51. あなた様の側がいい
「お嬢、楽しんでおられますか?」
料理に舌鼓を打っていると、少し離れた席にいた伯父様の所の騎士団長が、エールを片手に私の側にやってきた。食事の手を止めて挨拶をする。
「ええ。楽しんでいるわ」
返事をすると、彼の目が優しく細められる。
「それにしても、大きくなりましたね。小さい頃に高い高いをしたのを覚えていますか?」
「……?」
覚えていなくて首を傾げる。彼は楽しそうに言葉を続けた。
「エステル様が里帰りでこちらへいらした時に、自分の娘にしていたのと同じように高い高いをしたのです。そうしたらとても気に入られまして。後から来られた父君に高い高いをご所望したら見事に腰を痛められまして……」
んん、と父が咳払いをする。そちらを見ると、父が渋い顔をしていた。
「あれは普通のではなく、上に投げていた。エリーもその時少し育っていたから難しかったのだ」
「そうですか? 一度目で腰を痛められて、お嬢を抱えたまま崩れるのは中々面白かったですよ? あれから腰はどうですか?」
「……卿が気にすることではない」
そっぽを向いてしまった父に、それから腰をやったのか……と思う。腰は一度やったら癖になるからなぁ。
外交官で国内にいることが少ないが、基本的にデスクワークが主なはずだ。気をつけるように言おうかと口を開こうとした矢先に、隣にいた伯母様に抱きしめられてしまった。
「エリーは本当にエステル様そっくりで可愛いわぁ……! 色味は違うけど笑っていたり穏やかな表情が本当によく似ている……」
ぎゅう、と頬を寄せられる。伯母様の化粧の香りと共に、酒精の香りがした。酔いが回っているのだろうか。
「母様に?」
「そうよ。あなたのお母様はね、とてもとても素敵な人だったのよ」
赤みが差した伯母様の目元が、うっとりと細められる。
「例えられるのなら地上に舞い降りた金星。豊かな金髪に輝くような翠玉の瞳。穏やかであって知性があり、明るく朗らかで運動神経も良く、次期侯爵に選ばれる実力もあって、当時の女生徒の憧れだったのよ」
「……………………」
話を聞きながら、頭の中でイメージする。まるで小説の登場人物のようだ。
「学生の頃にエステル様主催で女性だけの夜会が開かれたの。そこでエステル様ったら男性服の様式のドレスを用意して私をエスコートして下さって……! 美しくて格好良くてまるで天にも登る気持ちだったわ……! ……それなのに」
す、と伯母様の目が座る。あ、これはだいぶ酔っていると頭が警鐘を鳴らす。
「頑張って弟君を口説いて親族になってお近づきになれたのに。惚れたあなたがエステル様を落として攫っていってしまって……殿下と対峙をしたエリーはとても格好良かったけれど、まるであなたみたいだったわ。私のエリーに影響しないでくれない?」
「……何を言っているか分からないが、親子だからな。エステルと私の子供だ。似ていて当然だろう」
肉を切りながら淡々と言う父へ、伯母様の矛先が向かう。どうしようと二人を伺っていると、騎士団長から肩を叩かれた。
「お嬢、疲れていませんか? 酒飲みに囲まれて大変でしょう。人も多いし、少し外の空気を吸ってきたらどうですか?」
「え? でも」
「奥様が酔ったらエステル様の話をするのはいつものことです。学生時代からとても心酔されていたそうで。だから全部我らが侯爵閣下に任せればいいですよ」
伯父様を見たが料理長と会話していて気付いていない。「ほら、巻き込まれないうちに行くなら今! 卿、酔ってるだろうが付き添い頼むぞ」と、アルベルトと共に大広間から出されてしまった。
大広間の外の廊下には、私とアルベルトだけ。後は使用人が時々酒を持って運んでいる。思わず、どうしようかとアルベルトを見上げた。彼も飲んでいるらしく、頬が赤くなっている。
「……体調は、如何ですか?」
アルベルトに聞かれて、こくりと、首を縦に振る。
「少しふわっとしているけれど、眩暈とは違うわ。疲れたのかもしれない」
「お顔が少し赤くなっています」
「……人の多さと、会場の雰囲気に酔ったのかもしれないわね」
そう言って、自分の頬を触る。確かに熱いが、熱が出ている訳ではない。酒の匂いでは酔わない方だと思うが……持病で内臓も弱っているから断言は出来ない。
「夜風に当たって酔いを覚ましましょう。こちらです」
アルベルトに腕を差し出されて、素直にその腕に私の腕を絡ませる。側を通った使用人に休める場所を聞き、すぐ近くにある外のバルコニーで休ませてもらうことにした。
バルコニーに着いて、設置されている椅子に座ると、アルベルトが持って来ていたガウンを私に掛けてくれた。
「どうぞ」
「ありがとう」
ふぅ、と息を吐いて夜の庭を眺める。庭の木々の葉や花が、月明かりに照らされている。そういえば、最近体調を直すことばかりで夜に外を眺めていなかったな、と思う。
「私に付き添って良かったの? まだ他の人と話をしたり、食事を取りたかったのでなくて?」
私の言葉に、アルベルトは微笑んでからゆっくりと首を横に振る。
「いいえ。俺は酒には弱くて。それに一息つきたかったからちょうど良かったです」
「そうなの? 体調は大丈夫?」
「ええ。飲む量も程々にしていますので問題ありません」
「そう。なら良かったわ」
会話が続かない。私は椅子に、アルベルトは横に立っている。夜は、静かだ。大広間の喧騒が、遠くで聞こえている。
「楽しんでいますか?」
アルベルトの問いに微笑んでから、首を縦に振る。
「ええ、とても。食事も美味しくて、大勢の食事は滅多にないからとても楽しいわ。あなたはどう?」
「俺も。……しかし、あんなに練習に付き合ってもらった礼儀作法が殆ど活かせてない気がします」
「また次があるわよ。今の地位より上に行けば、きっと会食の機会は多くなるはずだわ」
……当たり障りないことを言ったはずだ。何気なく口にした言葉だったが、アルベルトの視線が一瞬だけ揺れた。
風が吹いて、短くなった髪が揺れる。
会話を変えよう。でないと折角の楽しい雰囲気がそうでなくなると、口角を上げた。
「そう言えば、休みはどうだった? ちゃんと休めた?」
「……ええ、はい」
「何をしたか、差し支えなければ聞いても?」
「鍛錬をして、人と話をしました。それだけです」
「それって……ちゃんと休めたの? 一日だけだったけど」
尋ねると、アルベルトが頷く。
「はい。しかし正直に言うと、馴染みのない場所ですから休むのには苦労しました」
「それは……そうよね。そこまで気が回らなかったわ」
「そこで提案なのですが、丘の屋敷に戻ってから、改めて休みをいただいてもよろしいでしょうか?」
アルベルトの言葉に、戸惑いながら首を縦に振る。
「ええ。いいわ。休みの日はどうしましょう? 畑の世話やヴィオラの世話は、私が行いましょうか?」
「いいえ。それは俺がやります。ただしお願いが」
「何?」
「……前に行けなかった湖に遠乗りに行きませんか? 一緒に」
目を見開く。月明かりに照らされたアルベルトは、頬を赤くしたまま、こちらを見て微笑んでいる。
「ヴィオラに乗って。昼食を持って湖畔でゆっくりしてから帰る、と言うのはいかがでしょう?」
「いいわ。私は構わないけれど……それは、あなたにとって休んでいるに入る? 屋敷に帰れば、離れたくても中々離れられない状況になるわ。……体調も、この先どうなるか分からないし……」
言葉を少し濁したが、アルベルトは微笑んだまま、私の前に移動して膝をついた。
「俺が休むのは、あなた様の側がいいなと思ったのです。どうかお付き合い願えますか?」
そう言われて、胸のうちが温かくなる。
——私も、あなたが居なくて寂しかったのよ。
そう言いかけた言葉は、胸の奥まで飲み込んだ。
浮ついた気持ちのまま言ってしまいたかった。けれど、この先を考えたら、言わないほうがきっといい。
「——私でよければ、喜んで」
伝えると、アルベルトは嬉しそうに笑ったのだった。




