50. 美味しい物は共有したい
何度目か分からない程、鏡を覗き込んで髪型を確認した。
正面から、横から、顔周り、毛先の向き。色んな角度で見てから顔を上げる。
「本当に変じゃない? 似合ってる?」
「もちろんです。王都の社交界だったら、新しい流行になったかもしれません」
「そんなに?」
「ええ、そんなにです」
そう言われて改めて鏡の中の自分を見る。
今まで下ろすと肩甲骨まであった髪を、ばっさりと肩に付かない長さに切った。前下がりにしているから、今までのようにハーフアップも出来るし髪飾りも付けられる。
貴族の女性は髪を伸ばすのが当たり前。短くするのは修道女や神殿に仕えるか、未亡人になった時だ。
私はそんなことよりも……丘の屋敷での生活で、自分の長い髪を自分で洗って、自分で乾かすのに疲れてうんざりしてしまった。眩暈が酷い時や熱に苦しめられている時は尚更だ。いい加減に切りたいと思っていたので、ちょうどいい機会だと、周囲の目と生活の楽さを天秤にかけて楽な方を取ったのだ。
現代では髪の長さにとやかく言われない時代だったから、短くしただけで、結婚する気がないとか色々言われるのは面倒なんだよな……。
結婚、の言葉から連想して、アルベルトの顔が浮かんだ。違う、と首を振る。一度。二度。三度。……全然消えても離れてもくれなくて、頬を両手で押さえた。
駄目よエリシア。変なことは考えては駄目。顔も見れなくなるでしょう? ——髪を切って悲しまれたらどうしようかしら。いやいや、そもそも、そんな事を考えるのが可笑しいのだって!
「エリー。迎えに来た。入ってもいいか?」
「はい。どうぞ」
扉の向こうから父の声がした。晩餐会に出るために迎えに来てくれたのだ。
扉が開いて、厳しい顔を緩ませていた父が、私を見て固まった。
今の私は、父が贈ってくれた服の中で繊細なレースが施された、一番上品な物を着ていた。久々のコルセットは身体を締め付け過ぎない程度に緩く締めてもらった。顔にも化粧を施してもらい、短くなった髪は上半分だけ纏めて、同じく父が贈ってくれた髪飾りを付けた。
「父様が贈ってくれた物で揃えましたが、似合っていますか?」
「あ、ああ……似合っては、いるが……どうして髪を?」
「……洗うのが大変で」
私の言葉に父が息を吐く。
「だったら切らずとも侍女を付けたらよかったのではないか? 折角の綺麗な髪なのに」
「いりません。侍女がいても髪を洗うのに時間がかかるのです。病み上がりに入浴するのは大変で」
「そういうことか」
再び息を吐いた父だったが、私を見て微笑む。
「とても似合っている。伝承の湖の精だって、エリーを見たら嫉妬するかもしれない」
「お父様ったら」
くすくすと笑うと、父も同じように笑ってから後ろを振り返る。
「グランツ卿、君も入って来なさい」
「失礼します」
父に呼び掛けられて、部屋の外で待機していたアルベルトが中に入ってくる。真新しいシャツに汚れのないズボンに身を包んだアルベルトが、私を見て父と同じように固まった。
先ほど、入浴から戻って来た時は侍女の計らいで髪をタオルで覆った状態だった。短くなった私を見るのは初めてだ。
「……どう?」
アルベルトは固まったまま。毛先を摘んでアルベルトを見上げて聞くと、はっ、と我に帰った。
「お綺麗です! ……ああ、そうじゃなくて、いや違くて、そうじゃないこともなくて、その……とても、似合っています!」
慌てる様子のアルベルトに、父は小さく笑う。
「驚く程美しいだろう?」
「はい……ああ、はい! とても。……寒くはないですか?」
アルベルトの言葉に目を瞬かせる。
「寒くはないわ。でも、纏めるのとは違って首周りの風通しがいいわね」
「ではガウンを持って行きましょう。広間は人もいて暖かいとは思いますが、念のためです」
「ありがとう」
「……気が利くな」
父の言葉にアルベルトは小さく頭を下げる。……昨日、アルベルトと二人で部屋で夕食を取りながらテーブルマナーを教えていたら、様子を見に来た父もアルベルトの指導に参加した。父が隣でアルベルトもすごく緊張した様子だったが、少なくとも、以前よりも父の目が柔らかくなっているような気がする。
「さぁ、エリー。行こう。皆を驚かせなくては」
「はい」
父のエスコートを受けて、客室を出る。廊下ですれ違った騎士や使用人が、驚いた顔で私を見る。でも、否定的な表情ではない。
広間に着くと既に騎士達が来ていて席に着いていた。私を見て驚く声と歓声が上がる。伯母様と歓談をしていた伯父様は、私を見て固まってしまった。伯母様は私を見て微笑んでいる。
「エリー、やはりとても似合うわ。素敵よ」
「ありがとう、伯母様」
椅子を引いてもらい、伯母様の隣に座る。父は向かいで伯父様の隣。父の隣は当家の騎士団長で、私の隣にアルベルトが座った。
「似合っているが……驚いた。そんなに短く切ったのか。知っていたのか、お前」
「ええ。入浴の時の磨き上げで一緒だったもの。だから、この中で一番先に知ったのは私ね」
ふふん、と伯母様は葡萄酒の入ったグラスを手に得意気に微笑んでいる。
「さぁあなた、声掛けを。皆早く飲みたくて待っているわ」
「よし」
グラスを手に伯父様が立ち上がる。父の手元には同じく葡萄酒、私のは果実水、騎士達にはエールが配られている。
「皆、待たせたな。今日は私の姪のエリーの回復祝いだ。それに私の義兄のルヴェリア公爵が久しぶりに我が領地に来てくれた。今夜ばかりは誰が領主か誰が騎士か使用人かなんて忘れて、たくさん食べて飲んでくれ。ただし、酒には飲まれるなよ? 明日ここにいる全員が二日酔いに苦しむだなんて目も当てられないからな」
伯父様の言葉に笑いが起こった。伯父様も笑いながらグラスを掲げる。
「では、乾杯!」
「乾杯!」
グラスを掲げて、近くにいる人とグラスを合わせる。伯母様、伯父様、父、騎士団長、そして隣のアルベルトとも。
果実水に口をつけると、料理が運ばれて来た。香草を擦り込んでよく焼かれた大きな豚肉の塊に、一緒に焼かれて肉汁を吸った芋、人参、玉ねぎ達。艶やかに焼かれた一羽丸ごとの鶏が何羽も大皿に並べられ、太い腸詰の横には酸味のあるキャベツの漬物が山のように盛られている。他にも茸の汁物や川魚の香草焼き、切り分けられた何種類ものチーズに、何種類ものパン。
王都の晩餐会でも中々見ない大皿料理での提供だ。大きな塊の肉はホストである伯父様が切り分けて周りに渡している。後は好きなように自分で取るスタイルだ。
「エリシア様、これは……」
横からこっそりとアルベルトが私に訊ねる。
「食べる順番に決まりは?」
「ないわ。好きに取って。届かなければ近くの人に声を掛けていいわ」
「本当に? 俺……私が、侯爵様にでも?」
「グランツ卿、皿を貸してくれ。豚肉は好きか?」
「好き、です」
「騎士だからな。よく食べるだろう。多めに盛ってやろう」
「いえ、あの……程々に」
「遠慮はするな。今日は食べたいだけ食べなさい」
分厚く何枚も切られた豚肉が皿に盛られ、アルベルトの手元に戻ってくる。戸惑いながらも、アルベルトは受け取った。
「ありがとうございます……食べ方は?」
「昨日教えたのと同じく、ナイフとフォークを使って」
「エリーは? 肉はいるか?」
「脂身が難しいから少しで。その分焼いた野菜を多めに下さい。とても美味しそうだわ」
「そういうと思ってな。エリーには特別に用意した」
使用人が小皿に載せた料理を私の前に運んできた。
そこにあったのは、赤身の牛肉を丁寧にじっくりと火入れし、薄く切り分けられた物が並べられていた。滑らかに潰された芋にもソースが掛けられている。他にも柔らかく煮込んだ野菜のスープも添えられていた。
「これは……」
「好きと聞いていたからな。特別だぞ」
そう言って伯父様が笑う。フォークとナイフを手に取り、薄切りの肉にソースをまとわせて、潰された芋と一緒に口に運ぶ。
口の中いっぱいに、幸せが広がる。目を細めて、思わず身体を傾けた。
「美味しい……!」
「だろう? お代わりもあるからたくさん食べなさい」
「本当!? ああでも、他の料理もあるから楽しんでから考えるわ」
そう言って取り分けてもらった焼き野菜も手を付けて口に運ぶ。
飛んだ。頭の中で美味しいのメーターが一気に振り切れる。思わずアルベルトの肩を叩いてしまった。
「アルベルト、これとても美味しい! 小芋も美味しいし、人参も玉葱も柔らかくて甘くて美味しいわ!」
「そ、そうですか」
「食べたくなったら言ってね。取り分けてあげるから!」
「ではエリー、私に取り分けてくれるか?」
「もちろんよ。父様、こちらも食べて? とても美味しかったわ!」
ローストビーフを勧めると、父が私と肉を見比べた。
「しかし、これはエリーへの特別だろう?」
「美味しい物は共有したいの。焼き野菜も美味しかったのだけど、こちらも方向性が違うわ。是非食べて? 伯母様は?」
「私はいいわ。よく食べているから今日はエリーだけの特別よ?」
「私もこちらの方が好きだから今日は遠慮しておこう」
「では、遠慮なく」
皿をアルベルトの前に回す。アルベルトの両手のフォークとナイフが迷う。
「いいのですか?」
「屋敷でも食べたいわ。作り方は料理長に聞くから、あなたもどんな味が覚えて帰って?」
私の言葉に伯父様が吹き出した。それは、断れないなと笑っている。
辿々しく、アルベルトがフォークとナイフで肉を取り分ける。そうしてそうっと口に運ぶと、うんうん、と目元が綻んだ。
「美味しいですね」
「でしょう?」
「赤いですが、生ではないのですね。これは作るのは難しいのでは?」
「……頑張って?」
そう言うと、目の前にいる父が咽せて騎士団長が苦笑し、伯父様や伯母様が笑ったのだった。




