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月光と貴女

「手記ですか?」

ミイナが首を傾げて尋ねた。

「ええ。ニコラス・ワイトマン著――『月光と貴女』と書いてあります」

ペルシャは、文字が読めないミイナに代わって、表紙を静かに音読する。

「月光と……貴女?」

「手記のタイトルですね。この手記は、今からおよそ三十年前に書かれたもののようです」

『随分と詩的な題名だな』

モノがミイナの足元で、ぐっと伸びをした。

『まぁ、聞くでござるよ。ラベンダーヒルの恐ろしさが、よく分かるでござる』

『え、ええ。み、皆さん、まずは落ち着いて話を聞きましょう』

クロスケとハイランドも、ペルシャを囲むように歩み寄ってくる。

「では……読みますよ?」

ペルシャはそう断ってから、ゆっくりと表紙をめくり、朗読を始めた。



――まずは、私が何者であるかから話そう。

私は、ニコラス・ワイトマン。

黄昏教に仕える聖職者にして、死霊祓いである。

生まれは、砂楼の街ハイト。

もっとも、その街は、私が五歳の時に暴龍の災害に見舞われ、壊滅した。

両親も、家も、すべてを失い、私は天涯孤独となった。

そんな私を哀れに思い、手を差し伸べてくださったのが、黄昏教の司祭――

“エルドチル”様である。

私は彼に拾われ、弟子として育てられた。

ここから、私の人生が始まったと言っても過言ではない。

黄昏教の真髄を学ぶべく、私はこの国の首都、港町ペンタズムの大学へと進学した。

魔術科を主席で――

しかも、歴代最高の成績で卒業した。

さらに……

「……ここから、経歴自慢が数ページにわたって続くニャ」

(中略)

――この度、優秀な死霊祓いである私が派遣されることとなったのは、

“紫の丘”と呼ばれる魔境であった。

紫の丘の噂は、私も以前から耳にしていた。

どうやら、アンデットやレイスといった悪しき霊どもが集う、

死者の溜まり場となっているらしい。

生者は現世に。

死者は黄昏へ。

それが、我ら黄昏教の教えであり、

同時に、私の務めである。

私は砂漠を越え、北へと進路を取った。

紫の丘へ――

その旅路を、急ぐことにしたのだった。

「……ここから、砂漠での活躍と、勇ましさ自慢が数ページ続くニャ」

(中略)

有象無象の魔物を薙ぎ倒し、砂漠を抜けようとした――

まさに、その時であった。

恐るべき巨大な魔物に、私は襲われたのだ。

砂漠喰。

世では、サンドウォームとも呼ばれる魔物である。

その姿は八目鰻に似ていた。

だが、口の内側には何重にも鋭い牙が覗き、

さらにその口を囲むように、ぞろりと眼球が並んでいる。

そして何より――

龍をも凌ぐかと思われる、巨大な体躯。

まさしく、砂漠そのものが牙を持ったかのような怪物であった。

並の魔物であれば、私の敵ではない。

だが、相手が悪すぎた。

砂漠喰は、砂嵐を呼ぶ。

それが決定的だった。

荒れ狂う砂に視界を奪われ、方向感覚を失い、

私はついに前後不覚へと陥った。

気を失っていた時間は、数刻ほどであっただろうか。

目を覚ますと、日はすでに沈み、

空には満天の星と、見事な満月が輝いていた。

そして、周囲を見渡した私は息を呑む。

紫の花。

花、花、花。

私は――

ついに紫の丘へと辿り着いていたのだ。

紫の丘は、この世のものとは思えぬほど美しかった。

だが同時に、ここは美しいだけの場所ではなかった。

四方八方から、死者の気配がする。

中でも厄介だったのが、悪霊――レイスである。

レイスは生者に嫉妬し、

その命を奪い、死へと引きずり込もうとする存在だ。

常人であれば、ここで命を落としていただろう。

しかし私は、黄昏教の死霊祓いである。

それも――相当な実力者だ。

何十、何百と押し寄せるレイスを黄昏へ送り返すことなど、

造作もなかった。

そもそも、私ほど優秀な人間は――

「ここから、自分語りと武勇伝が続くニャ。で、本題はここから」

(中略)

その時、声が聞こえたのだ。

――「もし、そこのあなた」

私は、自らの正気を疑った。

この死者しかいない紫の丘で、

誰かに声をかけられるなど、考えたこともなかったのだ。

しかし――

私は、そこで運命の出会いを果たすことになる。

絶世の美女とは、きっとこの人のことを指すのだろう。

紫の花畑の中に、一人の女性が立っていた。

その美しさは、あまりにも儚く、

まるでガラス細工のようであった。

彼女は、微笑んで言った。

「せっかくいらしたのでしたら、紅茶でもいかがですか」

信じられなかった。

この死霊の巣窟で、紅茶だと?

そう思った、その瞬間――

彼女の背後に、荘厳で、そして豪奢な屋敷が、

いつの間にか聳え立っていることに気がついた。

彼女に導かれるまま、屋敷へ通された私は、

本当にそこで紅茶をご馳走になった。

会話は他愛のないものだった。

だが、彼女の仕草ひとつひとつ、

そして何より、彼女と共に過ごすこの時間そのものが、

至福であるかのように感じられた。

そして――

気がつくと、朝だった。

紫の花畑に、私は仰向けに転がっていた。

(中略)

何度も、何度も、紫の丘に足を運んだ。

すべては、貴女にもう一度会いたいがためだ。

あの紅茶の味が、

貴女の微笑みが、

どうしても忘れられない。

(中略)

なぜだ。

なぜ、屋敷がない。

なぜ、貴女は現れてくれないのだ。

こんなにも恋焦がれているというのに。

私に、罰を与えているのか。

(中略)

もう、何日も帰っていない。

帰る必要など、ないのだ。

彼女にまた会えるなら、

私はすべてを投げ打っても構わない。

それなのに、なぜ――

(中略)

満月だ。

満月にしか、あの屋敷は現れないのだ。

待っていておくれ。

愛しい貴女に、今、会いに行きます。

「手記は、ここで終わっています」

そう言って、ペルシャは静かに古い手記を閉じたのだった。


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