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たてがみ山脈と呪われた竜

たてがみ山脈は、大陸最高峰の山脈だった。

無数の岩峰が天を突き、山々は雲を突き抜けるほど高くそびえ立っている。

山肌に緑はなく、あるのは黒い岩と氷、そして雪だけだった。

鋭い峰が幾重にも連なり、その稜線はまるで巨大な獣のたてがみのように見える。

それが、この山脈が“たてがみ山脈”と呼ばれる所以だった。

人の足で踏み入れることのできる場所は、ほとんど存在しない。

氷に覆われた断崖、底の見えない氷河の裂け目、そして唸るような暴風が、すべてを拒んでいる。

そして、その断崖の中腹。

人の手が決して届かぬ高さに、翡翠竜の巣はあった。

ミイナは桁外れの寒さに凍えていた。

防寒を少しでも強めようと首をすくめた。

焦茶色の髪は毛糸の帽子にすっぽりと包まれ、緑色の眼だけが、かろうじて覗いている。

『大丈夫か?ミイナ』

ミイナの懐の中から声がする。

モノだ。

黒猫の身体に額の×模様。

そして、空色の眼を持つ元勇者の猫だった。

モノは今、ミイナの湯たんぽがわりに懐の中に潜り込んでいた。

「うん。大丈夫」

ミイナは笑顔を作って見せた。

「モノ。今回は特別に許しますけど、婚約者の私以外にくっつくのはどうかと思いますよ」

白猫の獣人で、モノの自称婚約者を名乗るペルシャが不機嫌そうに言う。

『うるさい。ミイナが寒がるんだから仕方ないだろ。それにお前と婚約した覚えはない』

「酷いニャ!」

それにしても、風が冷たい。

砂漠育ちのミイナにとってこの寒さは初めての経験だった。

「もう少しだよ!我慢しな!」

「うん。もう少し」

「見えてきました。あれが竜の巣です」

デクサ、シニサ、メディアナの三姉妹が口々に言う。

登山にきているのはこの六人だけだった。

まず、案山子の戦士クロスケは脚が一本しかないため登山できない。

また、アンデッドの聖女フィリアは体温がないため凍りついてしまうので不可能。

そして、魔物のハイランドは竜を刺激しないために同行していなかった。

竜の巣と呼ばれる、山の谷間に差し掛かった時、雲が切れた。

陽光が差し込み、全容が明らかになる。

自然に出来たとは思えないほど広いその岩棚は、まるで山そのものが空へ向かって突き出した台座のようだった。

そこが、翡翠竜の巣だった。

地面には、長い年月をかけて削られた深い爪痕が幾筋も残っている。

ところどころに散らばる巨大な骨は、かつて竜が狩った獣のものだろう。

岩棚の奥には、さらに大きな岩窟が口を開けていた。

かつては、ここに幾つもの巨大な巣が並んでいた。

だが今は、風だけが吹き抜けている。

「誰も……いない……?」

ミイナは辺りを見渡した。

岩棚には、風の音しかなかった。

氷の粒が転がる乾いた音が、時折カラカラと響く。

巨大な爪痕。

砕けた骨。

そして空になった巣。

かつてここに、竜たちが生きていた痕跡だけが残っている。

『……静かすぎるな』

モノが低く呟いた。

「呪いのせいで……みんな死んじゃったのかな……」

ミイナの声が少し沈む。

「いや……」

メディアナが首を横に振った。

「竜は非常に生命力の強い生き物です。全滅するとは考えにくい」

「ですが……」

シニサが周囲を見回す。

「気配がありません」

その時だった。

――ゴォォォォォォ……

低く、重い音が響いた。

岩の奥からだ。

洞窟の暗闇の中。

何かが動いた。

ミイナたちは反射的に身構える。

次の瞬間。

岩窟の奥から、巨大な影がゆっくりと現れた。

翡翠竜だった。

かつてモノが出会ったウーティエンと同じ種族。

だが、その姿は大きく変わっていた。

背には翼がない。

翼が生えていたはずの場所は、黒く焼けただれたような痕になっている。

翡翠色の鱗はくすみ、所々がひび割れていた。

それでも、その体は巨大だった。

岩棚を踏みしめるたび、重い振動が地面を伝わる。

銀色の瞳が、ゆっくりと一行を見下ろした。

そして。

その瞳が、黒猫で止まった。

モノの尻尾が、わずかに揺れた。

『……やっぱり、生きてたか』

翡翠竜は答えない。

ただ、じっとモノを見つめていた。

長い沈黙が流れる。

やがて。

竜の喉の奥から、低い唸り声が漏れた。

グルルルル……

それは威嚇だった。



『避けろ!』

モノが叫んだ。

次の瞬間だった。

翡翠竜の巨体が、岩棚を砕きながら突進してきた。

ドォォン!!

巨大な前脚が叩きつけられ、岩盤が爆ぜる。

「きゃっ!」

ミイナはとっさに横へ飛び退いた。

砕けた岩片が周囲に散る。

「いきなりですか!」

メディアナが叫びながら槍を構える。

「警戒してください!」

デクサが後方へ跳び、位置を取る。

「これは……完全に敵意がありますね」

シニサが冷静に状況を見ていた。

翡翠竜は止まらない。

唸り声を上げながら、再び体を振り上げる。

巨大な尾が空気を裂いた。

ゴォォン!!

岩棚の端が吹き飛び、氷の破片が宙に舞う。

「まずいニャ!」

ペルシャが素早くミイナの前に立った。

ペルシャの剣が光る。

「ミイナ、下がるニャ!」

『ミイナ!距離を取れ!』

モノも叫ぶ。

「でも!」

『いいから!』

その瞬間。

竜の爪が振り下ろされた。

ミイナはとっさに身を転がす。

ズガァン!!

爪が岩棚を深く抉り取った。

岩が崩れ落ちる。

「このままでは危険です!」

メディアナが槍を掲げる。

魔法陣が足元に広がった。

「拘束魔法、展開!」

バンッ!!

青い鎖が地面から伸び、翡翠竜の脚に絡みついた。

だが――

パキィィン!!

一瞬で砕けた。

「そんな……!」

メディアナが目を見開く。

翡翠竜は低く唸りながら頭を振り上げた。

銀色の瞳が、ゆっくりと動く。

そして――

黒猫で止まった。

モノだった。

竜の動きが、一瞬だけ止まる。

『……俺だ』

モノが前に出た。

『覚えてるだろ』

翡翠竜の喉が低く鳴る。

グルルルル……

だが。

次の瞬間。

竜の目が赤黒く濁った。

唸り声が強くなる。

理性のない獣の目だった。

『……チッ』

モノが小さく舌打ちする。

『完全に呪いに飲まれてやがる』

翡翠竜が再び爪を振り上げる。

その巨大な影が、モノの上に落ちた。

「モノ!!」

ミイナが叫ぶ。

――ドォォォン!!

モノは間一髪で躱したようだ。

その時、ミイナの頭の中に声が響いた。

《憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!》

ミイナはすぐにこれが翡翠竜の思考だと理解した。

「翡翠竜さん!私の声を聞いて!」

ミイナは叫んでいた。

《憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!》

翡翠竜は構わず、ミイナに向かって突進してくる。

『ミイナ!』

モノが叫ぶ。

ミイナは全身の力を抜く。

そして、集中して翡翠竜に問いかけた。

「何が、そんなに憎いの?」

《全てだ!》

翡翠竜が叫ぶ。

ミイナが弾き飛ばされる瞬間、モノの瞳が満月のような黄金色に輝いた。

殺戮眼が発動したのだ。

翡翠竜はその場で動けなくなる。

「全てが憎いの?全てって何?」

ミイナは動けなくなった翡翠竜の鼻先にそっと触れる。

《魔王に!勇者!呪いに!運命!》

「うん。わかるよ。気づいてる?私たちさっきからずっと会話してるよ?」

《……会……話……》

「今、呪いを解いてあげるね」

ミイナは左手で翡翠竜の鼻先に触れながら祈った。

指輪から白い光が迸り、翡翠竜を包み込んでいく。

赤黒く濁っていた目が、元の白銀色を取り戻す。

『うぅ……私は一体……何をこれほどまでに憎んでいたのだ……?』

竜の声は、穏やかさを取り戻していた。


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