呪いの魔王と猫勇者
時は、少しだけ遡る。
勇者一行は回廊を抜け、玉座の間へと辿り着いた。
重々しい扉を押し開ける。
玉座の間は、静まり返っていた。
天井は高く、薄暗く、奥行きが掴めない。
黒ずんだ柱が等間隔に並び、わずかに歪んで見える。
床の石畳には細かなひびが走り、その隙間に暗い赤が滲んでいた。
奥の玉座は黒い石で造られているが、どこか滑らかすぎて、無機質な違和感を放っている。
――その玉座に、魔王が腰掛けていた。
百五十年前に見た時は、老人だった。
だが、今は違う。
二度も翡翠竜を返り討ちにし、その竜血を存分に啜った結果――
若返り、全盛期の肉体を取り戻しているように見えた。
両眼は赤黒くギラつき、額には瞼を持たない赤黒い第三の眼。
背中から四本の腕が生え、計六本の腕を持つ。
皮膚の表面には黒い呪紋のような模様が浮かび上がり、脈打つように淡く光っている。
力が溢れているのが、一目で分かった。
魔王は玉座に肘をつき、退屈そうに頬杖をついていた。
「また来たのか」
それだけだった。
『ああ。久しぶりだな、キリオス』
モノは黒猫の姿のまま、静かに言った。
「ヘカトキリオスだ。物覚えが悪いな」
『確かに。もう人間の姿じゃねえからな。堕ちるところまで堕ちたってとこか』
「相変わらず口だけは達者だな。その口も塞いでやるべきだったか」
沈黙が落ちる。
魔王は、ゆっくりと指先で玉座を叩いた。
コツ……コツ……
「百五十年」
ぽつり、と言う。
「長かったな」
視線が、勇者一行をなぞる。
「で」
一拍。
「それで、その程度か?」
空気が、重く沈む。
誰も動けない。
動けば、何かが起きると分かっているからだ。
「……来ないのか?」
魔王は退屈そうに首を傾げる。
「なら、こちらから行くか」
魔王は気だるげに一本の腕を翳した。
「ミイナ! 呪いを解け! 今すぐに!!」
モノが声を張り上げる。
「うん!」
ミイナが祈りを込めるのと同時だった。
ゴォッ!!
轟音を立てて、漆黒の炎が玉座の間を埋め尽くした。
間一髪だった。
呪いを解かれたハイランドが魔術で障壁を展開し、味方を守った。
「ハイランドか。出来損ないの使えない弟子め」
魔王が翳す手を、もう一本増やす。
ゴオオオッ!!
漆黒の炎がさらに勢いを増し、濁流の如くハイランドの障壁を襲った。
「くっ!! なんと言う火力ですか!!」
「任せろ! ハイランド!」
人間に戻ったモノの空色の瞳が、満月のような金色に変化する。
“殺戮眼”が発動したのだ。
漆黒の炎は向きを変え、魔王を覆い尽くした。
魔王が拳を振りかざすと、漆黒の炎は一瞬で消え失せる。
「喰らうでござるよ!」
「オラァ!」
クロスケとモノがその隙に突っ込み、剣で魔王を狙う。
「そんなものか」
魔王は二本の腕で軽々と剣を受け止めていた。
「帳を!」
フィリアが跪き、手を合わせる。
紫の靄が辺りに立ち込める。
「目眩しか?」
魔王は息を大きく吸い込み、一気に吐き出した。
靄が吹き飛ばされる。
「今だ! やれ! ハイランド!」
「はい! 行きますよ、“元”師匠!」
《八重増幅円爆裂魔術陣》
ハイランドの掌から、極限まで増幅・圧縮された赤熱の火球が放たれた。
ズドンッッッ!!!!
魔王は玉座ごと、爆熱に飲まれた。
そして、そのまま炎上する。
「ほう。なかなかの火力だ」
玉座から、涼しい声が響く。
「ええ。まだまだ行きますよ!」
《八重増幅円爆裂魔術陣》
右手に火球。
《八重増幅円爆裂魔術陣》
左手にも火球。
《増幅円爆裂火球連弾術式》
次から次へと、圧縮火球が魔王へと降り注ぐ。
「おっと。動くなよ」
モノの殺戮眼が、魔王と玉座を見据える。
爆熱の炎は逃がさない。
赤熱の奔流が、魔王を焼き続ける。
石の玉座は溶け落ち、魔王の肉体も炭化する。
それでも、ハイランドは緩めない。
《九重増幅円暴風魔術陣》
暴風が炎を煽る。
熱はさらに増し、焼却は極限へと達した。
――魔王を、玉座ごと焼き尽くす。
*
「どうだ? 魔王。少しは効いたか?」
モノの声からは余裕は感じ取れなかった。
一瞬の油断もしない。
そんな硬さがあった。
「なるほど。腕を上げたな、ハイランド」
魔王の六本の腕は、先端が炭化していた。
しかし――
魔王が身を震わせると、炭は剥がれ落ち、新たな腕が生え変わる。
「座ったままでは分が悪い。立たせてもらおう」
魔王が立ち上がりかけた、その時だった。
「いや、座ってるでござるよ」
抜刀術。
一閃だった。
低く、低く。
地を這うような一撃が、魔王の脛から下を切断する。
思わず、といった形で魔王はよろめき、玉座に尻をついた。
その瞬間を逃さない。
クロスケは連続して斬撃を放ち、六本の腕すべてを切断した。
「むっ」
「次、頭な」
クロスケの影から飛翔したモノの強烈な突きが、魔王の第三の眼を玉座ごと貫いた。
「やるな。勇者よ」
「まだ余裕ぶるのかよ、クソ魔王」
再生が始まる。
切り落とされた手足の断面が蠢く。
――その瞬間。
雷が疾った。
モノの剣を通して、猫魔法《雷》が放たれる。
再生が、ぴたりと止まる。
「オゼロのジジイが言ってたな。不死身じゃない。死ぬまで殺してやるってな!!」
バリッ!
バリッ!
バリッ!
モノは連続して電撃を叩き込む。
再生が追いつかない。
電撃で再生を遅らせ、再生した手足をクロスケが刈り取る。
さらに背後では、フィリアとハイランドが魔術陣を展開して構えていた。
その布陣は、ミイナから見ても盤石に映った。
*
「なるほど。いい連携だ」
魔王の声は、依然として涼しい。
「余裕ぶっこきやがって! このまま削り切ってやる!」
モノは電撃を弱めない。
クロスケも再生する四肢を、片っ端から切り落とす。
「少々、遊んでやるか」
魔王は口から、濛々と緑色の煙を吐き出した。
「毒ガスです! 離れてください!」
ハイランドが叫ぶ。
《九重増幅円暴風魔術陣》
術式が展開され、毒ガスは一気に吹き飛ばされる。
「ハイランド様!」
フィリアが叫んだ。
毒ガスを目眩ましにして、魔王がすでにハイランドへ接近していた。
「まずは一人」
六本の腕が刃へと変化し、ハイランドを貫こうと突き出される。
――ボンッ!
魔王の側頭部で何かが爆発した。
ダメージはない。
だが、魔王自身も何が起きたのか理解していない様子だった。
ミイナだ。
ミイナが水蒸気爆発を魔王に命中させたのだった。
「場違いな小娘が」
三つの眼が、ギロリとミイナを捉える。
「私も戦う」
その声は、震えていなかった。
魔王がミイナに向かって跳躍した――
――かに見えた。
「む?」
「あらあら。足元がお留守でしたわよ?」
フィリアが微笑む。
魔王の足元には、無数の骸骨の手が突き出し、拘束していた。
「アンデッドか。小賢しい」
魔王は構わず、足を踏み出そうとする。
「行くでござるよ! モノ!」
「ああ!」
ズバン!
二人の剣が魔王を捉える。
クロスケの剣が胴を両断し、モノの剣が首を切断した。
《九重増幅円雷撃魔術陣》
ハイランドが雷を放つ。
バリバリバリッ!
直撃。
魔王は肉片となり、雷に焼き尽くされたのだった。




