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腐った聖女と猫勇者

ニイナが怪物になってしまった。

ミイナは、その事実を受け入れたくなかった。

涙はとめどなく溢れ、モノの毛並みを濡らしていく。

それでも、声は出さなかった。

(許さない……絶対、許さない……)

ミイナは心の中で、怨嗟の言葉を吐いた。

獣骨男が、愉快そうに笑う。

「ニイナよ。探すがいい」

その声は、残酷なほど軽い。

「お前は特別に鼻が利くよう、改造してやった」

「ミイナが憎いだろう?」

「八つ裂きにしたいだろう?」

「うぅぅ……うあぁぁぁぁ……!」

ニイナは獣のような咆哮を上げ、四つん這いになる。

鼻先が地面につくほど身を低くし、必死に匂いを嗅ぎ始めた。

――まるで、犬のように。

ミイナは、その光景を直視できなかった。

目を逸らしたかった。

あの美しかったニイナが。

優しかったニイナが。

ミイナを殺すために、

犬の真似事までさせられている。

そんな現実に、耐えられるはずがなかった。

《いいか。よく聞け、ミイナ》

モノの思考が、強く割り込んでくる。

《俺が囮になる》

《お前は俺の首輪から、死者避けの御守りを取って、屋敷まで逃げろ》

(嫌だ)

ミイナは、心の中で強く否定した。

頭を横に振る。

モノを囮になど、できない。

そして――

怪物になってしまったとしても、

ニイナを置いて行くことなんて、できなかった。

もう二度と、離れ離れになりたくなかった。

《頼む……言うことを聞いてくれ、ミイナ!》

(嫌だ!)

声にならない叫びが、胸の奥で暴れる。

その時だった。

ミイナと、ニイナの視線が交わった。

「うがぁぁぁあぁぁ!」

ニイナが、跳んだ。

鋭い爪を振り回し、ラベンダーごと周囲を切り裂く。

紫の花弁が、宙を舞う。

その瞬間、

ミイナはモノを抱きかかえていた腕を、離してしまっていた。

『ミイナ!』

モノは地面に着地し、即座に反転する。

「……ニイナ。ごめんね……」

ミイナは腰のショートソードに手をかけ、

重心を落とした。

抜刀の構え。

「馬鹿な奴らめ!」

獣骨男が、嘲るように叫ぶ。

「全てを見捨てて逃げればよかったものを!」

『てめぇ……!』

モノが激昂する。

だが、獣骨男の方が早かった。

その手がかざされる。

レイスとアンデッドが、一斉にモノへと殺到した。

モノは猫魔法で応戦するが、完全に防戦一方だ。

「みぃなぁぁぁ……! ゆるせなぁぁあい……!」

怪物と化したニイナが、叫びながら爪を振るう。

速い。

だが――動きは単調だ。

ミイナは初撃を屈んで躱し、

抜刀。

ニイナの胴へ、横凪に斬り払おうとした――

ズキン。

胸が、痛んだ。

(……ダメ)

(ニイナを……傷つけたくない……)

剣は振り抜かれず、寸前で止まる。

その一瞬の躊躇を、ニイナは見逃さなかった。

膝が、ミイナの顔面を捉える。

ぐしゃり、と鈍い音が頭の奥で弾けた。

ミイナは吹き飛ぶように後退し、

必死に距離を取る。

再び、構えを取る。

「みぃなぁぁぁ……! ゆるせなぁぁあい……!」

もう、生前の面影はない。

呪いの言葉だけを吐き続ける、怪物だった。

「……ニイナ……」

「ダメだよ……斬れない……」

アンデッドの身体である以上、斬れる。

それは、分かっている。

それでも――

優しかったニイナ。

憧れだったニイナ。

思い出を、斬ることなんて、できなかった。

涙が、止まらない。

ニイナが、再び跳ぶ。

今度は――反応すらできなかった。

両手が、ミイナの首を掴む。

ぐっと、身体が持ち上げられる。

(……もう、ダメだ……)

ミイナの腕が、力なく垂れ下がる。

(ごめんね、ニイナ……)

(ひとりにして……怪物にまでさせて……ごめん……)

意識が、遠のく。

遠くで、モノが叫んでいる。

でも、もう――聞こえない。

視界の端が、赤黒く滲んでいく。

その時だった。

不思議なほど、はっきりとした声が響いた。

「――おやめなさい」

首を絞めていた力が、消える。

ミイナは地面に崩れ落ち、

激しく咳き込んだ。

顔を上げる。

そこに立っていたのは――

先ほどまで、上機嫌に恋バナをしていた相手。

聖女フィリアが、

無表情で、そこに立っていた。



「……フィリアさん?」

ミイナは、思わずそう呟いていた。

フィリアの様子は、先ほどまでとはまるで違っていた。

明るく朗らかに恋バナをしていた姿は影も形もなく、

そこに立っているのは、静かで、冷えた空気をまとった存在だった。

――怒っている。

ミイナは、直感的にそう思った。

『ミイナ! 立てるか?』

気づけば、モノがすぐ傍にいた。

『フィリアの後ろに下がるぞ。もう大丈夫だ。俺たちの勝ちだ』

「え……? 勝ち……?」

ミイナは首の痛みをこらえながら、

フィリアの背後へと下がる。

絞められた感触が、まだ生々しく残っていた。

「次から次へと……客が多いことだな」

獣骨男が、見下すような笑みを浮かべる。

「あら?」

フィリアは、穏やかな声で返した。

「ここは、私の庭でしてよ。

 お客様は、あなたの方ですわ」

淡々とした口調。

だが、その一言一言の奥に、

はっきりとした怒りが込められているのを、

ミイナは感じ取った。

「ですが……客人というわけにはいきませんわね」

フィリアの視線が、獣骨男を射抜く。

「私のお友達を、泣かせましたもの」

「ならば、こちらがもてなしてやろう!」

獣骨男が叫ぶ。

「ニイナよ! 八つ裂きにしろ!」

その命令と同時に、ニイナがフィリアへ飛びかかった。

鋭い爪が、空気を切り裂く。

――だが。

「おとなしくなさい」

フィリアが、静かに言った。

その一言で、ニイナの動きが止まった。

「……う、うぅ……」

ニイナは怯えたように後退りし、

その場にうずくまる。

「良い子ね」

フィリアは、表情一つ変えずにそう告げた。

「な……何をした!

 ならば、これでどうだ!」

獣骨男が両腕を掲げると、

悪霊レイスとアンデッドの群れが、

一斉にフィリアへ殺到した。

フィリアは、すっと右手を上げ、

獣骨男を指差す。

その瞬間。

レイスとアンデッドの動きが、ぴたりと止まった。

そして――

一拍置いてから、反転する。

「ぐぉぉっ!?

 貴様ら、何をしている!

 主人が分からんのか!」

死霊たちは、今度は獣骨男へと一斉に襲いかかった。

「え……?

 なに、どういうこと……?」

ミイナは混乱し、モノを見る。

「な? だから言ったろ」

モノは、黒猫の小さな胸を張った。

「フィリアはな、死者が相手なら無敵なんだ。

 アンデッドが相手なら、魔王だって倒せる」

「ええいっ!」

獣骨男が手を叩くと、

レイスとアンデッドは砕けるように消え失せた。

「それならば、直接やるまでよ!」

獣骨男の両腕に、黒い靄が集まっていく。

「食らうがいい!」

靄は伸び、フィリアの左腕を包み込んだ。

ぼとり。

鈍い音を立てて、フィリアの左手が地面に落ちる。

「あらまぁ」

フィリアは、心底不思議そうに呟いた。

「理解したか?

 俺の竜血特性は“腐敗”だ!

 喰らえば最後、すべてが瞬時に腐り落ちる!」

獣骨男は、勝ち誇るように叫ぶ。

「……どうして」

フィリアは、首を傾げた。

「頭を、狙いませんの?」

「なに……?」

「そんなに早く、死にたいのか!」

獣骨男が両手を翳す。

黒い靄が、今度はフィリアの頭部を包み込んだ。

ぼとり。

フィリアの首が地面に落ち、

鈍い音を立てる。



「ひっ……!」

ミイナは、思わず小さな悲鳴を漏らした。

目の前で、人の首が落ちたのだ。

動揺しない方が、無理だった。

『大丈夫だ。よく見ろ』

モノの声に導かれるように、

ミイナは視線を上げる。

雲の切れ間から月光が差し込み、

バラバラになったフィリアの身体を、淡く照らした。

ずるり、と音を立てて、

落ちた左手と頭部が動き出す。

元の位置へと戻り、

何事もなかったかのように繋がった。

フィリアは左肩を回し、

首を傾けて、こきりと鳴らした。

「ごめんなさい」

微笑みながら、言う。

「私、もともと腐っておりますの。

 呪いでアンデッドにされてしまいまして」

「死ねもしませんのよ。……酷いでしょう?」

その声は柔らかい。

だが、その瞳は、まったく笑っていなかった。

「ば、化け物め……!」

獣骨男が後ずさる。

「心外ですわ」

フィリアは、淡々と返す。

「あなたの方が、

 よほど気持ちの悪いバケモノではなくて?」

そして、一歩踏み出す。

「終わりにしましょう」

フィリアは右手を上げ、

獣骨男を指差した。

「首」

その一言で、獣骨男の頭が三百六十度回転した。

骨の砕ける音が響き、

男は仰向けに倒れ込む。

「終わりましたわ」

フィリアは、振り返りもせずに言った。

「ニコラス。片付けは任せましたよ」

「畏まりました、お嬢様」

どこからともなく現れた

ニコラス・ワイトマンが、恭しく一礼し、

骸へと歩み寄る。

「……さて」

フィリアは、ふっと息を吐いた。

「久しぶりですね、モノ」

「ああ。フィリア」

モノは静かに答える。

「相変わらず、らしいな」

百年以上の時を隔てた再会は、

静かに、ラベンダーの丘で果たされた。



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