47. ただそれだけです
「先程は私の騎士が失礼をした。申し訳ない」
修練場から離れて早々に公爵から頭を下げられて、アルベルトは驚いて目を瞬かせた。
「いえ、俺……私は特に気にしていないのでお気になさらず」
「それでも、随分と無礼な態度だったはずだ。統率が行き届いていなかった私の責任でもある。申し訳なかった」
「いえ、あの、本当に……」
確かに、公爵家の騎士が来てから、ちくちくと刺さる視線を感じていた。しかしそれは、相手の立場を考えれば当然だと受け止めていたのだ。
「平民出身の俺が突然現れて、大切にしていたお嬢様の横を陣取っていたら、不快に感じると思います。気持ちは分かりますので、特に気にしていません」
「……そうか」
頭を起こして、公爵はひとつ息を吐く。
「ありがとう。他の騎士達にも君に無礼を働かないよう申し伝えておこう。もっとも、そんなことは言われなくても分かるはずだが」
ちらり、と公爵が見た先には、控えているルヴェリア公爵家の騎士団長がいた。静かに頭を下げ、「周知徹底を行います」と告げる。
「さて、君を呼んだのは別件だ。……エリーに内緒で聞きたいことがある」
「……はい」
「辺境の暮らしで不便に感じていることや、困っていることはないか」
公爵からの問いに、アルベルトは僅かに驚いて少しだけ目を見開く。
「……あの子は、我慢強い。多少不便や辛い思いをしていても、すぐに平気な振りをして隠す。だから、君から見た正直な話が聞きたい。……私が聞いても、あの子は大丈夫だとしか言わないだろうからな」
……何かがおかしいと、アルベルトは怪訝に思う。しかし今は掘り起こさず、質問に答えることとした。
「今の所問題はありません」
「……………………」
「その、一級品の家財道具が揃えられていて、とても快適です。どうしても、二人でやらないといけないことがあって、令嬢がするようなものではありませんが、お嬢様は体調がいい時は率先して手伝われています」
「それは、どんな」
「……洗濯とか、風呂掃除、とか、掃除……調理……とか……」
公爵令嬢にさせるには、いささかどうかと思う内容ばかりだ。自然と尻すぼみになっていく言葉に、公爵は息を吐く。
「使用人の仕事ではないか。本当に必要ないのか」
「はい。俺が出来るので必要ありません。お嬢様も、無理はせず、体調がいい時に手伝っております」
「……エリーが?」
「はい」
「……エリーに手伝わせるほど、人手が足りていないのか?」
「いいえ、閣下。お嬢様がやりたいと言って手伝ってくれます。それにとても楽しそうです」
「楽しそう?」
「鼻歌を歌われております」
料理の時も、洗濯物を干す時もそうだ。大変に機嫌がいい。ただ、掃除はどうやら苦手なようで、どこからやったらいいか分からなくて固まっていた。……それは、別に教えなくてもいいだろう。
「鼻歌……」
呆然と、公爵が繰り返す。公爵の背後に控えていた騎士団長が、怪訝な顔でアルベルトを見た。
「しかし卿よ。卿は騎士であり護衛が任務のはずだ。使用人の仕事は大変ではないのか」
「いいえ。昔からやっていたので苦ではありません」
「……病人の、看病は」
「それも同じです。慣れています」
アルベルトの返事に公爵も公爵の騎士も押し黙る。……何か変なことを言っただろうか。それにしても、だ。
「俺に聞かずに、エリシア様に直接聞くのがいいかと思います」
思ったことをそのまま言うと、公爵は目を逸らす。
「……しかし」
「確かに王都に居た頃は無理をされていましたが、今は以前より御自身の気持ちを話してくださいます。それに、俺が話した内容と、閣下がお尋ねになった際のお嬢様の話に違いはありませんでした。少なくとも、何かを隠して平気な振りをされているようには見えません」
「……それはきっと、君だからだ」
公爵の言葉にアルベルトは怪訝な顔で首を傾げる。
「そんなはずは……」
「……これは私とエリーの問題で、本来なら、君に話すべきことではないのだが」
公爵はそこで一度口を閉ざすと、騎士に目を向けた。
「少し外してくれ」
「……承知いたしました」
騎士団長が一礼して離れていく。姿が見えなくなってから、公爵は顔に手を当てて深く息を吐いた。
「私は、エリーに信頼されていない」
「……はい?」
「……いや。きっと嫌われているだろう。……あの子を一人にして、死なせかけた日から、ずっとだ」
公爵の言葉が、飲み込めない。何とか飲み込もうと理解して、それでようやく、乾いた口から「は?」と呟きが漏れた。
「エリーの母親のことは聞いているか」
「故人だと、伺っています」
「……随分と前に、流行り病が大きく広まって、多くの死者が出た年があっただろう。エリーの母はその時に亡くなった」
アルベルトは視線を逸らし、地面を見つめた。……忘れもしない。アルベルトの両親が二人とも罹患し、アルベルトと幼い弟を残して亡くなった年だ。
「妻は身体が弱く屋敷で休んでいて、私は王城に出ていた。外から病を持ち込まないために屋敷へ帰ることを控えていた。……そうしたら、使用人から病が妻に移って、そのまま亡くなってしまった。状況が状況だから死に目にも会えず、葬儀も行うことが出来なかった」
「……心中、お察しします」
アルベルトは拳を握り締める。
「分かるのか」
「俺の両親も、病がまだ残っているからと役人が回収して行きました。葬儀は行えず、後から共同墓地に埋葬されたと言われました」
「……そうか」
公爵は息を吐き出した。
「妻が亡くなった後も帰れずにいた。流行り病で隣国との関係が危うくなって、その処理に追われた……いや、これは言い訳だな。帰りたくなかったのだ。帰ったら、妻がいなくなった現実を突きつけられるから。それなら、仕事に没頭している方が楽だった」
「……………………」
「エリーが一人、屋敷に取り残された」
アルベルトが、顔を上げる。公爵はエリシアと同じ色の瞳を潤ませながら、俯いている。
「正確には最初は一人ではなかった。使用人や侍女がいた。だが、妻のことを憎んでいた侍女がいた。妻が亡くなった後、混乱の中でその女は侍女長代理となり屋敷で権力を持つようになった。妻付きの侍女が病を持ち込んだということにして、責任を取らせるという名目で、妻が侯爵家から連れてきた侍女達を次々と解雇したんだ」
「それは……」
「中には、エリーの乳母もばあやもいた。……エリーを守る大人が、いなくなった。一人になって、母を探して屋敷を歩き回るエリーに、妻が亡くなったのはエリーのせいだと、責任を押し付けた」
「!」
「更にはエリーを鬱陶しく思って、空き部屋に鍵をかけて閉じ込めた。……食事も水も与えずに」
「なっ……!」
アルベルトは思わず拳を握り締める。対して公爵は、淡々と話を続ける。
「君も聞いたことがあるかもしれない。『ルヴェリア公爵令嬢幽閉事件』として新聞にも取り沙汰された話だ。昔から女は私に異常な執着があったらしい。妻がいなくなれば自分がその場所に収まれると考えていたようだ。エリーのことも、妻の忘れ形見ではなく、自分の邪魔をする存在としか見ていなかった。全く馬鹿馬鹿しい話だ」
「エリシア、様は……ご無事で」
口の中が、やけに乾く。
「閉じ込められた状態から何とか部屋を抜け出して、厨房まで辿り着き、料理人に事情を話した。そこからは料理人やリネン洗いの侍女が動いた。エリーは彼らを通じて執事長と連絡を取り、彼らに指示を出しながら、自分がされたことや女の言動を一つずつ整理していた。……私が執事長から連絡を受けて屋敷に戻った時には、使用人達が侍女長代理を拘束していて、横には証拠まで丁寧に揃えられていた」
公爵は、息を吐き出す。
「私が帰った時、あの子は泣きもせず『父様、お帰りなさい。お待ちしていました』と言った。四歳の子どもが、だ」
「……!」
「あの日から、エリーは変わってしまった。……目つきが鋭くなり、前のように甘えず、私と距離を置くようになった。エリーとの仲を修復しようと、色んな物を贈った。病気になってからは、公務で各地へ赴く度に医師や治療法を探した。国外にも伝手を作り、珍しい薬があると聞けば取り寄せた。……そうしていれば、父親として何かをしているつもりになれた。だが、ずっと距離が開いたままだ。エリーが殿下に頬を叩かれた時も、本人からではなく、帰ってきたエリーを出迎えた侍女からの報告だった」
あの日、図書室で頬を腫らしたまま、ぼんやりと夕陽を見ていた彼女を思い出す。聞いた時には、転んでこうなった、腫れが落ち着いてから帰ると言っていた。どう見たって転んで出来たものではなかった。しかしあの日は馬車まで送ったが、付き添いの侍女も騎士もいなかったはずだ。
「守れなかったのは、私がエリーを冷遇してると勘違いし、警護が疎かになっていたのだ。全く嘆かわしい。侍女も騎士もすぐに解雇した。私は怒って陛下に抗議した。エリーにも事情を聞いて、今後気を付けるように話をした。……しかし、叩かれたのは氷山の一角の出来事で、水面下でエリーはもっと我慢をして耐えていたはずだ。私は何も、相談もされなかった」
そう言って、公爵は顔を上げる。
「君は短期間でエリーの信頼を勝ち得た。公爵家の騎士でも出来なかったことだ。君は一体、エリーに何をしたんだ」
「……何もしておりません。閣下。恐らく、何も」
自分の行動をアルベルトは振り返る。彼女に対して何か特別なことをした記憶がない。強いてしたことと言えば……。
「俺がしたのは、側に寄り添って、話をして、何がしたいか聞いた。ただそれだけです」
「……それだけ」
「はい」
「そうか……」
アルベルトの言葉に公爵は空を見上げる。そして深く息を吸って、
「……そうか」
と下を向いて吐き出したのだった。




