45. いつか、四人で
父と話をしていると、扉がノックされた。どうぞ、と伝えると扉が開いて伯母様が顔を出す。
「いらっしゃいませ、公爵閣下。こんな所までご苦労様です」
「……エリーが世話になっている」
「いーえー、私の可愛い姪ですもの。これくらいどうってことありません」
ほほほ、と口元に手を当てて微笑んだ伯母様が、私に笑顔を向ける。
「ようやく殿下が帰ったわ。エリー、一緒に馬に乗りましょう?」
「馬? でも伯母様、私まだ一人で乗ったことがなくて、医師からも激しい運動は……」
「もちろんよ。今日は馬上散歩よ。横乗り用の鞍を用意するから、服装も軽装でいいわ。私が先導するから、敷地内を一緒に散歩しましょう? 今日は様子を見て、練習はこの次、でどうかしら?」
「それなら」
「グランツ卿、ヴィオラを引いて歩けるわね?」
伯母様の問いにアルベルトが姿勢を正して「はい、可能です」と答える。
「エリー、体調は?」
「問題ないわ」
「では昼食後に行きましょうか。服もそのままでいいわ。楽しみにしていてね」
「……ようやくエリーに会えたのに、時間を取らせてくれないのか」
渋い顔をする父に、伯母様はあら、と答える。
「主人やあなたが到着するまで、私はずっっっと殿下の相手をしていました。エリーとの時間を楽しみに今日まで頑張ってこられたのです。公爵様も移動でお疲れでしょうから、本日は休んだ方がよろしいのでは?」
「それはそちらも同じだろう」
「いいえ。私にとって今からが癒やしの時間です。何でしたら、あなたも一緒に来たっていいのよ?」
「……………………」
伯母様の言葉に父の眉間に皺が寄る。父は昔から動物が苦手で馬に乗れなかったはずだ。
「まだ数日うちに滞在するのでしょう? 少しエリーを借りたっていいではありませんか」
「……エリー」
「はい、父様」
「無理をしていないか」
こくりと頷くと、父の手が頭に乗った。
「行っておいで。怪我はしないように」
父の言葉に表情が明るくなる。はい、としっかりと頷いた。
* * *
体力が残るように、アルベルトが抱えて外に連れ出してくれた。待ち合わせの場所に着くと、既に鞍が装着されたヴィオラと、踏み台の側には犬が一匹、腹這いになってこちらを見ている。
「ヴィオラ、今日はよろしくね。あなたも、こんにちわ。いい天気ね」
そう犬に話し掛けると尻尾を振ってくれた。
「番犬でしょうか?」
「きっとそうね。あ、伯母様が来たわ」
厩舎の方から、乗馬服に着替えた伯母様が馬を引いてこちらに来た。
連れてきたのは、黒く艶やかな毛並みに、鼻と脚に白が入る美しい馬体の子だ。脚が動く度に引き締まった筋肉が動くのが分かって、あまりの素晴らしさに思わず息を吐いてしまう。
「お待たせ。では行きましょうか。グランツ卿、エリーを乗せられる?」
「かしこまりました」
アルベルトは私を抱えたまま、踏み台に乗って私を鞍の上に降ろす。
「鞍を掴んで、片足を鐙に掛けて? そうそう。一緒に手綱を持ってくれたらいいわ。くれぐれも動かさないでね」
「はい」
「では私が先導するから、着いてきてね」
伯母様が踏み台も無しに馬に跨がる。犬もそれを見て立ち上がった。
「では、エリーを借りるわね」
「……………………」
心配で着いてきた父は、犬がいたので少し離れた所でこちらを見ていた。
目が合うと父が手を振ってくれたので、こちらも手を振り返す。
伯母様が前に移動したので、アルベルトもヴィオラの引き綱を持って歩き始めた。ヴィオラがそれに合わせて脚を踏み出す。
馬上からでも、一歩ごとに大地を踏み締める力強さが伝わってくる。
「侯爵夫人、この犬は?」
「うちの猟犬と番犬を兼ねている子よ。馬が好きで散歩の時は必ず着いてくるの。周りの見張りもしてくれるから安心して」
「かしこまりました。賢いですね」
伯母様の馬から少し離れた横の位置で、馬を見ながら犬が歩いている。尻尾も立っているからとても楽しそうだ。
厩舎から森の中の小道へと馬は進む。陽の光を柔らかくする木漏れ日に、森の中の清々しい空気に、木々の匂い。胸いっぱいに空気を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
「エリー、大丈夫?」
「大丈夫よ」
「具合が悪くなったらすぐに言うのよ?」
「ええ、分かったわ。……伯母様も昔から乗馬を?」
私の問いかけに、伯母様は身体を少し捻ってこちらを見る。
「そう。あなたのお母様に憧れて始めたの。学生の時だったから、もう数十年前になるわ」
「すごいわ。踏み台無しでどれくらいで乗れるようになったの?」
「覚えてはいないけれど、中々上手く行かなくて苦労したわ。どちらかと言うと、馬を引くのが難しかったかしら?」
「そうね。とても難しいわ」
丘の上の屋敷でヴィオラの散歩に付き合った時に、アルベルトから馬の引き方を教わった。
しかし、思うように動いてくれず、私もどうすればいいか分からなくなって、自分の歩き方すら分からなくなって固まってしまったのだ。
最初はそんなものだと、アルベルトは微笑んでくれたけれど。
「練習すれば出来るようになるわ。基本的には二人で動くのでしょう?」
「ええ」
「なら、グランツ卿に馬に乗せてもらいなさい。乗ってしまえばこちらのものよ。すぐに上達するわ」
「はい!」
アルベルトの方を見ると、私を見て微笑み、小さく首を縦に振る。私も同じように微笑んだ。
「あなたのお母様とも、こうして馬で散歩していたのよ?」
先頭を歩く伯母様が、私に話しかける。
「私の嫁入りとエステル様の輿入れがちょうど同じ時期だったから、頻度は少なかったけれど、それでも王都から侯爵家に里帰りすると、こうして一緒に馬に乗っていたわ」
「……そうなのね」
……エステルは、母の名前だ。亡くなった母の話に、思わず視線を落とす。
「エリー、覚えている? 幼いあなたを連れて侯爵家に来た時のこと」
馬の脚を緩めて、伯母様が私の横に並ぶ。
「あなた、馬に乗って大喜びしていたでしょう?」
「ええ、朧気だけれど」
「あなたのお母様がね、将来あなたも馬に乗るのではないかって話をしていたわ。そうしたら、こうやって三人で散歩が出来るわねって」
そう言って、伯母様は目を潤ませて微笑む。
「エステル様の娘であるあなたと、こうして一緒に馬に乗れる日が来るなんて、夢みたいね」
「……伯母様」
「それに、今では息子の嫁達も馬に乗れるの。これからは二人ではなくて、機会があれば四人で散歩してもいいわね」
「……ええ」
それまでに可能な限りは練習を……と言いかけて口を噤んだ。
……この身体がいつまで動いてくれるのか、まだ分からない。
「ねぇ、エリー。手綱を握ってみる?」
「え?」
「少し練習してみたら?」
「夫人」
「あら、今あなたが引き綱を握っているから、何かあっても対応出来るでしょう? 横乗りだから操作が難しいけれど、それもまた経験よ」
アルベルトが、立ち止まる。ヴィオラもそれに合わせて立ち止まった。
「今日は俺が引き綱を持っていますので、まずは手綱を持つ感覚を覚えましょう。止める時や危ない時は俺が補助します」
「どう、すればいいの?」
引き綱を緩めたアルベルトが、横に回って私の足を持って位置を教える。
「合図を出すのはこの辺りです。ここを足で軽く合図をしたら、ヴィオラは動き出します。止まる時は身体を起こして、手綱をゆっくり引いてください。ヴィオラが止まったらすぐに力を緩めます」
「……………………」
上手く行くのか、とアルベルトを見ると、大丈夫だ、と首を縦に振られる。
足でヴィオラに合図を送った。すると、ゆっくりとヴィオラが先程と同じ速度で歩き出す。
「そうそう。すごいわ。普通は苦戦するのよ?」
「……もう一回、となったら難しそう」
「そのうち覚えるわ。後ろから見ているから、やってみて」
伯母様の馬が下がって、ヴィオラと私、グランツ卿が前に出る。身体が緊張するが、ヴィオラの足取りは軽い。出来たね、と言うようにヴィオラがこちらを振り向いたので、ありがとう、と首筋を撫でたのだった。
大変遅くなりました!!




