昔話 戦場と勇者の眼
「やられましたね」
ペンタグラムまで、あと三日の地点。
丘陵を登り切った時、キリオスが言った。
丘から見下ろした先は、敵軍の鎧で白く染まっていた。
白銀の鎧。ユニコール公国軍。
サンサーラ王国と同盟を組んでいる彼らは、ペンタグラムを包囲している軍と勇者を合流させまいと、待ち伏せしていたのだろう。
「進軍ルートが漏れてる……?」
モノの傍で、ハイランドが呟いた。
「どうするでござるか……これ……」
クロスケも顔が引き攣っている。
敵軍の数はおよそ二万。
対する勇者直属騎士団の数は百二十。
どう足掻いても勝ち目はないように思われた。
敵軍の中から、将軍と思われる豪奢な鎧を纏った男が進み出る。
そして、大音量で叫んだ。
「ハイト王国、勇者騎士団の諸君!!この陣容を見よ!!投降したまえ!!貴殿らに勝ち目はない!!」
騎士団に動揺が走る。
(狼狽えるんじゃねえよ)
モノは心の中で呟き、じっとオゼロの背中を見つめていた。
オゼロが諦めるなら投降するし、戦いを選ぶなら死ぬまで戦ってやる。
モノはそう決めていた。
「勇者様、流石に敵が多過ぎます。投降されてはいかがですか?」
キリオスが小声でオゼロに言う。
オゼロは右手を挙げて、キリオスの言葉を制止する。
「ならん。勇者には撤退も、敗北も選択肢にはない」
掠れるような声だった。
「……ですが、その体調では」
食い下がるキリオスに、オゼロは一歩も引かない。
「勇者は陛下の、そして国家の剣だ。決して折れることはない」
「お前達は下がっていろ」
そう言い放つと、オゼロは一歩前に進み出る。
そして咳を一つすると、病人とは思えない大音量で叫んだ。
「ユニコール公国の兵達よ聞け!!我は勇者、オゼロ・クロス!!汝らが我が前に立ち塞がるなら排除するしかない!!速やかに自分の国へ帰るのだ!!」
公国軍から忍び笑いが漏れる。
勇者とはいえ、息も絶え絶えの老人の言葉だ。
精強な兵士たちの中に、耳を貸す者はいない。
敵の将軍がまた叫んだ。
「交渉は決裂のようだな!!悪く思うな!!」
「構え!!」
ユニコール公国軍の弓兵は矢をつがえ、魔導兵は杖を掲げる。
一方のオゼロは剣も抜かない。
ただ、敵の軍勢を眺めている。
「放てい!!」
敵の将軍の号令と共に、無数の矢と火球が放たれる。
万の軍勢から放たれたそれは、瞬く間に空を覆い尽くし、夜のような影を作った。
オゼロはただ、それを見つめていた。
モノは違和感に気づいた。
オゼロの眼の色は、暗い鳶色だった。
それが今は、満月のような黄金色に変わっているのだ。
「勇者の眼……」
キリオスが傍らで呟く。
どこか恐れているような、憧れているような、不思議な声色だった。
次の瞬間、矢と火球は空中で静止した。
そして方向を変えると、ユニコール公国軍に向かって勢いを増して飛んでいった。
ただ、向かっていったのではない。
矢と火球は的確に相手の急所を貫いた。
手始めに、将軍の首が矢で貫かれる。
矢と火球は通常ではあり得ない軌道を描き、頭部や首、心臓を貫いた。
そして、瞬く間に二万の軍勢は壊滅した。
モノは味方の誰かが呟くのを聞いた。
「勇者の眼というより、虐殺の眼だな……」
*
誰もが畏怖の目でオゼロを見ていた。
誰一人言葉を発さない。
敵軍を壊滅させたにも関わらず、歓声も上がらなかった。
それは勝利ではなく、災厄を目の当たりにした後の静寂のようだった。
荒れ果てた戦場の眼前に、オゼロが立っている。
剣を握ったまま、微動だにしない。
その姿は、まるでまだ戦いの最中にいるかのようだった。
「……勇者殿」
恐る恐る、誰かが声をかけた。
その瞬間だった。
オゼロの肩が、小さく震えた。
「……っ、ぐ……」
押し殺した咳が漏れる。
次の瞬間、激しく咳き込んだ。
「ごほっ……ごほっ……!」
膝が崩れ、片膝をつく。
その口元から、赤黒い血が地面に落ちた。
「勇者殿!」
周囲がざわめく。
だがオゼロは手で制した。
近づくな――そう言わんばかりに。
荒い息をつきながら、顔を伏せる。
その様子を見ていたキリオスが、ゆっくりと前に出た。
「……もう隠す必要はありません」
静かな声だった。
だが、その言葉は戦場の空気を裂いた。
オゼロは何も答えない。
キリオスはさらに一歩踏み出す。
「……もう限界なのでしょう?」
周囲の騎士たちが息を呑んだ。
キリオスは構わず続ける。
「ならば――」
まっすぐにオゼロを見据える。
「私に継承してください」
沈黙が落ちた。
誰も呼吸すらできない。
「この国を守るための力なら」
キリオスは膝をついた。
「私が受け継ぎます」
「勇者の力を――私に」
沈黙が落ちた。
風だけが戦場を吹き抜ける。
オゼロは、しばらく何も言わなかった。
やがて――
小さく笑った。
「……馬鹿が」
その声はかすれていた。
「誰が、お前なんぞに継がせるか」
キリオスの表情が固まる。
オゼロはゆっくりと視線を動かした。
そして、戦場の端に立つ一人を見つめる。
「……モノ」
その名を呼んだ。
周囲がざわめく。
「前へ出ろ」
モノは戸惑いながら歩み出る。
キリオスは、信じられないものを見るように二人を見ていた。
オゼロは血を吐きながら、それでも笑った。
「継がせるなら――」
オゼロは血を吐きながら言った。
「モノだ」
ざわめきが広がる。
「……モノ?」
誰かが呟く。
隊列の後ろにいたモノが顔を上げた。
「……なんで俺に」
オゼロは短く顎を動かした。
「来い」
モノが歩き出す。
その途中で――
「お待ちください」
キリオスが前に出た。
静かな声だった。
だが、その場の空気が止まる。
「勇者の継承は、国家の命運に関わります」
オゼロは何も言わない。
キリオスは続けた。
「モノは優れた騎士です」
一拍。
「ですが――」
「器が出来ていない」
戦場が静まり返る。
キリオスはオゼロを見据える。
「勇者の力は人を壊す」
「今、彼に継がせれば――」
「耐えられません」
沈黙。
オゼロはゆっくり顔を上げた。
そして一言だけ言った。
「黙れ」
キリオスの目が細くなる。
オゼロはモノを見る。
「来い」
モノはオゼロに歩み寄る。
「なんだよ……継承ってどう言うことだよ……」
「黙れ」
有無を言わせない口調だった。
「俺の力はお前に継がせる」
「だが、国民や陛下を納得させねばならん。いいかモノ。次の戦、必ず戦果を挙げろ。誰しもが納得するような戦果を」
オゼロはモノの肩に手を置いて言った。
「いくぞ。隊列を戻せ。進軍を続ける」
オゼロのその一言で、騎士団は再びペンタグラムへの進軍を始めたのだった。




