獣骨男と猫勇者
「あなた誰? モノじゃない」
ミイナは警戒しつつ、そう尋ねた。
「流石に気づいたか」
偽モノは、猫の顔がぐにゃりと歪むほど奇妙な笑みを浮かべる。
次の瞬間、その身体自体が粘土細工のようにぐにゃぐにゃと歪み、膨れあがった。
骨が軋むような音とともに形を変え、それはやがて、人の形を作り出す。
黒いローブを纏った長身。
手足は異様なほど細く、長い。
頭部は角の生えた獣の骸骨にすっぽりと覆われ、赤黒い目だけが奥で光っていた。
「私は死霊術師。このラベンダーヒルの支配者だ」
獣骨男は、わざとらしく一礼してそう名乗った。
「死霊術師……? じゃあ、やっぱりニイナは……」
ミイナの胸に、冷たいものが落ちる。
「そう。本物のニイナさ。お前の大切なニイナだ」
獣骨の下で、男が笑みを浮かべたのが伝わってきた。
「酷い……許せない……」
ミイナは、冷え切っていた心の底から、怒りが沸々と沸騰していくのを感じた。
「何を言う? 感動の再会を演出してやっただろう?」
「それに――お前が死者になるという結末は、変わらん!」
死霊術師が両手を上げると、ラベンダー畑から一斉に複数の悪霊レイスが姿を現した。
そして、ミイナを目掛けて一直線に飛びかかってくる。
レイスは、触れない。
ミイナは先の戦闘で、嫌というほど思い知らされていた。
(回避に専念しよう。隙を見て、屋敷まで戻るんだ)
レイスの動きは単調だった。
最初の二体を屈んで躱し、後退しながら、さらに追撃をかわす。
「ほう。なかなか、動けるではないか」
「では、これではどうだ?」
獣骨男が、パン、と手を叩く。
すると今度は、地面から腕が突き出した。
ずりずりと土を押し除けながら、“それ”が姿を現す。
アンデッド。
死体だった。
物理的な肉体を持った死者が、数えきれないほど湧き上がってくる。
ミイナは、あっという間に囲まれてしまった。
「……数が多すぎる」
しかも、その半分は触れないレイスだ。
逃走する隙間もなく囲まれたミイナは、まさに絶体絶命だった。
――その時。
バリバリッ!
雷が迸った。
電撃はレイスを的確に貫き、霧散させる。
同時に、ミイナの後方にいたアンデッドが吹き飛んだ。
ミイナは、この魔法を知っていた。
猫魔法だ。
「ミイナ! 無事か?」
今度こそ、本物の猫勇者――モノが現れた。
*
「モノ!」
――来てくれた。
ミイナは、そう思った。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
ニイナとの再会。
レイスとアンデッドに囲まれ、もう終わりだと思った。
それでも――来てくれた。
涙が溢れそうになる。
ミイナは慌てて袖で目元を拭った。
今は、泣いている場合じゃない。
「待たせたな。フィリアには会えたのか?」
「うん! なんていうか……すごい人だったね……」
「だろ?」
モノは短く笑い、すぐに視線を敵へ戻す。
「時間を稼ぐぞ。相手がアンデッドと死霊術師なら、フィリアが来れば勝てる」
「え? どういうこと?」
ミイナは敵から目を逸らさないまま尋ねた。
だが、答えは返ってこなかった。
アンデッドとレイスが、再び波状攻撃を仕掛けてきたのだ。
「ちっ……!」
モノは舌打ちし、即座に動く。
レイスには電撃を。
アンデッドには、“弾き”の猫魔法を。
的確で、無駄がない。
「いつまでもつかな?」
獣骨男が、愉快そうに笑う。
その時、モノが叫んだ。
「ミイナ! 俺を抱っこしろ!」
「え? 抱っこ!?」
あまりにも場違いな命令に、ミイナは思わず聞き返してしまう。
「死者避けの御守りだ! 俺を抱っこして、心を読め!」
言い終わるより早く、モノは跳躍した。
ミイナの胸元へ。
ミイナは反射的に、その体を受け止める。
黒猫の温もり。
そして、意識を集中させる。
《いいか。絶対に喋るな》
胸元で、死者避けの御守りが、かすかに光った気がした。
次の瞬間。
レイスとアンデッドの動きが、ぴたりと止まる。
視線が彷徨う。
ミイナとモノを、見失ったのだ。
「死者避けか……やってくれる!」
獣骨男が、吐き捨てるように言う。
《隙を見て、屋敷まで退くぞ》
ミイナの頭の中に、モノの声が響いた。
ミイナは、小さく頷いた。
だが――
「だが、これならどうだ?」
獣骨男は、黒い靄に包まれたニイナの頭へ手を伸ばし、乱暴に何かを弄った。
「……っ!」
ニイナが、苦しみ始める。
「うあぁ……っ! ああぁっ……!」
身体が、異様に膨れ上がる。
手足は不自然なほど伸び、指と爪が異様に発達していく。
艶やかだった髪は荒れ狂うように伸び、
青い瞳は肥大し、ぎらぎらと濁った光を放った。
ミイナの喉が、詰まった。
――叫びたい。
――目を逸らしたい。
だが、できなかった。
《……あの野郎……!》
モノの声が、怒りに震える。
《我慢しろ、ミイナ》
その一言がなければ、
ミイナはその場に崩れ落ちていたかもしれない。
「さあ、ミイナ」
獣骨男の声が、丘に響き渡る。
「どうする?」
「お前の大切な人は、怪物になってしまったぞ」
ゆっくりと、言葉を選ぶように続ける。
「お前が現れなければ、ずっとこのままだ」
その言葉は、刃だった。
過去を。
罪悪感を。
後悔を。
すべてを、抉る。
獣骨男は、愉悦に満ちた声で笑った。
「選ぶがいい、ミイナ」
ラベンダー畑の中で、
死と生の境界が、静かに揺れていた。




