39. 少し頼るわね
「グランツ卿、ヴィオラに会いに行きたいの」
伯母様との話を終えて、客室に戻ってきたアルベルトにそう告げた。
部屋には伯母様も、手配してくださった侍女もいる。少しだけ目を丸くしたアルベルトだったが、すぐに目元を柔らかくした。
「畏まりました。抱き上げて連れて行きましょうか?」
「いいえ。歩いて行きたいの」
私の言葉にアルベルトは怪訝な顔をする。
「医師からは歩くよう指示が出ていましたが、病み上がりには厩舎は遠すぎます。それにもしも王太子殿下にお会いしたら……」
「私から提案したのよ? グランツ卿」
椅子に腰掛けた伯母様が扇を口元に当てる。
「目が覚めてからも歩くのはこの客室とすぐそこの廊下だけでしょう? 体力を回復させるのなら、散歩のついでに厩舎はちょうどいいのではなくて?」
「それは……そうですが。しかし夫人、殿下はまだ帰っておりません。諦めた様子もないので無理矢理にでもエリシア様に会おうとするのでは?」
「ヴィオラは侯爵家の馬と一緒にいるでしょう? 殿下達がお使いなさっている厩舎とは離れているわ。そう簡単に遭遇しないはずよ」
アルベルトが険しい表情で廊下の方角を見て考えていると、伯母様が眉尻を下げて小さく息を吐く。
「あなたもエリーが倒れてから付きっきりで、目が覚めてもこうしてずっと気を張っているでしょう? 二人で少し気晴らししてきたらどう?」
「しかし……」
「本当に心配性ね」
アルベルトの様子に伯母様は笑う。
「それだけエリーを思ってくれているから、安心して任せられるわ」
「……恐縮です」
「だからね、二人でいってらっしゃい」
大きな身体なのに伯母様を前に小さくして私を見るアルベルトに、微笑み返したのだった。
* * *
身支度を整えてアルベルトと客室を出る。……数日前まで起き上がることさえ難しかった。それなのに先日医師に歩くように言われた際は、本気だろうかと思ってしまった程だ。
「お加減は?」
「……大丈夫」
「無理はしないで下さい」
血の気が引いて視界が暗くなる感覚に目を瞑り、静かに耐える。落ち着いてから目を開けて、揺れる視界の中、一歩、また一歩とゆっくり進んでいく。
廊下を進んで庭に出ると、太陽の光で視界が一気に明るくなった。目を細めて変化に慣らせると、綺麗に整えられた庭園が映る。眩しい緑を息を整えながら見ていると、そっとアルベルトが手を差し出した。
「お手をどうぞ」
「……今日はいいわ。大丈夫」
一人で歩こうとする私の前に、アルベルトは制するように立つ。
「足がまだふらついています。転ばれたら大変です」
「でも……」
一人で歩ける、と言いたいが、回る目にふらつく足元、廊下をただ歩いただけなのに大きく減ってしまった体力に現実を知る。視線を下げ、潤みそうになる目元を唇を噛んで抑える。
「時間がないのよ……」
「……エリシア様」
「ここまで体力が落ちてしまったら、ヴィオラにもう乗れないかもしれないじゃない……」
「……………………」
アルベルトが、小さく笑った。そっと私の手を取って、自身の腕に絡ませるように置く。顔を上げると、アルベルトは嬉しそうだ。
「あなた様が思っている以上に、回復されていますよ」
「……そうかしら」
「勿論です。数日前まで起きられなかったのに、今日は少しふらついていますが、俺に頼らずご自身で廊下を歩いていました」
そう言って、アルベルトは微笑む。
「大丈夫です。またヴィオラに乗れますよ」
「……そう?」
「ふらつくようなら、この間のように俺が後ろから支えます」
「でも、一人で乗りたいと伯父様や伯母様に言ったのに、それすら出来ないのは……」
「練習しましょう」
腕に置いた手を、アルベルトが上から包む。その手は私よりも大きくて、しっかりしていて温かい。
「だから今は、無理はしない方向で。ヴィオラに会いに行くのでしたら、ここからは俺に掴まって下さい。支えます」
「……ごめんなさい」
そう言えば、アルベルトがゆっくりと首を横に振る。
「いただくのなら、もっと別の言葉がいいです」
顔を上げると、アルベルトが私を見て微笑んでいる。深い灰色の瞳が、同じくらい深い優しさを帯びている。
「ありがとう、アルベルト」
目を見てそう言えば、アルベルトはさらに柔和に微笑んでみせた。
厩舎は屋敷からそんなに離れていなかったのに、着いた頃にはすっかり息が上がってしまった。
「エリシア様、お待ちしていました。お加減はいかがですか?」
「……問題ないわ。ヴィオラは?」
荒い息のまま厩務員に尋ねると、すぐに表情を和らげた。
「先ほどから気付いておりますよ。会う前に少し休まれますか?」
「いいえ、これくらいなら大丈夫よ。すぐに会うわ」
「畏まりました。こちらです」
厩務員の案内に従い、厩舎の中へと入る。するとすぐに、馬房から顔を出してこちらを見ている大きな馬の姿があった。
「ヴィオラ!」
呼び掛けて近付くとヴィオラが嬉しそうに鼻を鳴らして私に顔をすり寄せる。それに私も顔を寄せ、手を頬や首に回して抱き締めるように撫でた。
「ごめんね。寂しかったでしょう? 中々これなくてごめ……」
言葉が上手く続かず、思わず咳き込んでしまった。アルベルトがすぐに背中をさすり、ヴィオラも何かに気付いたようで、心配そうに鼻先を寄せてきた。
「大丈夫よ。変な所に入ってしまっただけ。体調を崩して中々来られなかったわ。寂しい思いをさせてごめんね」
撫でながらそう言うと、今度はアルベルトの方にヴィオラが静かに顔を向ける。
「目がどう言うことかと聞いているわ」
「……色々あったんだ」
そう言ってアルベルトはヴィオラの首を撫でる。
「俺のせいではない、と言い切れないが……」
「あら、あなたのせいではないわよ。もう回復してきているから、心配しないで」
声を掛けてヴィオラの顔を触ると、こちらに顔を向けてされるがままになっている。
「屋敷ではエリシア様も俺も呼べばすぐに来る距離にいたから余計寂しいのでしょうね」
「そうね。早く屋敷に帰りたいわよね? 問題が解決して私が回復すれば帰れるから、もう少し待っていてね」
ヴィオラを撫でながらそう言うと、思わず自分で感慨深くなってしまった。
「どうしました?」
「……あの丘の屋敷には数か月前に越してきたのに、もう帰る場所と認識しているのね、って」
同じようにヴィオラを撫でながら、アルベルトが微笑む。
「良いことです。三人で戻りましょう」
「……二人と一頭かしら?」
「そうですね。三人でも、俺はいいと思います」
そう言ってアルベルトがヴィオラの首を叩くと、ヴィオラが嬉しそうに鼻を鳴らす。
「あなたの身長でようやくヴィオラの首に触れるのね。羨ましいわ」
「持ち上げましょうか?」
「いいの? でも私は重いわよ?」
「鍛錬で持ち上げる重量よりは軽いです。よかったらこちらに……」
ヴィオラが先に耳を動かして顔を上げた。アルベルトもそれに気付いて鋭い視線を厩舎の外へ向ける。何事かと気付くのが遅れたが、厩舎の外から聞き馴染んでいた声が騎士とやり取りしているのが聞こえて背筋が粟立つ。
「……俺の後ろに」
言われた通りにアルベルトの後ろに隠れると、ヴィオラが馬房から大きく首を伸ばし、私の前に来るように移動した。そして不機嫌そうに鼻を鳴らし、耳を外に向けている。
「王太子殿下が来られました!」
外を確認しに行った厩務員がこちらに駆け足で戻ってくる。
「侯爵家の騎士の静止を振り切っているようです。どうしましょう? このまま反対側に出てお逃げになりますか?」
「……こちらに向かってきているのであれば、エリシア様の姿を見て追ってきたのだろう。厩舎の周りに遮蔽物はなかった。今出てもきっと見つかる。エリシア様」
アルベルトから尋ねられ、背筋を伸ばして姿勢を整える。
そして、覚悟を決める。
「……逃げても、また同じことの繰り返しになるわ。でしたら今応対します。グランツ卿、ここだと馬達に迷惑がかかるから外へ」
「畏まりました。共します」
ヴィオラを見上げると、私よりも遥かに高い場所で顔を外に向けている。名前を呼ぶと顔を私に向ける。行くの? 守るよ、と言いたげな視線に、とても勇気付けられる。
「大丈夫よ。……ありがとう、ヴィオラ。また来るわね」
手を上に伸ばしたら、ヴィオラが鼻先を当ててくれた。柔らかなそれに触れて微笑むと、アルベルトがこちらに手を差し出す。
「お手を。隙を見せないように支えます」
「ありがとう。少し頼るわね」
目を見開いたアルベルトが、すぐに細める。
「少しではなく、存分に」
「ええ、そうさせてもらうわ」
……目はまだ回っている。体力だって回復していない。足だって震えそうだ。
それでも、肺の中の空気を吐いて、顔を引き締めて胸を張って踏み出した。
無事に投稿できました。夏はこんな感じで暑さとの戦いになるので投稿時間遅めの予定です。ご了承下さい。




