番外編 昔話 アンデットと聖女2
私はアンデットになりました。
最初は、街で暮らそうと思ったのです。
こう見えて、私は育ちがよろしいものですから。
一人きりの野宿や、野生に帰るような生活など、到底耐えられないと思いましたの。
そこで私は、近くの街の宿に拠点を置き、暮らしてみることにいたしました。
幸い、金銭には不自由しておりませんでしたので、宿屋であれば数年は暮らせる――
そう踏んでおりましたの。
けれど、現実は甘くありませんでした。
やはり、一番最初に困ったのは、この腐臭です。
ドンドンドン。
ある日、私の部屋の扉が、強く叩かれました。
「お客様。何か、お部屋で食べ物を腐らせておりませんか?
近隣のお客様から、苦情が来ております」
宿屋の主人の言葉でした。
人というものは、不思議なものですね。
自分自身の匂いには、なかなか気づけない。
私はその時、初めて知ったのです。
結局、私は宿屋を追い出されてしまいました。
……いえ、むしろ良かったのかもしれません。
あのまま部屋にいれば、腐った死体になっていたでしょうから。
危ないところでしたわ。
部屋で変死体発見、などということになれば、
どれほど多くの方に迷惑をかけたか分かりませんもの。
案の定、街を出て間もなく、私は腐り落ちました。
そして、満月まで耐える。
再生し、また腐る。
ずっと、その繰り返しでした。
それでも――私は、めげませんでした。
街から街へと転々と移動します。
満月で身体が再生すると街で過ごし、
腐り始める前に、街を出る。
そんな生活が、いつしか当たり前になっていきました。
そして、何より私を悩ませたのが、やはりこの腐臭でした。
私の身体は、腐っていきます。
匂いが出てしまうのは、避けられません。
ですが、周囲の方々が顔を顰めるのを見るのは、
決して良い気分ではありませんでした。
それならば、と。
私が試したのが――香水です。
柑橘。
木香。
金木犀。
ありとあらゆる香りを試しました。
その中で、最も腐臭を隠し、
なおかつ、私自身が気に入ったのが――ラベンダーでした。
けれど、問題がありました。
私が使う香水の量は、
一般の方々と比べて、あまりにも膨大だったのです。
市販の香水では、力が足りませんでした。
そこで私は――
香水を、自作することにいたしましたの。
私はまず、花を集めました。
香水は、香りがすべてですもの。
材料を疎かにするわけにはまいりません。
ラベンダーの花穂を、満月の夜に摘み取ります。
再生したばかりの身体でなければ、
指先が崩れてしまいますから。
摘んだ花は、すぐに水気を切り、日陰で乾かしました。
直射日光に当てると、香りが逃げてしまいますの。
乾いた花を布袋に入れ、軽く潰します。
すると、甘く澄んだ香りが、ふわりと立ち上りました。
次は、油です。
葡萄の種から搾った油や、胡麻油を用いました。
そこへラベンダーを浸し、密閉して数日。
満月を一度、二度と越えるころには、
油はすっかり、紫の香りを帯びていました。
それを濾し、酒精を加えます。
香りを閉じ込め、長く保つためです。
最後に、ほんの少しだけ、他の香りを足しました。
樹皮や、草の根――
甘さが強くなりすぎぬよう、慎重に。
そうして出来上がった液体を、
私は小さな瓶に移しました。
初めてそれを身に纏った時――
人は、顔を顰めませんでした。
それどころか、
「いい香りですね」
そう、言われたのです。
私はその夜、
初めて「腐っている自分」を、忘れることができました。
だから私は――
ラベンダーを植えることにしたのです。
北の外れに、小高い丘がありました。
人々から忘れ去られたように佇む、廃墟のお屋敷。
屋根は崩れ、壁には蔦が絡まり、
窓という窓は割れて、風の通り道になっていました。
けれど――
なぜでしょう。
私は、そこがひどく気に入りましたの。
人が来ないこと。
街から離れていること。
そして、丘の上で、風がよく通ること。
腐臭は、風に流れていきます。
香りは、丘一面に広がる。
――ここなら。
ようやく、そう思えたのです。
私は屋敷の庭を整え、
土を掘り返し、
一株、また一株と、ラベンダーを植えました。
満月の夜に、身体が戻るたび。
腐り落ちる前の、わずかな時間を使って。
指が落ちる前に、苗を埋め。
足が崩れる前に、水をやり。
声が出なくなる前に、祈りました。
――どうか、ここに根を張って。
失敗も、何度もありました。
枯れた苗も、踏み荒らされた畑も。
それでも――
翌年には、紫の花が咲いたのです。
ほんの小さな、
けれど、確かな色でした。
私はその香りに包まれながら、
初めて、安心して腐ることができました。
誰にも迷惑をかけず。
誰にも、顔を顰められず。
満月が来れば、また立ち上がれる。
そうして私は――
ラベンダーと共に、生きることにしたのです。
――黄昏の聖女として。
それが、ラベンダーヒルの始まりですわ。
……あら。
もう、こんな時間。
私の昔話は、ここまでにいたしましょう。
おやすみなさいませ。
良い夢が、見られるといいですわね。




