愛とか、そういうのは……」
「恋の始まりに自覚がないのは王道ですわ!」
「なんて素晴らしいのでしょう!」
『始まったでござるよ……』
クロスケが遠い目をする。
「み、ミイナさん……こ、こうなったら無視が基本です」
ハイランドも呆れ声だ。
「そうニャ! モノは渡さないニャ! 婚約者は私ニャ!」
ペルシャが割り込んでくる。
『……こうなると、お前も大概めんどくさい』
モノは冷たく言い放った。
『あと、その語尾やめろ』
ミイナは、自分に問いかける。
モノへの感情は、恋なのだろうか。
分からない。
けれど――今は、分からないままでいい。
ミイナは、思わず笑っていた。
このやり取りが心地よくて、
この仲間たちの一員になれた気がしたからだ。
同じ街に帰ってきた。
けれど、あの頃の、絶望の中で何もできなかった自分とは違う。
ミイナは、確かにそう感じていた。
*
翌日、ミイナ、モノ、ペルシャ、そしてフィリアの四人は街を散策していた。
目的は、少なくなった食料の確保と情報収集。
それに加えて、ミイナが猫の親分たちにもう一度会いたかったからだ。
「まあ! お買い物なんて、何年振りでしょう!」
フィリアが嬉しそうに胸の前で手を組んだ。
通りには、布屋や乾物屋、香辛料を扱う露店が並んでいる。
砂埃を避けるために張られた天幕の下を、人々が行き交っていた。
「食料は……干し肉と乾パン、それから塩ですね」
ペルシャが指を折りながら確認する。
「水袋も、新しいものが欲しいですわ」
フィリアが言った。
「古い革は、すぐに匂いが移りますもの」
『……お前が言うと、説得力が違う』
モノが小さく呟く。
ミイナは、干し果物の露店の前で足を止めた。
干し杏、干し無花果、砂糖で煮詰めた果実。
「これ、持ち運びやすいね」
「ええ。甘味は疲労回復にもなります」
ペルシャが頷く。
店主が袋を差し出しながら言った。
「旅かい? この辺りは昼はいいが、夜は冷えるぞ」
「ありがとうございます」
ミイナは、素直に礼を言った。
次は布屋だった。
ペルシャは迷いなく、丈夫そうな布を選ぶ。
「包帯代わりにも使えますし、砂避けにもなります」
「慣れてるね」
「伊達に放浪していませんから」
その間、フィリアは色とりどりのスカーフを眺めていた。
「この色……ラベンダーに似ていますわね」
「……買う?」
ミイナが尋ねると、
「今回は我慢しますわ」
と、珍しく即答した。
『珍しいな』
モノが言う。
『どうした。財布の紐が緩むところだろ』
「移動中に目立つのは良くありませんもの」
フィリアはそう言って、少しだけ笑った。
最後に水袋と簡単な調理器具を揃え、荷物はそれなりの量になった。
「これで、しばらくは大丈夫そうですね」
ペルシャがまとめる。
ミイナは、市場を見回した。
人の声。
物の音。
匂い。
特別なことは、何もない。
それが、少しだけ心地よかった。
「……買い物って、こんな感じだったんだね」
ぽつりと漏れた言葉に、
フィリアが柔らかく頷いた。
「ええ。生きている人の営みですわ」
四人は袋を抱えたまま、ゆっくりと通りを後にした。
*
買い物をしている時からそうだったが、通りを歩いていると、それなりの数の人が振り返った。
最初は分からなかったが、ペルシャもフィリアも相当な美女だ。
視線が自然と引き寄せられるのだろう。
そして――
美女は、良からぬ虫も惹き寄せるものだ。
人通りの少ない路地を通っている時だった。
「お姉さんたち? 旅の人?」
二人組の男に、突然話しかけられた。
酒の匂いがする。酔っているようだった。
「少し付き合ってくれないかな? いい店、知ってるんだよね」
「遠慮します」
ペルシャは立ち止まらず、あしらう。
だが、フィリアは――
「まあ! これが俗に言うナンパではなくって!?
私、初めて見ましたわ!」
と、大興奮の様子である。
「バレちゃった? 実はナンパなんだよね。
そんな子供と猫なんて放っておいて、遊ぼうぜ」
軽薄とは、まさにこのことだろう。
ミイナは、自分でも冷めた目をしているのを自覚していた。
「うーん。でも困りましたわ。
ペルシャさんには婚約者がおりますし、私は観測する側でいたいのです」
フィリアが、困ったように首を傾げる。
「そういうことですので、失礼します」
ペルシャは、明らかにこういう手合いの扱いに慣れていた。
そのまま立ち去ろうとする。
「おい! 待てよ!」
「人が優しくしてるうちに、おとなしくついて来ればいいんだよ!」
男たちは激昂した。
それなりに筋肉もあり、腕っぷしにも自信があるのだろう。
「は?」
ペルシャが、ぎろりと睨みつける。
「残念ですわ。
それは恋とは呼べませんわよね……」
フィリアは相変わらず、よく分からないことを言っている。
その時、モノが言った。
『やめろ』
『ここは奴らの縄張りだ。手を出す必要はない』
「ニャーオ!!」
路地裏の影という影から、数十匹の猫が音もなく姿を現した。
『おうおうおうおう!
わしらの恩人に絡んどる馬鹿者は、どこのどいつじゃ!』
金色の毛並みの大猫――親分のキッドだ。
『やっていい?
ボコボコにしちゃっていいの?』
オレンジ色の毛に尖った耳。
こちらも親分のエルマタだった。
その周囲を、手下と思しき猫たちが取り囲み、威嚇している。
「な、なんだこの猫の群れ……」
「や、ヤバそうだ! 逃げるぞ!
この女たち、まともじゃねえ!」
二人の酔っ払いは、よろめきながら路地を走って逃げていった。
『深追いはするなよ』
『えー。ダメなの……』
キッドの一言に、エルマタは残念そうに尻尾を下げる。
『久しぶりですね。大親分』
『ああ。キッド、エルマタ。元気そうで何よりだ』
こうして――
モノと猫の親分たちは、再会を果たしたのだった。




