41. その愛は、いりません
「エリー!」
アルベルトに抱えられて屋敷に着くと、血相を変えた伯母様が足早に駆け寄ってくれた。
私を廊下に降ろしたアルベルトは、一礼後そっと後ろへと下がる。
「聞いたわ。エリー。ごめんなさい、殿下に会わないよう配慮すると言ったのにこんなことになってしまって……」
「気にしないで、伯母様。騎士の方や使用人が止めて下さっていました。すぐに伯父様を呼びに行って下さってとても助かったので私が礼を言っていたと伝えてください」
「でもね、エリー。もう一度殿下との話し合いの場を設けるのは本当?」
こくりと頷くと伯母様が私の両肩を掴む。
「止めなさい。エリー。もう話を聞かなくていいの」
「でも……」
「ああいう手合いは自分に従わせようとあなたの良心に漬け込んで説き伏せるのよ。あなたは十分苦しんで辛い思いをした。もう終わったことだし何も聞かなくていいの」
「……でもね、伯母様」
肩に置かれた伯母様の手に、自分の手をそっと添える。
「もう伯母様たちに迷惑を掛けたくないの。ここで殿下を止められるのは私だから、私がやらなくては」
「エリー、迷惑を掛けているのは殿下よ。あなたではないわ」
「分かっているわ。でも、殿下が追ってくる以上、ここで終わらせないとずっと続くもの。覚悟を決めないと」
「エリー……」
「大丈夫よ、伯母様。私も伯母様とゆっくりお茶を楽しみたいもの。そっちの方がずっと良いわ」
朗らかに言えば、伯母様の目が潤み、瞳が伏せられる。
「嫌よ……あなたに負荷が掛かってまた燃えかけたらどうするの……」
「伯母様……」
「あなたまで遠くに行ってしまうのは嫌よ、エリー。殿下の元に戻ってまた苦しい思いをさせるのも嫌。私達がエリーを大事に思っていること、どうか忘れないで。何があっても、エリーの味方ですからね」
伯母様の言葉に目が潤んでしまった。こくりと頷くと、伯母様が後ろにいるアルベルトを見る。
「……エリシア様から」
アルベルトの声が固くなる。
「もし殿下に無理矢理連れて行かれそうになったら、叩いてでも助けろと言われております」
伯母様が驚いたようで目を瞬かせている。……それは冗談混じりで言った台詞だ、と思って振り返ると、彼はとても真摯な表情をしている。
「何があろうと連れて行かせません。約束します」
真面目な様子に伯母様が噴き出した。怪訝な顔をするアルベルトに、伯母様は私の肩を摩り、下を向いて息を吐いてから顔を上げる。
「エリーの側にいるのがあなたで良かったわ。良い子ね」
「ありがとう……ございます」
「近衛騎士が嫌になったらうちにいらっしゃい。荒くれ者が多いけどいつでも歓迎するわ」
「伯母様」
伯母様が肩に手を添えたまま、額に貼り付いた髪を指で梳く。
「汗を掻いて顔色もまだ悪いわ。身綺麗にしてからお水を飲んでまずは休んでちょうだい」
「はい、伯母様」
「いい? エリー。これが最後よ? こっぴどく振ってあげなさい」
伯母様の言葉に目を見開いて、しっかりと首を縦に頷いた。
戻って来た客室で侍女に着替えを手伝ってもらって少し休憩を取っていると、使用人達が椅子を客室に運んできた。
話を聞けば、お祖母様が亡くなる前に使っていた安楽椅子だそうだ。クッションも敷いて貰って座ると、深く腰掛けられてだいぶ身体の辛さが緩和された。
アルベルトから膝掛けも掛けて貰って寛いだ体勢になる。殿下に会うから背筋を伸ばそうとすると、伯母様から止められた。
「楽にして、エリー。また倒れたら嫌だわ」
「でも」
「隣に医師を待機させているわ。いい? もし少しでも不調を感じたら面会は中止よ? 準備は良い?」
こくりと頷くと、伯母様が使用人に合図をした。
伯父様に誘われ、殿下が客室へと入ってくる。連れているのは近衛騎士一人だけで、見知った顔に思わず目を丸くした。……前回の面会の際にもしかして、とは思っていたが、カイル卿だ。相手も私が気付いたことを知ったようでぱっと表情が明るくなる。
「侯爵夫人、ルヴェリア公爵令嬢、話し合いの場を設けていただき感謝する」
殿下が私達の前に立ち、一礼する。
伯母様の後ろには、侯爵家の騎士が一名。伯父様がよく連れている筆頭の方だ。客室の入り口には侯爵家の騎士が、外では伯父様が待機している。
そして、前回と同様に私の後ろにはアルベルトが配置され、鋭い視線を殿下に向けている。
伯母様も殿下に倣い、まずは立ったまま一礼した。
「先日と同じように私が立ち会わせていただきます。しかし、ご覧のように姪は病状が悪化しています。場合によってはすぐ中断しますのでどうかご理解を」
「分かっている、侯爵夫人。……エリー」
眉尻を下げた殿下が、こちらに一歩近付く。が、背後のアルベルトの気配が更に鋭くなり、殿下はそれ以上近付けず、足を再び戻すこととなった。
「……まずは、謝らせてほしい。大変申し訳なかった」
「何が、ですか」
安楽椅子に背凭れたまま鋭く言うと、殿下が視線を彷徨わせる。
「婚約破棄をしたこと……エリーを傷付けたことだ」
「……その言い方ですと、誰かに謝れと言われたのでは?」
びくりと殿下の肩が跳ねる。あちゃー、と後ろのカイル様が表情で物語っているから、やはりそうなのだろう。
「形式的な謝罪は結構です。その程度のお話でしたらお引き取りください」
「待ってくれ。そうじゃないんだ、エリー!」
なら一体何なんだと、首を傾げる。視線を下に向けたまま、殿下が拳を握った。
「エリー、どうして私の愛を受け取ってくれないんだ」
その話かと、傾けていた首を元に戻す。
「いりません。あなたの愛は、いりません」
「……死ぬかもしれないんだぞ」
「今更です。例え覆されたとしても、あなたの愛はいりません」
「どうして生きようとしてくれないんだ!」
殿下の叫びが、客室に響き渡る。伯母様が、眉根を寄せる。殿下の身体が、震えている。
「どうして、私の隣で、生きようとしてくれないんだ……ずっと隣にいてくれると、約束したじゃないか……」
声を震わせる殿下に、息を吐く。
「ええ。そうしようとしていました。……あの瞬間まで。この命が尽きる限り、あなたの側に居て支えようとしていました」
殿下が、顔を上げる。気付いたような表情に、気付かなかったのかと瞼が下がる。
「殿下、あの瞬間に終わったのです。大勢の前で、余命を暴露され、殿下が私ではなく聖女様の言葉を信じ、婚約破棄をされた瞬間に、全てが終わりました」
息と言葉が続かず、息を吸い直す。
「私がどれだけ側にいても、尽くしても、殿下には届かないことを悟りました。ご理解いただけましたか?」
「……勢いで、婚約破棄をしたことは謝ろう。私も深く傷付いてどうすればいいのか分からなかったのだ」
「傷付いたからと言って、私を大勢の前で断罪してよい理由にはなりません。でしたら、あの場で告発を止め、内密に私に確認すれば良かったでは?」
「エリーは……絶対に隠すじゃないか」
視線を逸らす殿下に、それはそう、と心の中で頷き掛ける。
「聖女との事だって……嫉妬するように仕向けたのは私だが、何も傷付けるまでやらなくても良かったではないか。……私が好きなのは、エリーだけなのに」
「殿下」
椅子に座ったまま、側に来るように手招きする。殿下の顔が少し明るくなった。
「もう少し、こちらへ」
言われるがまま、示されるがまま殿下が身を屈める。
そして、手の届くところまで近付いた頭に——
手刀を落とした。
「!」
全力のつもりだったが、ぽす、と音を立てただけだった。それでも、初めて、殿下の頭を叩いた。
「今、何と仰いました?」
「……エリー?」
「嫉妬するように、仕向けた? 私があんなに、何度も止めるように申し上げたことが?」
「……エリシア様」
後ろからアルベルトが私に声を掛ける。
「怒られると身体に障ります」
「我慢していないから大丈夫よ」
「……しかし」
「まだ感情の手綱を握れているから、問題ないわ」
息を整える。手刀を止め、腕を組んで殿下を見下ろした。
「それほど私のことを信用してなかったのですね。残念です」
「……エリー。信用していなかったのではなく、これは」
「それに常識的に考えてください。——私は王太子妃になる身でした」
俯いた状態のまま、殿下が頷く。
「相手は国教の象徴となる聖女様です。侮辱したり、傷付けたら大罪となります。下手すると家の取り潰しや、処刑だって考えられます。——そんなことを、私が行いますか?」
「……嫉妬して」
「私は、今まで誰かを傷付けたり、侮辱したことがありますか?」
「……ない」
「それが答えです。聖女様を信じたことを責めているのではありません。どうして私に確認してくださらなかったのか、と申し上げているのです」
殿下は、顔を上げない。ただ、膝の上で拳を握っている。
「……相手は、正義と天秤の女神の代弁者である聖女だ。嘘を吐くことはない」
「………………」
殿下の言葉に視線を外して考える。
確かに、相手は正義と天秤の女神に仕える者だ。私が断罪されたあの場でも神に誓っていた。嘘を吐いたら、聖女の資格を失うと聞いている。
だから、聖女の発言を本当だと殿下は信じたのだろう。しかし私はやっていない。
——私が告発いたしますのは、私に対して行われた度重なる加害。そして王家に対する重大な欺瞞です——
あの日の聖女の言葉を、頭の中で繰り返す。
——もしかして。
「エリーが、嘘を言っているのではないか?」
「何度も申し上げます。聖女様には一切手を出しておりません」
「……………………」
疑問に気付いただろうか。……今はいい。それは殿下自身に調べてもらおう。私はもう何も手助けしない。
……しかし、まぁ。
「今もそうお考えになるのですね」
「!」
「非常に残念です」
「違うんだ、エリー。これは」
「弁明はいりません。とてもよく分かりました」
鋭い視線を、彼に送る。
「だから、私達はもう元に戻れないのです。あなた様は、私を信じていなかった。私は、あなた様を信じることが出来ない。一緒にいることなんて出来ません」
「……エリー」
「私達は終わりました。……もう、エリーと呼ばないでください。これからは、エリシアと」
「……………………」
殿下が、その場に崩れ落ちる。
「……愛しているんだ、エリシア」
震えた声で、殿下の口から言葉が零れる。
「好きだったんだ。エリシアのことが」
告げられる言葉に、息を吐く。
「……今なら、そうだったのだろうと思っています」
私の言葉に、殿下が顔を上げた。
「しかし、届かなければ意味がないのです。今になって解釈することは出来ても、実感することは出来ませんでした」
「では、私はどうすれば良かったのだ。……君の信用を得るには、隣にいてもらうためにはどうすれば良かったんだ」
殿下の瞳には、涙が浮かんでいる。それを私は、静かに見つめる。
——私が、してほしかったこと。
——それは。
「私がどうしたいのか、何が嫌なのか。ただ、聞いて、側に寄り添ってくださること。それだけでした」
「……………………」
「もうあなた様からは、必要ありません」
殿下が、再び俯く。零れた涙が、手の甲に落ちる。
「愛がなければ、死んでしまうのにか?」
「——あなた様からの愛は、もういりません」
背凭れから背中を離して、胸を張った。
最後くらい、自分の言葉で伝えなくては。
「私は多くの愛をいただいております」
殿下が、顔を上げて目を見開く。私は、緩やかに口元を微笑ませる。
「だから、ここから先は私の時間です。あなた様無しで、私の時間を生きていきます」




