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昔話 戦争と出陣

オゼロの容態は、日に日に悪くなっていった。

咳き込むことが増えた。

演習場にも、ほとんど姿を見せなくなった。

たまに顔を出しても、不機嫌で当たり散らすように剣を振るい、早々に引き上げてしまう。

顔色はいつも悪い。

何かに焦っているようにも見えた。

そんな折だった。

玉座の間で、王が言った。

「余は港が欲しい」

唐突な一言だった。

サンサーラ王国の港町――ペンタグラム。

交易の要所であり、両国の間で長年小競り合いが続いていた土地だ。

だが。

王のこの一言が、ついに戦争を呼び寄せた。

ハイト王国軍は、ペンタグラムへ向け進軍を開始した。

これまでのような小競り合いでは終わらない。

両国は正式に宣戦を布告し、

本格的な戦争状態へ突入したのだった。

開戦から一ヶ月が経った。

最初は順調だった。

ハイト王国軍は三つの砦を瞬く間に陥落させ、港町ペンタグラムへ向けて侵攻した。

しかし、快進撃はそこまでだった。

ペンタグラムに籠城したサンサーラ王国軍は精強だった。

砦三つを放棄したのは、あらかじめ用意された作戦だったのだ。

兵力を一点に集中させ、ペンタグラムの高い城壁を頼りに籠城戦へ持ち込んだのである。

補給は港から滞りなく行われた。

ハイト王国は水軍を持たないからだ。

両軍はやがて膠着状態に陥った。

だが、それで終わりではなかった。

ハイト王国の伸び切った補給線を、サンサーラ王国の同盟国――ユニコール公国軍が寸断したのだ。

これにより、ハイト王国軍の補給線は完全に断たれた。

食料は急速に減り、兵の士気も落ちていく。

数万の軍勢が、敵地の只中で孤立した。

瞬く間に窮地へ追い込まれたハイト王国軍は、

ついに――

勇者騎士団の出撃を要請した。



謁見の間に、勇者オゼロと勇者直属の騎士団が跪いていた。

赤い絨毯が、玉座へとまっすぐ伸びている。

左右には重臣や貴族たちが並び、静まり返った空気の中で一行を見下ろしていた。

玉座の上。

ハイト王が不機嫌そうに頬杖をついている。

しばらく沈黙が続いた。

やがて王が口を開いた。

「ペンタグラムが落ちぬ」

不機嫌そうな声だった。

「兵は揃えた。将も送った。だが未だに落ちぬ」

誰も答えない。

王はゆっくりと視線を下ろした。

「勇者よ」

オゼロは顔を上げない。

ただ静かに答えた。

「ここに」

その声はいつも通りだった。

だが、モノは気づいていた。

背中がわずかに上下している。

呼吸が荒い。

最近ずっとそうだった。

「戦況は聞いておろう」

「承知しております」

「では話は早い」

王は軽く手を振った。

「そなたが行け」

謁見の間がわずかにざわめいた。

「勇者騎士団を率い、ペンタグラムを落とせ」

それだけだった。

王にとっては、それが当然の命令だった。

オゼロはしばらく沈黙した。

咳が一つ、漏れる。

わずかに赤いものが絨毯に落ちた。

モノの拳が強く握られる。

だが、オゼロは袖で口元を拭うと、何事もなかったかのように言った。

「承知いたしました」

その一言で、すべてが決まった。

王は満足そうに頷いた。

「うむ。勇者が出れば、戦は終わろう」

軽い口調だった。

まるで掃除でも命じるかのように。

「準備が整い次第、出立せよ」

「は」

オゼロは深く頭を下げた。

その後ろで、騎士団員たちも一斉に額を床へつける。

その時だった。

列の端から、静かな声が上がる。

「恐れながら、陛下」

黒衣の男が一歩前へ出た。

宮廷魔術師長、キリオス。

「勇者様のご容態を考えるに、今回の遠征には医術担当を同行させるべきかと存じます」

王は面倒そうに眉を動かした。

「ほう」

「戦場で勇者様に何かあれば、国家にとって損失は計り知れません」

「ふむ」

王は少し考える素振りを見せた。

そして肩をすくめた。

「好きにせよ」

キリオスは静かに頭を下げる。

「では、私が同行いたします」

その言葉に、モノは思わず顔を上げた。

キリオスの視線が、一瞬だけモノに向く。

微笑んでいた。

柔らかく。

優しい顔で。

だが、その目だけが――

どこか冷たかった。

モノは眉をひそめる。

隣でクロスケが小声で呟いた。

「……嫌な予感がするでござるな」

モノは答えなかった。

ただ、前に跪く老人の背中を見ていた。

その背中は、以前よりも小さく見えた。

それでも。

この男が立てば。

戦は終わる。

モノは、そう信じていた。

まだ、この遠征が――

勇者オゼロにとって最後の戦いになるとは、

誰も知らなかった。



「大丈夫なのかよ」

遠征の道中、モノはオゼロに馬を並べて聞いた。

「何がだ」

オゼロの返答は冷たかった。

「とぼけんなよ。最近ずっと咳してるだろ」

オゼロは前を向いたまま答えない。

行軍の列がゆっくりと進む。

鎧の軋む音。

馬の蹄。

風に揺れる軍旗。

しばらくして、オゼロが小さく息を吐いた。

「戦場に出るのが勇者だ」

それだけだった。

モノは顔をしかめる。

「そんな話してねぇよ」

「同じことだ」

オゼロはちらりともモノを見ない。

ただ前だけを見ていた。

「敵がいる。戦う。それだけだ」

その声はいつも通りだった。

だが。

すぐ後に、小さく咳き込む。

オゼロは顔を背けた。

袖で口元を拭う。

その動作を、モノは見逃さなかった。

「……ジジイ」

「黙って歩け」

即座に遮られる。

「隊列を乱すな」

命令口調だった。

モノは舌打ちをして馬を少し下げた。

その横に、クロスケが馬を寄せてくる。

「怒られたでござるな」

小声だった。

モノは不機嫌そうに答える。

「うるせぇ」

クロスケは前方をちらりと見た。

勇者の背中。

その肩が、ほんのわずかに上下している。

「……拙者も思っていたでござる」

「何を」

「勇者殿、最近おかしいでござる」

モノは何も言わない。

ただ前を見た。

その時。

後ろから、穏やかな声がした。

「無理もありません」

馬を並べてきたのはキリオスだった。

「勇者様は長い遠征が続いておられますから」

柔らかな笑顔だった。

「少し疲れが出ているだけですよ」

クロスケが軽く頭を下げる。

「そうでござるか」

キリオスは微笑んだまま頷く。

「ええ。心配はいりません」

モノは黙っていた。

だが。

なぜか胸の奥がざわついた。

理由はわからない。

ただ――

何かが噛み合っていない気がした。

前方では、オゼロが咳をしていた。

誰にも聞こえないほど、小さく。


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