月と獅子
《援軍? 今回は賑やかでいいね!》
マテリアルヘッドの金切り声は、相変わらず理解を拒むほど陽気だった。
「サンディさん! ダメです! 攻撃すると分裂するんです!」
「分裂……ですか?」
「はい! 大群で当たっても意味がありません! それに、体の材質も自在に変化します!」
《その通りです。大軍は無意味。増えれば良いだけ!》
マテリアルヘッドは、さらに葡萄状の分裂形態へと変化する。
その時だった。
「――最大円」
静かな、呟くような声。
エステラが、ふわりと戦場に広がっていく。
ラニスタだった。
彼女は一歩、前に出る。
「術式展開――“重月”」
次の瞬間。
彼女のエステラが、戦場全体を覆い尽くした。
《なんだこれ? 痛くも痒くもないね》
ラニスタは、そっと地面を指差す。
「――“超下弦”」
ズシン――!
大地が、沈んだ。
いや、“引きずり落とされた”。
マテリアルヘッドの群が、一斉に地面へ叩きつけられる。
《なんだ! なんだこれ!?》
「重力を受けない物質は存在しません」
ラニスタの声は、静かだった。
「ここは私たちに任せて、魔王を」
『う、腕を上げましたね……詠唱を破棄するのではなく、さらに出力を上げるとは……』
ハイランドが感嘆する。
ラニスタは一瞥もせず、言い捨てた。
「あなたのやり方に従うのが、気に入らなかっただけです」
その声音は、冷たい。
「長くは持ちません。ミイナ様――早く」
迷っている時間はなかった。
ミイナと仲間たちは、一斉に駆け出す。
『我らもここで戦おうぞ! また会おう、勇者!』
シャオティエンが叫び、マテリアルヘッドを踏み砕く。
『ああ! 必ず後で会おう!』
モノはそう言い、振り返らなかった。
重力に縫い止められたマテリアルヘッドの群の脇を駆け抜ける。
そして――
一行は、魔王城へと急いだ。
*
荒れ果てた平原の果てに、それは静かに佇んでいた。
魔王城――重厚な石で築かれた巨大な居城。
黒く鈍い光を帯びた石壁は幾重にも積み上げられ、年月すら拒むかのように一切の崩れを見せない。
高く聳える塔は空を穿ち、鋭く尖った尖塔群が不気味な威圧感を放っている。
城門は異様なほどに巨大で、閉ざされているだけで圧迫感を与え、まるで侵入者を拒絶しているかのようだった。
壁面には古代の紋様が刻まれ、それは風化することなく、淡く不気味な光を宿している。
周囲の空気は淀み、風すら遠慮するように静まり返っている。
そこにあるだけで、世界の一部が切り離されたかのような違和感を放っていた。
魔王城の門を開く。
勇者モノ、クロスケ、ハイランド、フィリアにとって、それは百五十年ぶりの魔王城だった。
地形は頭に入っている。
何度も何度も、この時を夢見てきたからだ。
魔王城の中は、伽藍堂だった。
しかし、意外ではない。
前回――百五十年前も、同じだったからだ。
やがて一行は、大広間の扉の前に差し掛かる。
この先を抜ければ、回廊を挟んで玉座の間。
前回と同じならば、魔王はそこにいるはずだ。
――その時だった。
大広間の扉を開いた瞬間、巨大な斬撃がミイナに向かって飛来した。
ガキィィィィン!!
クロスケとペルシャが同時に踏み込み、斬撃を受け止める。
衝撃が走る。
斬撃を放った影は、そのまま飛び退き、距離を取った。
「ハハっ! やるなぁ!」
『不意打ちとは卑怯でござるよ』
「は? 闘いに卑怯もクソもあるかよ?」
そこに立っていたのは――ライオンだった。
魔王軍幹部。
獅子の頭を持つ男。
否、頭だけではない。
豪奢な鎧に身を包みながらも、その下にある獅子の筋肉は隠しきれていない。
鎧の上から毛皮のマントや装飾を纏い、まるで王のような出で立ちだった。
どちらかといえば――獣人。
そう呼ぶべき風貌だ。
その瞳は赤黒く光り、呪眼の影響を受けているのが見て取れる。
『新入りか? 先代のライオンヘッドはどうした?』
モノが問いかける。
そう――百五十年前も、この場所で魔王軍幹部“ライオンヘッド”と激闘を繰り広げたのだ。
「あのジジイか? 殺した。
それで今は――俺がライオンヘッド様よ!」
『な、なんとも物騒な話ですね……』
「粗暴な殿方は苦手ですのよ」
ハイランドとフィリアが口々に言う。
だが、その視線は一瞬たりとも逸れない。
「聖女か? いい女だな。どうだ? 俺の女にならないか?」
フィリアが呆れ混じりに返そうとした、その瞬間――
「何をやってるニャ!! レオ兄!!」
怒声が、大広間に響き渡った。
ペルシャだった。
「やっぱり気づいたか? ペルシャ。久しぶりだなぁ?」
ライオンヘッドは、ニタリと口角を吊り上げた。
*
ライオンヘッドは、ゆっくりと肩を回した。
骨が鳴る。
「へぇ……その顔。変わってねえな、ペルシャ」
赤黒い瞳が細められる。
「国を捨てた時と、同じ顔だ」
空気が、ぴたりと止まった。
ペルシャの耳が、ぴくりと動く。
「……黙れ」
低い声だった。
「お前に、何が分かるニャ」
ライオンヘッドは、愉快そうに笑う。
「分かるさ」
一歩、踏み出す。
「俺は“全部奪われた側”だからな」
――重い一言だった。
「王位も。国も。……妹も」
ペルシャの瞳が、わずかに揺れる。
「俺が王になるはずだった」
「俺が、選ばれるはずだった」
「なのにどうだ?」
笑みが歪む。
「選ばれたのは、お前だ」
「……っ」
「で、そのお前はどうした?」
声が一段、低くなる。
「全部捨てて、どっかの勇者を追っかけて逃げた」
沈黙。
空気が重く、沈む。
「ふざけてんのか?」
パキリと音が鳴る。
足元の石床がひび割れた。
「俺がどんな顔であの国に残ったか、想像したことあるか?」
ペルシャは、何も言わない。
言えない。
「王にもなれず」
「妹にも捨てられ」
「ただの“余り物”だ」
ライオンヘッドの口角が吊り上がる。
「そりゃあ、壊れるよなぁ?」
その瞬間――
「……やめろ」
モノが一歩前に出た。
「そいつは、ペルシャに関係ねえ」
静かな声。
だが、芯がある。
「選ぶのはいつだって自分だ」
ライオンヘッドの視線が、モノへ向く。
「……ああ?」
「ペルシャは逃げた。確かにそうだ」
「でも、お前がどうなるかまでは決めてねえ」
一歩、踏み込む。
「勝手に腐ったのは、お前だろ」
空気が張り詰める。
ライオンヘッドの瞳が、ギラリと光った。
「……いいねぇ」
低く、笑う。
「やっぱり気に入らねえ」
「そういう顔だよ、勇者」
「全部分かってるみたいな顔しやがって」
ゴォォォォ……
体の奥から、圧が滲み出る。
「だったら見せてやるよ」
筋肉が膨れ上がる。
鎧が軋む。
「“奪われた側”が、どこまで行けるかをなァ!」
ドンッ!!
床が砕ける。
ライオンヘッドが、一瞬で距離を詰めた。
「――っ!」
クロスケが反応する。
だが。
「来るな!!」
ペルシャの声が、それを止めた。
ライオンヘッドの巨大な剣が、ペルシャの剣に当たって火花を散らす。
「……これは、私の問題ニャ」
誰にも向けていない声。
だが、全員に届く。
「ここは……私がやる」
ライオンヘッドが、ニヤリと笑う。
「いいねぇ」
「そうでなくちゃな、ペルシャ」
爪が伸びる。
牙が覗く。
「逃げたままじゃ終われねえよな?」
ペルシャは、目を閉じた。
一瞬だけ。
そして、開く。
その瞳には、もう迷いはなかった。
「……終わらせるニャ」
低く。
確かに、言い切った。
モノは、少しだけ視線を外した。
それから、背を向ける。
「行くぞ」
短く言う。
クロスケが頷く。
『任せたでござる』
ハイランドも静かに続く。
フィリアは、ちらりとペルシャを見る。
「ご武運を」
それだけ言って、踵を返した。
ミイナだけが、一瞬迷った。
「……ペルシャさん」
「大丈夫ニャ」
振り返らずに答える。
「ちゃんと、やるから」
その一言で、十分だった。
ミイナは、強く頷く。
「……行こう」
一行は、大広間の奥へと駆け出した。
残されたのは、二人。
兄と妹。
かつて同じ場所に立っていたはずの二人。
「さて」
ライオンヘッドが、肩を鳴らす。
「やろうか、王女様」
ペルシャは、静かに構えた。
「その呼び方、やめろ」
空気が変わる。
重く、濃く。
逃げ場はない。
壮絶な兄妹喧嘩の始まりだった。




