40. 決別の前に
アルベルトと共に厩舎を出ると、殿下が屋敷に近い離れた場所で侯爵家の騎士に止められているのが見えた。騎士に言い募っていたが、私の姿を見るなりその制止を振り払おうとしている。暴走しているな、と小さく息を吐いた。
「あんなのが上にいると大変ね」
ぽつりと呟いた言葉は小さいはずだがアルベルトにしっかりと届いたようで、隣から息を吐いたのが聞こえた。
「陛下がよく頭を抱えていました。その……あなた様の事になると、制止が効かないと」
「……そう考えると、あの人なりの愛情だったのでしょうね」
侯爵家の騎士を振り払う事は出来ず、殿下は止められていた。侯爵家の騎士は元々傭兵出身者が多い。貴族出身者が多い近衛騎士と比べると、体格も荒事への経験もまた違っている。……しかし、相手は王族だ。無礼だと言われたら伯父様達の立場が悪くなる。
「……………………」
視線を感じて見上げれば、アルベルトが心配そうな顔をしてこちらを見ていた。問題ないと小さく微笑んで肩を竦めて見せた。
「届かなければ意味がないわ。終わらせに行きましょう、アルベルト」
「畏まりました。……歩くのがお辛いようですので、少し失礼します」
腕に回していた手が解かれ、背中に添えられた。……背中に触れる手が、服の上からでも温もりを感じる。それが、竦みそうになる私の足を前に進ませてくれる。
「……ありがとう」
小さく呟いたそれは、アルベルトにも届いたようだ。近付いてくる私達に殿下が「エリー!」と叫ぶ。整った顔を歪めて私を見ている。あんな顔をする人だっただろうか。そう思ったけれど、すぐに考えるのをやめた。
侯爵家の騎士の一人がこちらを見て血相を変えて走ってくる。
「エリシア様! こちらに来てはなりません! 抑えますのでどうかお戻りを!」
「……たとえここで離れても、あの人は諦めないでしょう?」
背筋を、伸ばす。騎士と目が合うと相手も背筋が伸びた。
「殿下の相手は私が務めましょう。伯父様や伯母様への報告は?」
「既に向かわせています。もうじき来られます」
「……殿下!」
お腹に力を入れて、厳しく強い声を出す。びくりと殿下の肩が跳ねた。……すごく疲れるけど、やるしかない。
「ここは王都ではなく侯爵領です。勝手な行動はお止め下さい」
「エリー……」
「……顔を見たくもないと言ったのを、もうお忘れですか? お耳に届いていないようでしたら、もう一度言いましょうか」
鋭い視線を殿下に向ける。私の表情に殿下は目を見開き、ごくりと唾を飲み込んだ。
「エリー、倒れたと聞いた。大丈夫なのか?」
「大丈夫ではありません。私の余命は残り数ヶ月です」
「……エリー」
「今ここで、体調が悪化して燃やされたくないのであればお引き取りを。王都までお帰り下さい。私が望むのはそれだけです」
強い言葉に殿下は視線を下げる。バタバタと、走ってくる音が耳に届いた。隙を見せたくなくて視線を向けられずにいると、横でアルベルトが「侯爵様の到着です」と教えてくれた。
「エリー!」
「伯父様、帰って間もないのにお手数をおかけします」
「気にするな。体調は?」
「……………………」
「殿下!」
答えられず、視線を殿下に向けたまま応対すると、今度は伯父様の怒声が殿下に向かう。
「先程申し上げたではないか! もう私の姪とは終わった関係だ! これ以上エリシアを諦めないのであれば我々は……」
「……北部侯爵殿!」
声を張り上げた殿下が、深々と頭を下げた。
「どんな責任も誹りも受けよう。だから、もう一度だけエリーと——ルヴェリア公爵令嬢と話をさせてもらいたい!」
「殿下、だからエリーは」
「私は、嫌われたって構わない!」
殿下は、頭を上げない。
「でもエリーに! ……いなくなって欲しくないのだ。だから、どうか、どうかもう一度だけ話をさせて欲しい。……頼む」
握られた拳が、震えていた。——これが数ヶ月前なら、断罪される前だったら、少しは心が動いたかもしれない。
でも今の私は、厳しい表情を崩さず淡々とそれを見つめている。
「……エリー、どうしたい?」
伯父様も殿下に視線を向けたまま、私に尋ねる。
「ちなみに私は反対だ。もうじきルヴェリア公爵と近衛騎士団団長が王都から来るから引き渡してしまえばいい」
「……それで終われば、それが一番いいのですが」
肺の中の空気を入れ換え、少しアルベルトに寄り掛かる。……身体を支えている足が辛い。それに気付いてくれたようで、背中を支える手に力が入った。
「諦めが悪い人ですから、私が生きている限り、何度でも同じ事を繰り返すでしょう」
「王都に戻ったら再度の謹慎と監視が強くなるそうだ」
「……それでは何も変わりません」
「今回の代償として王都への小麦や芋の輸出を制限するつもりだ」
「……王都の民まで巻き込むのは、流石に不本意だわ」
「しかし、それ位痛い思いをしなければ学ばないだろう」
「私との間を阻む試練として受け取られたらとても嫌です」
だから、再度背筋を伸ばす。
「これで終わりにします。私の気持ちは何も変わりません。それでもいいなら、応じましょう」
殿下の顔が上がり、瞳に光が入る。すぐに視線を伯父様に向けた。
「伯父様、まだ体調が良くありません。滞在している客室で応対してもいいですか?」
「ああ、手配しよう。……燃えかけたと聞いたぞ。体調が悪いのなら後日にしても……」
「これ以上伯父様達に迷惑を掛けたくはありません。今日終わらせます」
「……では殿下、エリーの用意が出来るまでお待ちください。準備が出来たらご案内しましょう」
客室に戻るために、足を一歩踏み出す。……このまま歩いて部屋に戻ったら、とても疲れそうだ。応対する気力が残っているか頭で考えていると、身体が宙に浮いた。
アルベルトに両腕で抱き抱えられている。
「……グランツ卿?」
「体力を温存しましょう。客室までお連れします。どうかその間お休み下さい」
見上げれば深い灰色の瞳が真っ直ぐに前を向いて歩を進めている。頼もしいその姿に背筋を緩め、アルベルトの胸元に寄り掛かる。触れた所から伝わる温もりと心音に、不思議と身体の強張りが解けたのだった。




