33. 気品という名の鎧
体調は、いいか悪いかと聞かれたら、悪かった。
馬車に揺られながらも、姿勢を崩さず、目を伏せて、ただ静かに、気品を崩さずに、耐える。
王都に居た頃のように、完璧な令嬢として振る舞い続ける。
ただ、ふとした拍子に緩みそうになるから、最近如何に気が抜けていたかが如実に分かって口元を引き締めた。
ようやく手にした最期の平穏は、失いたくない。
だから、ここは踏ん張って頑張らなければならないと、少しだけ視線を上げて馬車の窓へ視線を向ける。
「ああ、エリー! よく来てくれたわ。体調はどう?」
「伯母様、お気遣いありがとうございます。私は大丈夫です」
侯爵邸に到着し、出迎えてくれた伯母様にカテーシーで挨拶をする。……足が一瞬ふらつき掛けた。
分からせないように持ちこたえると、伯母様はそれだけで私の心境を察知してくれたようで、背筋を伸ばした。
「遠い所を態々ありがとう。客室を用意したわ。王太子殿下は明日到着予定だから今日はゆっくり過ごしてちょうだい」
「畏まりました、伯母様」
「……後で二人でお茶しましょう?」
耳元で囁かれて顔を上げると、伯母様が扇を手に微笑んでいる。——その顔には疲労と、目元には隈が浮かんでいた。
準備が大変だっただろう。迷惑を掛けてしまった事が悔やまれる。
「ええ。楽しみにしています」
「エリーを客室に案内して」
伯母様の声に控えていた使用人が動き始める。案内に従って屋敷へと進んだ。
通された部屋は屋敷の一室で、ベッドに暖炉まで備え付けられた、シンプルながらも品のある豪華な造りだった。
私に付き従ったグランツ卿が部屋に荷物を運ぶ。続いて使用人達が私の屋敷から持ってきた荷物を運び入れて部屋を出ると、ようやく息を吐く事が出来た。
「お疲れ様、グランツ卿」
「エリシア様の方こそ。……少し横になったらどうですか? 目眩がしているでしょう?」
「……そうね。でもこの後呼ばれるかもしれないから」
隠していたが、グランツ卿には伝わっていたらしい。外套を脱ぐと、すぐさまグランツ卿が受け取った。ベッドに腰掛けて、背凭れに置かれたクッションに寄り掛かる。
それだけで、視界がぐらりと揺れているのがもっとはっきりした。
「先程侯爵夫人とお茶の話をしていましたが、今日は控えた方がいいのでは?」
「そうね……今日はゆっくり過ごして明日に備えようかしら」
「その方がいいかと思います」
「……そこのトランクを開けて、ノートを取り出してもらってもいい?」
指を差すと、グランツ卿が私のトランクの一つを開ける。その中に入っていた物を見て、グランツ卿が眉根を顰めた。
「これは……通りで重いはずです。どうして持ってきたのですか?」
「何かあった時に殴るための武器よ」
「ノートはこれですか?」
「ええ。それ。ありがとう」
手渡されたノートを凭れたまま広げてページを捲り、書き込んだ内容を確認する。トランクには、法律書や女神の神託に関する文献が何冊も詰め込まれている。ノートには今回の件に関連しそうな法律の抜粋と、何処に書かれているかの引用ページを記載していた。
「……準備は万端ですか?」
「どうかしら。これだけ用意しても、隅を突かれたら正直抜けがあると思うわ」
「そこまで詰めてくると思いますか?」
「……分からないわ」
ノートから視線を外して、息を吐く。殿下の事を、……下げて言ってはいけないけれど、正直抜けているとは思っている。
理詰めで来る事はまずないだろうけれど、誰に入れ知恵をされているかは分からないから、念を入れるに越した事はないだろう。
揺れる視界に吐き気を感じていると、心配したのか、グランツ卿が少し近付いて屈んで、ベッドのクッションに凭れる私を見上げる。落ち着かせようと、小さく微笑んだ。
「大丈夫よ。ここ数日の無理が祟っただけだわ。今日一日ゆっくりさせてもらったら、明日は少しはましに……」
突然、部屋の外が騒がしくなった。グランツ卿がすぐに反応し、立ち上がって私の前に守るように位置取る。私も、何とか身体を起こして揺れる視界をどうにかしようと、目を瞑った。……少し体温が上がり始めたような気がする。
「エリシア嬢! 失礼します!」
「どうぞ」
部屋の扉が慌ただしくノックされた。声を掛けると息を切らした侯爵家の騎士が現れる。
「お休みの所を失礼します! たった今、王太子殿下がご到着されました!」
「!?」
驚くグランツ卿に、私は眉根を寄せる。
「一つ前の街から到着の伝令はなかったのですか?」
「それが、ありませんでした。今大奥様がお相手していますが、すぐにでもエリシア嬢との面会を要求している状況です! ご準備は可能でしょうか?」
「慣例全部破っているじゃないの」
舌打ちしたい気持ちを押さえ、立ち上がった。
視界の、上と下が入れ替わる。
倒れ掛けた背中をグランツ卿が支えた。顔を見上げると、真剣な面持ちで、グランツ卿が小さく頷く。
目を閉じて、肺の空気を入れ換えて、スイッチを入れる。
「グランツ卿、本を持って付いてきてもらえるかしら?」
「仰せのままに」
「そこのあなた、殿下と面談する場所まで案内をお願いします」
「はっ!」
一歩踏み出すだけでぐらつきそうになるのを必死で堪える。
背筋を伸ばして、胸を張って、ただ目の前を真っ直ぐに見て、騎士の後に続いて廊下を進んだのだった。
大変遅くなりまして!!!




