敗北と死
ミイナは、壁に叩きつけられた衝撃で気を失いかけた。
肺が揺さぶられる。
息が、できない。
激しく咳き込む。
涙で滲む視界の中――
それでも、目を開く。
そして。
映ったのは――衝撃的な光景だった。
モノが、膝をついている。
その身体はところどころが黒く炭化し、
再生と破壊を繰り返していた。
立ち上がろうとしている。
だが、足が言うことを聞いていない。
クロスケは――
距離を取って構えているが、明らかに動きが鈍い。
再生したばかりの腕が、震えている。
ハイランドは、壁にもたれかかり、
片膝をついたまま動かない。
血が、止まっていなかった。
フィリアは――
火車髑髏の残った腕の掌の上で、動かない。
守られている。
だが、火車髑髏の炎は弱っている。
明らかに、削られている。
そして。
そのすべてを見下ろすように――
ヘカトキリオスが、立っていた。
無傷。
その黄金の眼が、ゆっくりと瞬く。
「どうした」
静かな声。
「もう終わりか?」
一歩、踏み出す。
それだけで、空気が歪む。
ミイナの喉が、震えた。
声が出ない。
身体が、動かない。
(……勝てない)
その言葉が、脳裏に浮かぶ。
(こんなの……どうやって……)
呼吸が浅くなる。
視界が、暗くなる。
それでも。
それでも――
ミイナは、歯を食いしばった。
震える手を、床につく。
ゆっくりと。
ほんの少しだけ。
身体を、起こす。
「……まだ」
かすれた声。
それでも、確かに言った。
「……終わって、ない……!」
その瞬間。
黄金の眼が――
ミイナを見た。
*
「貴様から死にたいらしいな」
ミイナの身体が、見えない力で圧縮されるように軋んだ。
「うっ……!」
「やらせるか!」
モノが、ミイナの前に立ち塞がる。
空色の目が、黄金に輝く。
――殺戮眼。
両者の視線が、正面からぶつかる。
バチッ! バチッ! バチッ!
空間が歪み、火花が散る。
互いが互いに干渉し合っているのが、
ミイナにははっきりと分かった。
「相殺してる……?」
今しかない。
ミイナは、そう思った。
考えるより先に、身体が動いていた。
両腕を掲げる。
わずかに残ったありったけのエステラを注ぎ込み、自らの何倍もある水球を作り出す。
「いけ! 届いて!」
水球が、ヘカトキリオスを飲み込んだ。
「ミイナ!?」
モノが叫ぶ。
「ゼロ距離の水蒸気爆発なら!」
水球が、ゴポゴポと音を立てて沸騰する。
ボン!
水球の中で、小爆発が起こる。
しかし、ミイナは水球を解除しない。
爆発の衝撃を水球で受け止め、
内側に留める。
ボン! ボン! ボン!
爆発で、水球の形が歪む。
(どうか……効いて!)
ボンボンボンボンボンボンボンボン!
水球の中が、爆発で満たされる。
その衝撃は外へは逃げず、
ヘカトキリオスを襲い続けた。
《小賢しい》
ミイナの脳裏に、ヘカトキリオスの声が響く。
バシャアアン!
ヘカトキリオスが腕を一振りすると、水球は崩壊した。
「もう一度です!」
ハイランドが、ミイナの肩に手を置く。
「はい!」
ミイナは溢れた水を集め、再び水球を作り出す。
「無駄だ」
ヘカトキリオスは、水球に飲まれる前に破壊しようとする。
「行きますよ!」
ハイランドが叫ぶ。
《強化刻印魔術陣》
ミイナの身体に、ハイランドのエステラが流れ込む。
肩に、魔術師の刻印が発現した。
水球が急激に肥大化し、ヘカトキリオスを飲み込む。
ミイナは、身体中にエステラが漲るのを感じた。
「今度は閉じ込めます!」
《強化刻印・氷結魔術陣》
ミイナは、水を氷結させるように集中する。
肩の刻印が、熱い。
どうやらミイナの術の増幅円を、
ハイランドが肩代わりしてくれているようだ。
エステラの出力が、段違いだった。
瞬く間に水球は氷結し、
ヘカトキリオスは閉じ込められる。
「今だ!」
「いきますわよ!」
「承知でござる!」
ミイナとハイランドが作ったこの隙が、
最後の好機だと――皆が分かっていた。
ピシャアン!!!
今までにないほどの破裂音。
至近距離で落雷が落ちたかのような轟音だった。
クロスケの全力の抜刀術。
ヘカトキリオスの胴体を、氷塊ごと両断する。
火車髑髏が、残った腕で拳を握り込む。
背中の車輪の炎が、
注ぎ込まれるように拳へ集まる。
「エステラごと、燃やし尽くしなさい!」
ドガァン!
火車髑髏の一撃が、
両断されたヘカトキリオスを直撃した。
氷は砕け、紫の炎がヘカトキリオスを包み込む。
「終わりだ!」
モノが、魔王城の尖塔を睨む。
尖塔はバキバキと音を立てて崩壊し、
ヘカトキリオスに向かって激突した。
ドガァシャアアン!!
――これが、精一杯だった。
今現在、ミイナとモノたちにできる、
全力の攻撃だった。
それでも――
魔王は、死ななかった。
ズドン。
最初に貫かれたのは、ハイランドだった。
三本の腕が、
ハイランドの胴体を貫通している。
ミイナは、反応できなかった。
残った腕が、ミイナへ向けられる。
《五十重増幅円拡散刃術式》
無数の真空の刃が、ミイナに飛来する。
「ミイナ殿!!」
クロスケが、盾となるように立ち塞がる。
ガリガリガリガリガリガリ!!
防ぎきれない。
刃は、クロスケの体を削り取っていく。
「再生を!」
フィリアが、両腕をついて跪く。
ヒュン!
フィリアが吹き飛んだ。
火車髑髏は、反応すらできない。
瓦礫に激突する。
そして、そのまま瓦礫が球体になる。
バキャッ!
そのまま、フィリアは砕かれた。
クロスケが、その場で崩れ落ちる。
ハイランドは腕を引き抜かれ、
その場で血を吐いて倒れた。
「うわあああああ!!」
モノの叫び。
それは、今までに聞いたことのない声だった。
まるで、子供の泣き声の様だ。
モノは、ヘカトキリオスの首を目掛けて剣を振り下ろす。
パキン。
剣が、折れた。
ヘカトキリオスが、横から刀身に拳を当て、叩き折ったのだ。
モノが、膝から崩れ落ちる。
「ダメだ……勝てない……」
「モノ……?」
ミイナは、これほどまでに弱々しいモノの声を、初めて聞いた。
《に、逃げて》
声が、ミイナの脳裏に響く。
フィリアの声だった。
モノの身体が、みるみるうちに黒猫へと変化していく。
フィリアが、自らの呪いをモノへ移したのだ。
《モノを連れて……早く……》
バキャッ!
瓦礫が軋む音。
それきり、フィリアの声は聞こえなくなった。
ミイナは、歯を食いしばる。
そして――モノを抱き抱えた。
(逃げなきゃ……モノを助けるんだ……!)
ミイナは一心不乱に、
魔王に背を向けて走り出したのだった。




